つもりじんじゃ
津毛利神社静岡県 浜松駅
参拝/24時間
御朱印/月次祭後など
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楽しみ方通常無人なので御朱印(書置き)は月次祭などの時のみ

遠江國式内社巡り 其の二十
■神社名 津毛利神社(ツモリジンジャ)
■御鎮座 浜松市旧南区参野町
■御祭神 底筒男命(ソコツツオノミコト)
中筒男命(ナカツツオノミコト)
上筒男命(ウワツツオノミコト)
■御例祭 十月十七日
(現在は十月第二土曜日曜日)
■式内社 遠江國六十二座敷智郡六座
津毛利神社(ツケリノカミノヤシロ)
■旧社格 郷社
津毛利神社は延喜式神名帳の遠江国六十二座敷智郡六座の一社に列する古社です。
◆遠江國は現在の静岡県西部の大井川以西、敷地郡は浜名湖東岸から浜松市南西部の辺りを示します。
創建は元正天皇御代、養老二年(七一八)航海の難所とされていた遠江國南海(遠州灘)の鎮守として摂津國の住吉大社より住吉三神を勧請されたものが創祀とされています。
御祭神住吉三神は日本神話において、イザナギが黄泉の国から逃げ戻り、穢れを祓うために御祓を行った水中から生まれた神々で、航海安全の霊験あらたかであるとされています。
創建当時は神社の前に海岸線があったそうですがその後には土砂の蓄積とともに開拓が進み、江戸時代までに西は舞阪より東は掛塚に至るまでの、四十六ヶ村の総鎮守「四十六所大明神」と称して崇敬されました。
(現在の遠州灘の海岸線は神社境内からは南に 4㎞程の距離があります)
また神社に伝わる「王の舞面」は禍を祓い清めるとされる御祭神住吉三神の御神徳に肖り、神事の際に露払いに用いられたとされ、鎌倉時代の名のある中央仏師の手によるものと考えられています(県の有形文化財に指定されています)。
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この投稿の境内の写真は、未だ残暑残る十月の初めに参拝に上がった時の様子ですが、御朱印の授与は神社の祭事日に限られるので、十一月の例祭の時に拝受しました。
先の王の舞面の押印の入った「金の御朱印」となっています。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
四季折々の催しや限定の御朱印をお受けするのも楽しみではありますが、今改めて地元遠州の古社式内社を巡らせていただき造詣を深めよう、と思い立っての巡拝です。

遠江国式内社六二座、旧敷知郡六座の内の一座
です。
養老二年(718年)に遠州灘の海難防除を願って
摂津の住吉大社を勧請したものであるとされて
います。
今は遠州灘の海岸からは4キロ程の距離があり
ますが、約1300年前の創建当時は境内の目の前
に海が広がっていたそうで、西は舞阪から東は
掛塚にいたる四十六ヶ村の総鎮守として崇敬され、四十六所大明神とも謳われました。
東日本大震災をうけて遠州灘海岸には天竜川の
河口から浜名湖の今切口までの東西17.5kmの
規模で、高さ最大15メートルの防波堤「一条堤」が
七年弱の歳月をかけて築かれています。
(一条というのは地元の建設業「一条工務店」さん
からの寄付金300億円😲が事業の原資になった
からです)
その巨額な構造物に匹敵する様な規模の御力で
沿岸の地域を御守り続けて頂いているのかもし
れません。
手水社
随神門
拝殿
御神木
境内社
境内にそびえ立つ松の巨木に「濱松」らしさ
を感じます
元正天皇の御代舎人親王藤原不比等公勅を奉じ遠江灘の鎮守として摂津の住吉神社より荒魂を勧請奉祀す。
延喜式所載の津毛利神社是なり、西舞阪より東掛塚に居たる四十六ヶ村の総鎮守として崇敬され四十六所大明神とも奉唱さる。
明治6年郷社に列せられ戦後神社本庁所属神社となる。
| 名称 | 津毛利神社 |
|---|---|
| 読み方 | つもりじんじゃ |
| 通称 | 四十六所大明神 |
| 参拝時間 | 参拝/24時間
|
| トイレ | 社務所西側 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| ご祭神 | 《主》底筒男之命,中筒男之命,上筒男之命 |
|---|---|
| 創建時代 | 養老2年(718) |
| 本殿 | 流造 |
| 文化財 | 【静岡県指定有形文化財】王の舞面 |
| ご由緒 | 元正天皇の御代舎人親王藤原不比等公勅を奉じ遠江灘の鎮守として摂津の住吉神社より荒魂を勧請奉祀す。
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| 体験 | 祈祷おみくじお祓い七五三御朱印祭り |
| Youtube | |
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