たかみやじんじゃ
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社伝によると、鎌倉末期といわれる。寛政年中の「中山道分間延絵図」に「山王」と記載されており、『近江輿地志略』には「山王権現社、同所にあり祭神日吉大比叡神、祭禮毎年三月十日」と記されている。
旧中山道に面する神社で、まっすぐ伸びた長い参道が印象的でした。
古くは日吉大社領に起因する神社であったといわれ、鎌倉時代末期に創建ではないかといわれていますが、明治3年(1870年)に高宮を襲った大洪水により古文書等が流されたため創立年は不詳。
もともとは山王十禅師社と呼ばれていたようですが、明治5年に高宮神社へと改称。
主祭神 天津日高日子番能邇邇芸命
配祀神 木花之佐久夜毘賣命
配祀神の木花之佐久夜毘賣命は、彦根市高宮町御旅所に鎮座してあった御幸神社の祭神で、明治41年11月5日に高宮神社に合祀されたそうです。
御朱印は参道途中にある社務所に書置きがありましたのでいただいて参りました。
旧中山道に面した鳥居
ここから拝殿まではまっすぐ伸びた参道150m先になります
随神門
左大臣
右大臣
御神紋
丸に二つ遠雁紋
随神門の内側(境内側)には石猿
随神門から本殿方向
手水舎
拝殿
拝殿内
本殿
境内社鳥居
とここで、一匹のトンボがヒラヒラと目の前に現れて止まったところをパチリ
瑞穂神社
恵比須神社
垂加神社
明治4年に多賀大社からこちらに遷されたようです
芭蕉句碑
「をりをりに伊吹を見てや 冬籠り」
布屋惣平(布惣)跡
かつて高宮布を扱った麻布商
現在は「座・楽庵」として県立大学の学生により土日に「ギャラリー喫茶 おとくら」が運営されているとのこと。
御朱印
歴史
創立祀代は不詳であるが、社伝によると、鎌倉末期といわれている。
寛政年中の「中山道分間延絵図」には「山王」と記載されており、また『近江輿地志略』には「山王権現社、同所にあり祭神日吉大比叡神、祭禮毎年三月十日」と記されている。古くは十禅師宮又は山王権現と称していた、日吉社領に起因するものである。
明治五年に村名により高宮神社と改称された。明治四十一年十月十三日となり、昭和三年七月二十七日郷社となる。同年十一月十日神饌幣帛料供進指定となる。
また配祀神木花佐久夜毘賣は、彦根市高宮町御旅所に鎮座してあった御幸神社の祭神であり、明治四十一年十一月五日に高宮神社に合祀した。なお本殿は延宝六年の建築と伝えられており、高覧擬宝珠にその銘が刻まれている。表門は嘉永二年の建築で、棟札を残している。
入母屋造の三間一戸の八脚門である。
滋賀県神社庁ページより
http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=187
名称 | 高宮神社 |
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読み方 | たかみやじんじゃ |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 書き置きの御朱印をいただくことができるようです。
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限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0749-22-2284 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 天津日高日子番能邇邇芸命 〔配祀神〕木花之佐久夜毘賣命 |
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創建時代 | 伝・鎌倉時代末期 |
本殿 | 一間社流造 |
ご由緒 | 創立祀代は不詳であるが、社伝によると、鎌倉末期といわれている。
明治五年に村名により高宮神社と改称された。明治四十一年十月十三日となり、昭和三年七月二十七日郷社となる。同年十一月十日神饌幣帛料供進指定となる。
滋賀県神社庁ページより
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体験 | 御朱印 |
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