くうやどう(こうしょうじごくらくいん)|天台宗空也派|紫雲山
空也堂(光勝寺極楽院)京都府 大宮駅
通常非公開
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楽しみ方龍田稲荷さんのすぐ近く。空也上人を本尊って興味津々ですが非公開のよう😭11月の第2日曜に開山忌(空也忌)が営まれるそうで拝観できるとすればその日ぐらい。予定合えば参拝してみたいですね😊
山門前
由緒
空也堂の石標
瓦に菊の紋、筋塀は五本筋と格式の高さがうかがえます。
京都市中京区にあるお寺です。
マップでは空也堂と出ていますが 正式名称は紫雲山光勝寺極楽院です。
極楽院は939年(天慶2年)踊念仏の祖・空也上人(くうやしょうにん)が三条櫛笥(さんじょうくしげ)に創建し 櫛笥道場・市中道場とも言われたのが起源と言われています。
その後応仁の乱の兵火によって焼失し 寛永年間(1624年~1643年)に現在の場所に再建されたと言われています。
ただその後も1788年の天明の大火などによって焼失し 明治時代には天台宗に改められました。
太平洋戦争中に本堂が取り壊され 庫裏が本堂に改められました。
なお本堂には空也上人が自ら刻んだとも言われている本尊・空也立像を安置しています。
空也を本尊とするため空也堂と呼ばれています。
これだけの歴史を持ちながら 中に入ってお参りできなかったのが残念です。
立派な山門ですが 閉じられていました
由緒書
山門の木組みが立派ですね
石柱
空也を本尊とするため空也堂と呼ばれるが、正式には紫雲山光勝寺極楽院と号する、天台宗の寺院である。天慶2年(939)、空也上人の開創といわれ、当初は三条櫛笥にあったので櫛笥道場とも市中道場とも呼ばれた。応仁の乱で焼亡たが、寛永年間に現在地に再建された。空也は鐘を叩き念仏を唱えながら全国行脚し、仏教の庶民階層への布教に尽力する傍ら、橋を架け、道路や井戸を整備し、野にある死骸を火葬して荼毘に付すなど社会事業にも行った。そのため、空也は市聖とか阿弥陀聖と称され、後の一遍をはじめとする布教僧に大きな影響を与えた。
毎年11月の第2日曜日に空也上人を偲んでは開山忌(空也忌)の法要が営まれる。王服茶の献茶式の後、空也僧による歓喜踊躍念仏と重要無形民俗文化財の六斎念仏焼香式が奉修される。
住所 | 京都府京都市中京区亀屋町288 |
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行き方 | 阪急京都線大宮駅 徒歩9分
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名称 | 空也堂(光勝寺極楽院) |
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読み方 | くうやどう(こうしょうじごくらくいん) |
通称 | 空也極楽院 |
参拝時間 | 通常非公開 |
電話番号 | 075-255-1585 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 空也上人立像 |
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山号 | 紫雲山 |
院号 | 極楽院 |
宗旨・宗派 | 天台宗空也派 |
創建時代 | 天慶二年(939) |
開山・開基 | 空也上人 |
ご由緒 | 空也を本尊とするため空也堂と呼ばれるが、正式には紫雲山光勝寺極楽院と号する、天台宗の寺院である。天慶2年(939)、空也上人の開創といわれ、当初は三条櫛笥にあったので櫛笥道場とも市中道場とも呼ばれた。応仁の乱で焼亡たが、寛永年間に現在地に再建された。空也は鐘を叩き念仏を唱えながら全国行脚し、仏教の庶民階層への布教に尽力する傍ら、橋を架け、道路や井戸を整備し、野にある死骸を火葬して荼毘に付すなど社会事業にも行った。そのため、空也は市聖とか阿弥陀聖と称され、後の一遍をはじめとする布教僧に大きな影響を与えた。
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