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押部谷住吉神社ではいただけません
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きどっち
2021年05月22日(土)
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明石川沿いにあるとても大きな住吉神社です。

いただいた御由緒書きによると、
天平勝宝6年(754年)、摂津の国住吉神社の社家津守連が楯神・鉾神と共に宮山「今の元住吉山」に勧請したのが始まりと伝えられているとのこと。
永禄2年(1559年)に現在の宮地に移遷、天正7年(1579年)に秀吉の三木城攻めの兵火によって社殿は焼失。
正保4年(1647年)に四別棟を再建、享保19年(1734年)本殿建立。

社務所ではとても丁寧に対応いただきました。
御朱印は書き置きだったのですが、書き置きを切らしていたのか、一旦奥に下がられて待つこと3分ほどで書き立てホヤホヤの御朱印いただきました。

押部谷住吉神社の建物その他

明石川に掛かる橋を渡ってすぐ右側に鎮座されています

押部谷住吉神社の鳥居

鳥居、社号標

押部谷住吉神社の手水

手水舎

押部谷住吉神社の本殿

拝殿

押部谷住吉神社の本殿

拝殿内

押部谷住吉神社の本殿

もうちょっとだけアップ

押部谷住吉神社の建物その他

扁額

押部谷住吉神社の本殿

本殿
第一本殿:底筒男命(左から二番目)
第二本殿:中筒男命(右から二番目)
第三本殿:表筒男命(一番右)
第四本殿:気長足姫命(一番左)

この並び、どこかで見たな・・・と思ったら、明石市魚住町中尾の住吉神社と同じでした。
当たり前か!😅

押部谷住吉神社の狛犬

狛犬さん(阿形)

押部谷住吉神社の狛犬

狛犬さん(吽形)

押部谷住吉神社の歴史

御由緒

押部谷住吉神社の建物その他
押部谷住吉神社の建物その他

神輿倉

押部谷住吉神社の末社

境内社 鉾神社

押部谷住吉神社の末社

境内社 白龍

押部谷住吉神社の末社

境内社
右:稲荷神社、左:天満社

押部谷住吉神社の末社

境内社
右:幸神社、左:地神様

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歴史

押部の庄全体の総氏神である。祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命の四柱。孝謙天皇の天平勝宝六年(754)9月13日、摂津の国住吉神社から社家、津守連が楯神、鉾神と共に神霊を元住吉山に勧請したのが始まりである。その後、疫病が流行し、その上五穀が実らぬ年が続き、氏人らが御神託により、永禄二年(1559)6月29日現在の宮地に奉遷した。天正七年(1579)6月25日羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い、社殿を焼失したが、正法四年(1647)社殿の復興が成り、再び本殿に遷座した。

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押部谷住吉神社の基本情報

住所兵庫県神戸市西区押部谷町細田302
行き方
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名称押部谷住吉神社
読み方おしべだにすみよしじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》底筒男命,中筒男命,表筒男命,気長足姫命
創建時代天平勝宝六年(754)9月13日
ご由緒

押部の庄全体の総氏神である。祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命の四柱。孝謙天皇の天平勝宝六年(754)9月13日、摂津の国住吉神社から社家、津守連が楯神、鉾神と共に神霊を元住吉山に勧請したのが始まりである。その後、疫病が流行し、その上五穀が実らぬ年が続き、氏人らが御神託により、永禄二年(1559)6月29日現在の宮地に奉遷した。天正七年(1579)6月25日羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い、社殿を焼失したが、正法四年(1647)社殿の復興が成り、再び本殿に遷座した。

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