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須賀神社ではいただけません
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すがじんじゃ

須賀神社
東京都 四谷三丁目駅

午前9時〜午後5時

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

須賀神社について

『君の名は。』聖地の1つ


アニメ映画『君の名は。』(2016年)のキービジュアルの1つで映っている階段が、この須賀神社のものです。映画中にも登場します。

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よしよし
よしよし
2025年01月16日(木)
463投稿

参拝させて頂きました。「君の名は」で最後に出てくる石段で有名な神社らしい。三十六歌仙の肖像も飾られていて有名なのかな。

須賀神社の景色

君の名はの石段 上から撮るべきでした

須賀神社の鳥居

鳥居の奥に拝殿

須賀神社の鳥居

鳥居

須賀神社の歴史

由緒書 元々は稲荷神社だったらしく、のちに神田明神内の守護神として祀ってあった須佐男を勧請して合祀したとのこと。通称は四谷の天王社

須賀神社の本殿

拝殿

須賀神社の建物その他
須賀神社の末社

大黒天

須賀神社の鳥居

天白稲荷神社

須賀神社の芸術

三十六歌仙の肖像が戦災を免れて残されていたみたいです。

須賀神社の歴史
須賀神社の歴史
須賀神社の本殿

本殿

須賀神社の建物その他
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例祭・神事

1月1日 元旦祭
2月3日 節分祭
6月末日 夏越しの大祓い
11月15日 七五三祝祭
12月末日 年越しの大祓い

例祭・神事をもっと見る|
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歴史

今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝受し、移し奉ったものと伝えられています。
 須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝受したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃されました。
 社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
 往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
 当社の本殿御内陣は文政二年に造営されたものでありますが、先の戦災の折り、辛うじて焼失を免れたものの極度に老朽化が進み、この儘では保存に支障をきたすとして、この度その大修復工事が行われ、昭和六十三年秋に着工、平成元年五月九日に落成し、同月十八日に遷座祭が執行されました。
 今では都内の神社中数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物であります。造営以来約百七十年目の大修復工事がなされました。

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須賀神社の基本情報

住所東京都新宿区須賀町5
行き方

JR中央線快速・総武線四ツ谷駅より徒歩10分
JR総武線信濃町駅より徒歩10分
地下鉄丸ノ内線・南北線四ツ谷駅より徒歩10分
地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅より徒歩7分

アクセスを詳しく見る
名称須賀神社
読み方すがじんじゃ
通称四谷須賀神社
参拝時間

午前9時〜午後5時

トイレ参道横須賀公園公衆トイレ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号03-3351-7023
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://sugajinjya.or.jp/
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神御祭神:須佐之男命(須賀大神)・宇迦能御魂命(稲荷大神)
相殿神:五男神(天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・熊野樟日命・活津彦根命)・三女神(多紀理姫命・市杵島姫命・多岐都姫命)・大鳥神社(日本武命・大鳥連祖神)
社格等:郷社
創建時代1634年(寛永11年)
文化財

須賀神社の三十六歌仙絵(新宿区指定有形文化財)

ご由緒

今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝受し、移し奉ったものと伝えられています。
 須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝受したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃されました。
 社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
 往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
 当社の本殿御内陣は文政二年に造営されたものでありますが、先の戦災の折り、辛うじて焼失を免れたものの極度に老朽化が進み、この儘では保存に支障をきたすとして、この度その大修復工事が行われ、昭和六十三年秋に着工、平成元年五月九日に落成し、同月十八日に遷座祭が執行されました。
 今では都内の神社中数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物であります。造営以来約百七十年目の大修復工事がなされました。

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