うすきはちまんじんじゃ
魚吹八幡神社
兵庫県 山陽網干駅
山陽電鉄「山陽網干」駅から北に約1kmほどのところにある魚吹(うすき)八幡神社。
通称「津の宮」として親しまれています。
1年ぶりくらいの参拝かなと思っていたら、今年の1月下旬に参拝していました😅
魚吹八幡神社と言えば、秋季例祭(ちょうちん祭り)が有名で、ちょうど今週末の10/21~10/22に執り行われます。
18台の屋台、4台の檀尻、そして獅子檀尻1台が揃い、夜には7か村によるちょうちん練りが行われます。
見に行きたいのはやまやまですが、仕事やプライベートな予定と重なっているため断念。
また来年に持ち越しです。
<御祭神>
品陀和氣命
息長足比賣命
玉依比賣命
楼門からちょうど150m西にある鳥居
楼門
楼門の扁額
拝殿
注連柱の向かって右側には砲弾が置かれています
龍と贔屓
さらに龍の彫刻
本殿
手前に燈籠がありますが、中を覗くと・・・
本殿横に小さな社殿が建っています。
こちらは武内神社となります。
招魂社
1,547柱命の殉国者の御霊が奉祀されています
境内の北西にある乾門
放生池の鯉や金魚も元気でよかった!
左から
松尾神社 敷島神社 三神社 金刀比羅神社
楼門前に建つ小松神社
魚吹八幡神社(うすき八幡神社)
~神話と魚吹伝説~
御祭神 品陀和氣命
(応神天皇)
息長足比賣命
(神功皇后)
玉依比賣命
例祭 10月21-22日
主神事 武神祭(3月最終土曜日)
神話と伝説
魚吹(うすき)の由来について、播磨國風土記には宇須伎津と見え、本来、当地方は海べりの砂堆積地であった。
神功皇后伝説と相交わり、魚が群れをなして砂を吹き寄せて、土地が出来たと云い伝えられている。 これは洋の東西を問わず語られる神話的方法で、魚は人とおきかえ、すなわち、多くの人々が、海を埋め埋めして開いていったと解するが自然であって、後生永く伝えるため、魚吹伝説として今日まで云ひ伝えられた。 又、網干(あぼし)の地名も、当社祭礼に、漁民が一斉に、休漁して網を干して参詣したので網干と云うようになったと伝えられている。
~魚吹八幡神社HPより~
延喜式神名帳の名神大社である中臣印達神社の比定社の一つでもあります。
播磨国一宮である伊和神社が屋台5台、灘のけんか祭りとして知られる松原八幡神社でも屋台7台、その他の播州地区各社も概ね一桁の数であり、魚吹八幡神社の屋台・檀尻、獅子檀尻計23台という数は群を抜いています。
また、社務所ロビーにて屋台展示を行っております。 こちらの屋台は平成5年まで活躍しておりました旧坂上屋台を寄贈いただきました。 ご祈祷の待ち合いの際には、乗り子が座る位置に上がり太鼓を叩いたり、彫刻や幕等真近にご覧いただけます。
16時半までです。
ご立派な社殿や摂末社、ロビーの屋台を見せて頂きたくお参りさせて頂きましたが、時間外だった為、またお参りさせて頂きたく記録させて頂きます。
境内
神馬舎、鐘つき堂、方丈池、北庭園
境内摂社
厳島神社、武内神社、招魂社、松尾神社、敷島神社、三神社、金刀比羅神社
境外社 小松神社
姫路市網干区宮内193
美しい御本殿
ご立派な楼門(兵庫県指定有形文化財)
西の⛩️
⛩️扁額
楼門
拝殿と社務所
神馬におみくじが Deepimpact にかわいかったです
手水舎
鐘つき堂
厳島神社
武内神社
金弊殿
左より 松尾神社 敷島神社 三神社
三神社 金刀比羅神社
金刀比羅神社
江戸時代の力持ち
三ノ宮卯之助像
ちょっとごめんなさい(^^;)アングルでした
社務所
御朱印も拝受できました
ありがとうございました
楼門内
境外社 小松神社
参道に沢山 姫路市マンホール
鷺草タイプ
魚吹八幡神社(うすき八幡神社)
~ 宇須伎津の宮 朔日詣 ~
御祭神 品陀和氣命
(応神天皇)
息長足比賣命
(神功皇后)
玉依比賣命
例祭 10月21-22日
主神事 武神祭(3月最終土曜日)
御由緒
神功皇后摂政三年(202年)大陸交渉の際、御鑑を当宇須伎津に御滞泊あらせられた際、皇后信託(神様のお告げ)をお受けになりこの宇須伎津の浄地を開き、一小社を建立し、玉依比賣命(神武天皇の御母、海の神様)をお祀りし、敷嶋宮と号した。
これが当社創建の起源であります。
後に十六代仁徳天皇七年(319年)八月、天皇霊夢を御覧になり、御父応神天皇御祖母神功皇后を当宇須伎津に祀るべし、と仰せになり、紀角宿禰(きのつのすくね)を遣い三神を合わ祀られ、この地にお鎮まりになりました。
ここに当地方開闢(かいびゃく)の産土神として、祭祀信仰が今日まで、脈々と受け継ぎ生き続けていることは御神威の千古にわたる輝きを知ることができる。
~魚吹八幡神社 略記より~
魚吹八幡神社は、地元で津の宮とも呼ばれ親しまれています。
社伝によると、神功皇后が魚吹津に泊まり一社を造営し、海神の玉依比売命(たまよりひめのみこと)を祀り敷島宮と号されました。現在は干拓が進み海岸線は当時のはるか沖合に移動していますが、平安時代まではこの神社の辺りまでが海岸付近でした。
魚吹八幡神社は戦国時代の1576(天正4)年に兵火で全焼しましたが、江戸時代の1831 (天保2)年に再建されています。
播州の秋最期を締めくくるお祭りが特に有名で、十数基の檀尻が多くの見物人の中を宮入する姿は勇壮そのものです。
延喜式神名帳の名神大社である中臣印達神社の比定社の一つでもあります。
♯宇須伎津
♯宇佐神宮
♯石清水八幡宮別宮
♯仲哀天皇
♯聖母信仰
♯大陸文化
♯兵庫県有形重要文化財
♯播磨國風土記
♯第二宗廟
♯三ノ宮卯之助像
♯砂堆積地
♯魚吹伝説
♯休漁網干し参詣
♯網干あぼし
姫路市網干区宮内193
右端に 力持ち 三ノ宮卯之助像
参道に 小松神社
名称 | 魚吹八幡神社 |
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読み方 | うすきはちまんじんじゃ |
通称 | 津の宮 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 079-272-0664 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | jinjya@usukihachiman.or.jp |
ホームページ | https://usukihachiman.or.jp |
お守り | あり |
SNS |
ご祭神 | 《主》品陀別命,息長足比売命,玉依比売命 |
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体験 | 祭り |
Youtube | |
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