おしべだにすみよしじんじゃ
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明石川沿いにあるとても大きな住吉神社です。
いただいた御由緒書きによると、
天平勝宝6年(754年)、摂津の国住吉神社の社家津守連が楯神・鉾神と共に宮山「今の元住吉山」に勧請したのが始まりと伝えられているとのこと。
永禄2年(1559年)に現在の宮地に移遷、天正7年(1579年)に秀吉の三木城攻めの兵火によって社殿は焼失。
正保4年(1647年)に四別棟を再建、享保19年(1734年)本殿建立。
社務所ではとても丁寧に対応いただきました。
御朱印は書き置きだったのですが、書き置きを切らしていたのか、一旦奥に下がられて待つこと3分ほどで書き立てホヤホヤの御朱印いただきました。

明石川に掛かる橋を渡ってすぐ右側に鎮座されています

鳥居、社号標

手水舎

拝殿

拝殿内

もうちょっとだけアップ

扁額

本殿
第一本殿:底筒男命(左から二番目)
第二本殿:中筒男命(右から二番目)
第三本殿:表筒男命(一番右)
第四本殿:気長足姫命(一番左)
この並び、どこかで見たな・・・と思ったら、明石市魚住町中尾の住吉神社と同じでした。
当たり前か!😅

狛犬さん(阿形)

狛犬さん(吽形)

御由緒


神輿倉

境内社 鉾神社

境内社 白龍

境内社
右:稲荷神社、左:天満社

境内社
右:幸神社、左:地神様
歴史
押部の庄全体の総氏神である。祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命の四柱。孝謙天皇の天平勝宝六年(754)9月13日、摂津の国住吉神社から社家、津守連が楯神、鉾神と共に神霊を元住吉山に勧請したのが始まりである。その後、疫病が流行し、その上五穀が実らぬ年が続き、氏人らが御神託により、永禄二年(1559)6月29日現在の宮地に奉遷した。天正七年(1579)6月25日羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い、社殿を焼失したが、正法四年(1647)社殿の復興が成り、再び本殿に遷座した。
歴史をもっと見る|| 名称 | 押部谷住吉神社 |
|---|---|
| 読み方 | おしべだにすみよしじんじゃ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》底筒男命,中筒男命,表筒男命,気長足姫命 |
|---|---|
| 創建時代 | 天平勝宝六年(754)9月13日 |
| ご由緒 | 押部の庄全体の総氏神である。祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命の四柱。孝謙天皇の天平勝宝六年(754)9月13日、摂津の国住吉神社から社家、津守連が楯神、鉾神と共に神霊を元住吉山に勧請したのが始まりである。その後、疫病が流行し、その上五穀が実らぬ年が続き、氏人らが御神託により、永禄二年(1559)6月29日現在の宮地に奉遷した。天正七年(1579)6月25日羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い、社殿を焼失したが、正法四年(1647)社殿の復興が成り、再び本殿に遷座した。 |
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