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神戸市西区押部谷に鎮座する住吉神社。
今年の春はなかなかお花見に行く時間がほとんどなかったのですが、なんとかできた隙間時間で神社参拝と桜を堪能できるところ・・・ということで、私の中では穴場のこちら住吉神社に車を走らせました。
境内のすぐそばを流れる明石川、その河原にわずかですが桜並木があるんです。
こちらには5年ぶりの参拝ということもあり、拝殿にて参拝後、末社の一社一社に参拝。
本殿周りの塀を工事中のようで、塀が一時的にない状態だったため、本殿がよく見える形でとても有難かったです。
社務所にて御朱印を拝受した後、河原のほうへ歩いていきしばらく桜の花を見上げていると一羽の鳥が飛んできました。
最初桜の花でよく見えなかったのですが、写真を撮ってみると、メジロが桜の蜜を吸いにいていたのです。
思いもよらず「幸運の鳥」メジロが見られるなんて、とってもラッキーでした。
<御祭神>
主祭神:底筒男命
配祀神:中筒男命 表筒男命 気長足姫命
<御由緒>~住吉神社HPより~
当神社は天平勝宝6年(754年)、摂津の国住吉神社の社家、津守連(つもりのむらじ)が 楯神・鉾神と共に宮山『今の元住吉山』に勧請したのが創まりと伝えられています。
その後、疫病が流行し、そのうえ五穀が実らぬ年が続いたので村人らは御神託により、 永禄2年(1559年)の6月29日に現在の宮地に移遷しました。
また、文禄3年(1594年)9月13日には高和の社地に御旅所を定め奉りました。
天正7年(1579年)の6月25日に豊臣秀吉の三木城攻めの兵火にかかり社殿をことごとく焼失するも、 正保4年(1647年)の8月に四別棟を再建し、享保19年(1734年)の4月本殿が建立されます。
明治7年(1874年)2月に郷社に列せられ、大正8年(1919年)には 境内敷地を拡張し、拝殿・社務所等付属建物を建立。
平成16年(2004年)には御鎮座1250年を記念して、傷みの激しかった 神輿・神具や社殿等の修復を行うと共に、記念祭を挙行しました。

歴史
押部の庄全体の総氏神である。祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命の四柱。孝謙天皇の天平勝宝六年(754)9月13日、摂津の国住吉神社から社家、津守連が楯神、鉾神と共に神霊を元住吉山に勧請したのが始まりである。その後、疫病が流行し、その上五穀が実らぬ年が続き、氏人らが御神託により、永禄二年(1559)6月29日現在の宮地に奉遷した。天正七年(1579)6月25日羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い、社殿を焼失したが、正法四年(1647)社殿の復興が成り、再び本殿に遷座した。
写真












押部谷住吉神社の基本情報
| 名称 | 押部谷住吉神社 |
|---|---|
| 読み方 | おしべだにすみよしじんじゃ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》底筒男命,中筒男命,表筒男命,気長足姫命 |
|---|---|
| 創建時代 | 天平勝宝六年(754)9月13日 |
| ご由緒 | 押部の庄全体の総氏神である。祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命の四柱。孝謙天皇の天平勝宝六年(754)9月13日、摂津の国住吉神社から社家、津守連が楯神、鉾神と共に神霊を元住吉山に勧請したのが始まりである。その後、疫病が流行し、その上五穀が実らぬ年が続き、氏人らが御神託により、永禄二年(1559)6月29日現在の宮地に奉遷した。天正七年(1579)6月25日羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い、社殿を焼失したが、正法四年(1647)社殿の復興が成り、再び本殿に遷座した。 |
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