御朱印・神社お寺の検索サイト
御着で降り、記憶のまま北へ歩く。天川を越えるとそこは 御着城本丸跡。小寺三代城主を神として祭るここへ参拝する。
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下寺町にある應典院での「〈宿坊〉は寺院を救うか~お寺と観光ビジネス」というトークイベントへ。司会はここの代表で、伝説のカルト映画『狂い咲きサンダーロード』や『1980アイコ十六歳』の脚本…続きを読む
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天正寺の座禅会に参加。福岡藩士で、「黒田家譜」を著した貝原益軒の「養生訓」や、孟子、西田幾多郎などをテーマに講話も。座禅会のあと、月亭文都師匠の二番弟子 月亭秀都 さんの落語研鑽会にも参加…続きを読む
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烏丸御池にある高松神明へ参拝。後白河法皇が即位した場所で、保元の乱では平清盛や源義朝がここに参集し、崇徳上皇のいる白河北殿へ攻め込んでいる。さらに時代は下り、真田信繁の持念仏だった地蔵尊…続きを読む
古都に春を告げる、献氷祭で有名な氷室神社の枝垂桜見物へきました。3月末には散ってしまう、奈良の一番桜。
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姫路の妻鹿にある元宮八幡神社へ。黒田二十四騎の一人である母里太兵衛の生誕地の碑が建てられています。
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鴨川にかかる小枝橋。鳥羽伏見の戦いは、この橋のたもとにいた薩摩の発砲で始まりました。ほど近い土手に戦跡の碑があります。鳥羽離宮があった場所はいま公園になっています。ここに布陣していた薩摩軍…続きを読む
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実家の氏神さまです。
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福海寺へ。この寺には、かつて平清盛が好んだという時雨の松がありました。この松が、清盛の興隆を導いたと伝わります。松は今はなく、碑だけが境内にありました。
能福寺へ。清盛がここで出家し、さらに遺骨がおさめられたと伝わる墓があります。この場所は、幕末のいわゆる神戸事件の被害者を顕彰する碑があり、また福原京を示す看板も。そして一応日本三大仏に数え…続きを読む
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薬仙寺。境内にある萱の御所跡。これは、清盛の別邸で、さらに清盛が後白河法王を幽閉した場所とも伝えられてます。以上が、清盛関係のスポットです。この運河がかつての兵庫津。宋との貿易を行った、日…続きを読む
香川の金刀比羅宮です。
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千本通りから中に入る。こちらは妙教寺。鳥羽伏見の戦い時、大砲がここを直撃。弾が壁を貫通しました。その壁は原則非公開だそう。
天三からこちらへ。大阪市北区末広町 の成正寺。大塩平八郎の墓所があります。
山片蟠桃の碑。
龍海寺にある、緒方洪庵とその妻八重の墓。埋葬されてるのは遺髪だそう。そして、緒方洪庵の墓の傍にある、大村兵部大輔埋腿之地碑。昨年来たが見れなかった、大村益次郎の切断された右足が眠る足塚。
新撰組ゆかりの萬福寺。この門は当時のものらしい。屯所を示す碑がある。今回許可を得て初めて境内に入ることができた。
伊丹シティホテルに近い場所にあるこちらには、荒木村重の墓と伝えられている九層の石塔が存在する。案内板は朽ち、村重の名前を認めることは困難なほどボロボロな状態で置かれていた。市内を歩けば村重…続きを読む
伊丹駅や有岡城跡からもすぐの場所に、この荒村寺はある。名前の由来は荒木村重からであるが、寺自体は江戸時代後期に開かれている。曹洞宗の禅道場としても有名である。
信長死後は秀吉につき、山崎合戦では大いに活躍した中川清秀。しかし、続く 賤ヶ岳の戦いにおいて柴田方の武将・佐久間盛政の攻撃で力尽きる。墓は、小学校から南にすぐの場所にある、この梅林寺にある…続きを読む
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