しらとりじんじゃ
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こちらの神社は全国にあるヤマトタケル・白鳥伝説の神社の中でもとりわけ重要な位置付けとなります。
神社神道は[古事記・日本書記]がいわば経典のような存在となりますが、日本書記に記されている『ヤマトタケル・最後の地』がこの大阪・羽曳野市の白鳥神社です(他にもヤマトタケル最後の地をうたっている神社さんがありますが、こちらが正真正銘、最後の地ということになります)。
今風の言葉で言いますと「ガチの聖地」である訳ですが、羽曳野市が観光に失敗したため、そのことが一般にはほとんど知られていません。由緒を考えますと知られていないこと自体かなり不思議なことですが、オーバーツーリズム全盛により神社が[アミューズメントパーク][お土産屋さん]となりつつある現在、静かに祈りを捧げる場として神さまがこの地を残してくださったのかも知れません(昨今はパワースポット巡りをして「人混みで疲れた」といった冗談のような状況があります。やはり人が多いとご神気も変わってしまいますね)。
こちら白鳥神社は一見すると町中の小さな神社のような佇まいで、観光ガイド・神社ガイド等でもまったく紹介されていませんので、いわば『隠された聖地』と申しましょうか。実際こちらには観光客はほとんど来ず、古事記・日本書記に通じた「信仰の方々(ガチの方々)」が静かに且つ本気の祈りを捧げに来られています(スピリチュアル系の方々でもこちらの神社に気づいておられる方はごく少数ですね)。
本物中の本物の由緒がありながら、ほとんど知られていない。ここまでギャップの大きい神社も珍しいでしょう。『隠された聖地』という言葉が相応しいと思います(しかし世の中には「知られていない本物」といった存在がどのジャンルにおいてもありますね)。
静かに祈りを捧げる場・本当の神話の聖地として白鳥神社(とこの神社の元宮でもある白鳥陵)はこのまま観光化せず尊いご神気をいつまでも保って欲しいと思います。

白鳥の限定御朱印。とても綺麗です。

大阪府羽曳野市にあります、
白鳥神社に参拝しました。
主祭神は、【日本武尊】【素戔嗚命】【稲田姫命】。
別称は【伊岐宮】【牛頭天王社】
日本書紀に記されたヤマトタケル・白鳥伝説の聖地。ヤマトタケルが白鳥へと姿を変え、飛び立った物語「白鳥伝説」が伝えられます。
誉田八幡宮から参拝後の帰りに立ち寄り参拝させて頂きました。近鉄南大阪線「古市駅」東口からすぐ近くにあり小さな神社ですが、とても静かで落ち着いた感じする場所でした。参拝後に書き置きの御朱印を頂きました。






書き置きは3種類ほどあり、デザイン的に気に入った一つを頂きました。
歴史
白鳥神社縁起によりますと、河内国古市郡古市村の産土神として祀られている当社は、かつて古市村に隣接する軽墓村(現羽曳野市軽里)西方の伊岐谷(いきだに。井喜谷)にあった伊岐宮(いきのみや)が本来の宮でした。
白鳥神社から約500メートル離れた場所にはご祭神であるヤマトタケルノミコトの陵墓である世界遺産・白鳥稜があります。白鳥神社は神聖な静けさに包まれた白鳥稜の傍らに「伊岐宮(いきのみや)」という名で鎮座していました。
日本書紀によりますと、ヤマトタケルノミコトは伊勢で亡くなったのち、白鳥に姿を変え、大和の国の琴弾原(ことひきのはら)、次いで河内は旧市邑(ふるいちのむら)に舞い降りました。羽曳野という地名は、この地に飛来したヤマトタケルノミコトが、「羽を曳くように再び飛び去った」という話に由来しています。
「白鳥伝説」「神話の地」。この地には神話の断片が交差し、今も息づいています。
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| 名称 | 白鳥神社 |
|---|---|
| 読み方 | しらとりじんじゃ |
| 参拝時間 | 随時 |
| 参拝にかかる時間 | 約30分 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 電話番号 | 072-956-9758 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご祭神 | 《合》饒速日命,広国押武金日命,《主》日本武尊,《配》素盞嗚命,稲田姫命 |
|---|---|
| ご由緒 | 白鳥神社縁起によりますと、河内国古市郡古市村の産土神として祀られている当社は、かつて古市村に隣接する軽墓村(現羽曳野市軽里)西方の伊岐谷(いきだに。井喜谷)にあった伊岐宮(いきのみや)が本来の宮でした。 白鳥神社から約500メートル離れた場所にはご祭神であるヤマトタケルノミコトの陵墓である世界遺産・白鳥稜があります。白鳥神社は神聖な静けさに包まれた白鳥稜の傍らに「伊岐宮(いきのみや)」という名で鎮座していました。 日本書紀によりますと、ヤマトタケルノミコトは伊勢で亡くなったのち、白鳥に姿を変え、大和の国の琴弾原(ことひきのはら)、次いで河内は旧市邑(ふるいちのむら)に舞い降りました。羽曳野という地名は、この地に飛来したヤマトタケルノミコトが、「羽を曳くように再び飛び去った」という話に由来しています。 「白鳥伝説」「神話の地」。この地には神話の断片が交差し、今も息づいています。 |
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