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興禅寺ではいただけません
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こうぜんじ|曹洞宗大梅山

興禅寺
兵庫県 黒井駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

無料駐車場あり

興禅寺について

春日局生誕地

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きどっち
きどっち
2022年05月14日(土)
1221投稿

曹洞宗 大梅山 興禅寺

黒井城の下館跡となります。
天正3年(1575年)、織田信長は明智光秀に丹波攻略を命じますが、丹波国は激しく抵抗。
黒井城主の荻野悪右衛門直正は最後まで抵抗しましたが、天正7年8月に落城しました。

その戦後処理に黒井城に入ったのが斎藤内蔵助利三です。
黒井城の下館(興禅寺)を陣屋として、妻のお安を呼び寄せました。
そこで天正7年の暮れに産声をあげたのがお福です。
お福は後の春日局となります。
3歳までこの地で過ごしたそうです。

興禅寺の山門

惣門
とても小さな門ですが、寛永3年(1626年)黒井城の門材を使って建てたそうです

興禅寺の山門
興禅寺の建物その他

七間堀と高石垣

興禅寺の山門

楼門(山門)
近年、京都府宮津市の智源寺から移築されたものだそうです。
あまりにもしっくりきていたので、昔からある楼門だと思ってしまいました。
両脇には二天像が、2階部分には観音像が祀られています。

興禅寺の動物
興禅寺の建物その他
興禅寺の像
興禅寺の像
興禅寺の本殿

本堂

興禅寺の本殿
興禅寺の庭園
興禅寺の建物その他
興禅寺の建物その他

鐘楼

興禅寺の庭園
興禅寺の建物その他
興禅寺の庭園

庭園
近衛信尹が指導、設計して作らせたそうです

興禅寺の仏像
興禅寺の建物その他

お福の腰かけ石
お福(幼少期の春日局)が腰をかけて遊んだ石と言い伝えられています

興禅寺の建物その他

お福産湯の井戸
お福が産まれた時、この井戸の水を汲んで産湯に使ったそうです

興禅寺の歴史
興禅寺の建物その他
興禅寺の建物その他
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歴史

戦国時代の城下町の中心地だった黒井地区にある「興禅寺」。背後には山全体が巨大な要塞だった黒井城跡があり、ともに国の史跡に指定されています。戦国時代の城主は、戦いのない平時は山すその下館に住んでおり、その館跡が興禅寺で、満々と水をたたえた七軒濠、野面積みの高い石垣、白壁などが当時の様子をよく伝えています。
興禅寺はまた、徳川家光の乳母として知られる「春日局(かすがのつぼね)」が生まれた地としても有名。「お福さま」と呼ばれていたのちの春日局は、3歳までの幼少時代をここで過ごしており、「お福の産湯井戸」や「お福の腰掛け石」などが残っています。

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興禅寺の基本情報

住所兵庫県丹波市春日町黒井2263
行き方

JR福知山線黒井駅徒歩12分、舞鶴若狭自動車道・北近畿豊岡自動車道 春日インターチェンジより車で6分

アクセスを詳しく見る
名称興禅寺
読み方こうぜんじ
参拝料

なし

トイレあり(春日庵横)
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0795-74-0019
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊釈迦如来
山号大梅山
宗旨・宗派曹洞宗
ご由緒

戦国時代の城下町の中心地だった黒井地区にある「興禅寺」。背後には山全体が巨大な要塞だった黒井城跡があり、ともに国の史跡に指定されています。戦国時代の城主は、戦いのない平時は山すその下館に住んでおり、その館跡が興禅寺で、満々と水をたたえた七軒濠、野面積みの高い石垣、白壁などが当時の様子をよく伝えています。
興禅寺はまた、徳川家光の乳母として知られる「春日局(かすがのつぼね)」が生まれた地としても有名。「お福さま」と呼ばれていたのちの春日局は、3歳までの幼少時代をここで過ごしており、「お福の産湯井戸」や「お福の腰掛け石」などが残っています。

体験武将・サムライ伝説

Wikipediaからの引用

概要
興禅寺(こうぜんじ)は、兵庫県丹波市にある仏教寺院。山号は大梅山、曹洞宗別格地、本尊は釈迦如来(仏師春日作)。国の史跡。春日局生誕地としても有名である。
歴史
沿革[編集] この寺の前身は「杖林山誓願寺」といい、今の位置から150メートル下った場所にあった。八木城主・内藤宗勝が黒井城を攻城した時に誓願寺も戦火にあい焼失してしまった。当時の誓願寺があった場所は「寺屋敷」と呼ばれ9つの寺が立ち並んでいて、黒井城の寺町を形成していた。この時、寺の復興に努力したのが黒井城主・荻野直正(赤井直正)で、堂宇を建立などして再建につとめたと言われている。 現在の場所に移転したのは、黒井城の落城50年後の寛永3年(1626年)のことで下館跡に、本堂等を移転し、山号を「杖林山」から「大梅山」、宗派を真言宗から曹洞宗に、寺号を「誓願寺」から「興禅寺」に、開基を荻野直...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] 電車でのアクセス JR 福知山線 黒井駅 → 徒歩約10分 車でのアクセス 舞鶴若狭自動車道 春日IC → 国道175号 → 興禅寺
引用元情報興禅寺 (丹波市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%88%88%E7%A6%85%E5%AF%BA%20%28%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E5%B8%82%29&oldid=92447167
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