たけだはちまんぐう
武田八幡宮のお参りの記録一覧
今日は、韮崎市の御朱印を集めようと❗
まず最初に着いたのが武田八幡宮‼️韮崎は、武田信玄にまつわることが多いので、ここの御朱印も武田信玄いました‼️
階段を結構登るので、疲れてしまい一番上の小さい部屋のほうまで行けませんでした!
あと、山の中にあるので、異様な空気で、
怖くなって一人っていうのもあって、そそくさとおりました!2.3人人がいて平日なのに。
やはり有名な神社でした。
書き置きです。誰もいませんでした!
木箱にお金をいれて、自分で御朱印は
もらう感じです!
結構階段のぼります❗
入り口です!
本堂です。
822年嵯峨天皇の勅命で武田武大神(ヤマトタケルの子)を祀る社を桜の御所から遷宮し宇佐神宮を勧請合祀して創建されたと伝わる。
貞観年間(859年~876年)には石清水八幡宮が勧請された。
1140年甲斐源氏の流れをくむ新羅三郎義光のひ孫が神前で元服し、武田太郎信義と名乗ったのが甲斐武田氏の発祥である。
以来武田氏の氏神として崇敬された。
現在の本殿は武田信虎が再建に着手し、信玄が1541年に完成させたもので重文指定されている。
拝殿
拝殿
本殿
本殿
本殿
若宮八幡宮本殿
若宮八幡宮本殿
若宮八幡宮本殿
随神門
随神門
随神門
神楽殿
神楽殿
神楽殿
神楽殿
為朝神社
為朝神社
為朝神社
甲斐・諏訪神社巡り⑤身曾岐神社より交通量の少ない県道を走り、山梨気分を味わいながら向かいました。こちらは先程と打って変わって歴史ある神社です。甲斐武田家の氏神として崇敬を集めた、武田信玄が再建した神社です。県道を走って向かうとまず二の鳥居が目に入り、てっきり一の鳥居と勘違いしてしまいます。(一の鳥居はそのずっと手前の歩道上に柱だけがあるらしい)三の鳥居前は石垣に阻まれまっすぐには進めません。随神門前にも賽銭箱が置かれており、間を通ることが出来ません。まずはこちらでお参り。更に随神門の先もブルーシートで覆われ、何やら工事をしている様子。仮道を上がり何とか神楽殿のある境内まで到着。更に石段を上って拝殿へ。こちらで改めてお参りをしました。国の重要文化財である本殿も脇を上がっていくとはっきりと観ることが出来ました。この後為朝神社へ参拝後、社務所へ下り書置きの御朱印を戴きました。社務所は10時からとの情報でしたが、留守のようで常駐はしていない様子。以前参拝した韮崎の若宮八幡宮が本務社のようです。
近くには武田家ゆかりの史跡が点在しているのですが又の機会にします。
二の鳥居 元禄14年(1701)再興、寛政元年(1789)再再興
三の鳥居 天正12年(1584)の修復の記録があります。手前の右側石垣には享保9年(1724)の銘があります
由緒書
天明五年奉拝の灯籠
随神門
随神様
手水舎
参道石段は現在工事中
神楽殿
更に石段を上がります
灯籠
使われていないであろう手水
石祠
石段上から神楽殿を望む
拝殿 武田菱が目を引きます
拝殿の背面に石垣、瑞垣囲われて本殿
更に山を上がるとはっきりと本殿が見えます。天文10年(1541)武田信玄により再建
本殿横に境内摂社、若宮八幡宮
社務所に書き置きの御朱印が用意されています
甲斐源氏ゆかりの地を巡るツアーで訪れました。
5年ぶり2度目の参拝となります。
ちょうど本殿への石段を修復中だったこともあり足場がありましたので
そこを通ってから本殿の左側で宮司さんに解説して頂きました。
1年くらい前に本殿の屋根を葺き替えたばかりだそうで
(手前側は1か月前に葺き替えたそうです)
ついつい見とれてしまいました。
これだけ近くで本殿を見ることが出来て、しかも高い視点で見られるのは
本当にありがたいなぁと思った次第です。
ちなみに、前の参拝の時に気になっていた神社と城跡のほうですが
同じツアー参加者の話だと熊よりも猿を目撃したのでちょっと怖くなって引き返したという話を聞き、ツアー引率の先生の話によるとこの時期はヒルが出るからやめたほうがいい、行くなら冬にしなさいということでした。
あの時の判断は結果的に間違えではなかったようです。
拝殿を見上げる。やっぱすごい迫力です。
なんといってもやっぱり鳥居横の大きな木の迫力はすごい。
凄いんだけど全然写真では伝えられないのでやっぱり現地にいくってことは大事なんだなと。
随身門の横には足場があって現在は工事中だそうです。もうそろそろ終わるという話ではありますので情報をチェックしてみてください。
本殿です。うん、素敵。
まだ銅がぴかぴかしてますね。
破風に鬼のお面がありますね。
本殿の奥にある木もまた凄い。
あら…このマークどこかで見た記憶があるんだがどこだったかな…
手水舎です。ぼちぼち柄杓が戻っているところが見られますね。
ずんぐりとした鳥居です。
【甲斐國 古社巡り】
武田八幡宮は、山梨県韮崎市神山町北宮地にある神社。旧社格は県社。祭神は誉田別命、足仲津彦命、息長足姫命、武田武大神。本殿は国指定の重要文化財。
社伝によると、平安時代初期の822年、宇佐神宮または石清水八幡宮の分霊を勅命によって勧請し、地名から武田八幡宮と称したことに始まる。『甲斐国志』では、当社別当寺の法善寺(南アルプス市)の記録に基づき、822年に空海の夢の中で八幡大菩薩が武田郷に出現したために神祠を構えたのが始まりとしている。なお同書では日本武尊の湖である武田王が御殿を設けたことが武田の地名の由来。
平安時代末期に武田信義が当社を氏神とし社殿を再建している。歴代の甲斐国司も造営を行った。戦国時代には武田信玄が社殿を再建している。武田氏滅亡後の1583年には徳川家康が社領を安堵している。江戸時代に甲府藩主となった柳沢吉保は社殿の修復を行っている。明治時代に入り、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR中央本線・韮崎駅の西方3kmの山の中腹にある。標高が高いので境内入口に立つと、東方に釜無川沿い(JR中央本線沿い)の市街地や甲府盆地北側の山々が見渡せる。境内は斜面にあるので、境内東端入口から徐々に登っていき本殿に至る造りになっている。本殿が国指定の重要文化財の立派な建物であることと、裏山は熊が出没するようで頑丈な鉄柵が張り巡らされていることが印象的。
今回は、山梨県の旧県社、本殿が国指定の重要文化財であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外にも夫婦連れ、家族連れなどの何組もの参拝者・観光客が訪れていた。
釜無川のほとりから1.7kmまっすぐ伸びる公道(県道602号線)上にある<二の鳥居>。
鳥居の350m奥の突き当りにあるのが境内地。
境内東端入口全景。当日は残念ながら入口から参道まで工事中。(^_^;)
境内入口から振り返ると、坂の下の釜無川沿岸地域や、遠くに甲府盆地北部の山々が見える。
中央に<三の鳥居>と<隋神門>、両側に極太の巨木が見える。巨木好きには超魅力的~♪(o^―^o)
かなり立派な<隋神門>。
隋神門に向かって左側にある<手水舎>(左手前)と<社務所>(奥)。御朱印はこちら(書置き)。
参道の階段が工事中につき、特設通路を登って行く。
階段を登り切ったところにある大きな<神楽殿>。
神楽殿よりもさらに高いところに<拝殿>が見える。
<拝殿>への階段を登って行く。
<拝殿>全景。扁額はなし。
<拝殿>内部。奥の本殿を見上げる窓が当社の神紋の形をしている。
<拝殿>の背後、さらに高いところに<本殿>がある。
拝殿横に繋がる建物。前に小さな池がある。
本殿を脇から。本殿の手前に境内社がある。
本殿の背後の高い場所に、幹に注連縄を巻いた<御神木>がある。
こちらが本殿脇の境内社。明るい色の檜皮葺がきれい。
こちらが<本殿>。室町時代後期1541年の建立。三間社流造、檜皮葺。国指定の重要文化財。
本殿の鬼瓦。現代風に変更してあるのかな?(^_^;)
社殿の左手に、末社<為朝神社>への案内があるので、その方向に進んでみる。(御朱印があり、社務所にて書置きで拝受できる。)
黄色い「熊に注意」の看板があるが、相当頑丈なフェンスが当社周辺に張り巡らされている。これは本当に熊が出そう...(^_^;)
100m南の小高い場所にある<為朝神社>。この覆屋の中に、社殿と源為朝像が収められている。
本社社殿に戻って、社殿の右側から<拝殿>と<本殿>。
上の写真の撮影位置にある石製小社群。
最後に、国指定の重要文化財の<本殿>。美しい造形。(^▽^)/
武田神社と違いこちらはひっそりしています。
社務所に宮司さんはいらっしゃいましたが、御朱印は書置きを頂く形になります。
歴史を感じさせる神社です。
石垣があって直接参道が続いていません。
惣門
惣門をくぐると長い階段になります。
舞殿
拝殿
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