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武田八幡宮ではいただけません
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武田八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年04月29日(金)
参拝:2022年3月吉日
【甲斐國 古社巡り】
武田八幡宮は、山梨県韮崎市神山町北宮地にある神社。旧社格は県社。祭神は誉田別命、足仲津彦命、息長足姫命、武田武大神。本殿は国指定の重要文化財。
社伝によると、平安時代初期の822年、宇佐神宮または石清水八幡宮の分霊を勅命によって勧請し、地名から武田八幡宮と称したことに始まる。『甲斐国志』では、当社別当寺の法善寺(南アルプス市)の記録に基づき、822年に空海の夢の中で八幡大菩薩が武田郷に出現したために神祠を構えたのが始まりとしている。なお同書では日本武尊の湖である武田王が御殿を設けたことが武田の地名の由来。
平安時代末期に武田信義が当社を氏神とし社殿を再建している。歴代の甲斐国司も造営を行った。戦国時代には武田信玄が社殿を再建している。武田氏滅亡後の1583年には徳川家康が社領を安堵している。江戸時代に甲府藩主となった柳沢吉保は社殿の修復を行っている。明治時代に入り、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR中央本線・韮崎駅の西方3kmの山の中腹にある。標高が高いので境内入口に立つと、東方に釜無川沿い(JR中央本線沿い)の市街地や甲府盆地北側の山々が見渡せる。境内は斜面にあるので、境内東端入口から徐々に登っていき本殿に至る造りになっている。本殿が国指定の重要文化財の立派な建物であることと、裏山は熊が出没するようで頑丈な鉄柵が張り巡らされていることが印象的。
今回は、山梨県の旧県社、本殿が国指定の重要文化財であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外にも夫婦連れ、家族連れなどの何組もの参拝者・観光客が訪れていた。
釜無川のほとりから1.7kmまっすぐ伸びる公道(県道602号線)上にある<二の鳥居>。
鳥居の350m奥の突き当りにあるのが境内地。
鳥居の350m奥の突き当りにあるのが境内地。
境内東端入口全景。当日は残念ながら入口から参道まで工事中。(^_^;)
境内入口から振り返ると、坂の下の釜無川沿岸地域や、遠くに甲府盆地北部の山々が見える。
中央に<三の鳥居>と<隋神門>、両側に極太の巨木が見える。巨木好きには超魅力的~♪(o^―^o)
かなり立派な<隋神門>。
隋神門に向かって左側にある<手水舎>(左手前)と<社務所>(奥)。御朱印はこちら(書置き)。
参道の階段が工事中につき、特設通路を登って行く。
階段を登り切ったところにある大きな<神楽殿>。
神楽殿よりもさらに高いところに<拝殿>が見える。
<拝殿>への階段を登って行く。
<拝殿>全景。扁額はなし。
<拝殿>内部。奥の本殿を見上げる窓が当社の神紋の形をしている。
<拝殿>の背後、さらに高いところに<本殿>がある。
拝殿横に繋がる建物。前に小さな池がある。
本殿を脇から。本殿の手前に境内社がある。
本殿の背後の高い場所に、幹に注連縄を巻いた<御神木>がある。
こちらが本殿脇の境内社。明るい色の檜皮葺がきれい。
こちらが<本殿>。室町時代後期1541年の建立。三間社流造、檜皮葺。国指定の重要文化財。
本殿の鬼瓦。現代風に変更してあるのかな?(^_^;)
社殿の左手に、末社<為朝神社>への案内があるので、その方向に進んでみる。(御朱印があり、社務所にて書置きで拝受できる。)
黄色い「熊に注意」の看板があるが、相当頑丈なフェンスが当社周辺に張り巡らされている。これは本当に熊が出そう...(^_^;)
黄色い「熊に注意」の看板があるが、相当頑丈なフェンスが当社周辺に張り巡らされている。これは本当に熊が出そう...(^_^;)
100m南の小高い場所にある<為朝神社>。この覆屋の中に、社殿と源為朝像が収められている。
本社社殿に戻って、社殿の右側から<拝殿>と<本殿>。
上の写真の撮影位置にある石製小社群。
最後に、国指定の重要文化財の<本殿>。美しい造形。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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