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さかおりのみや

酒折宮
山梨県 酒折駅

社務所:9:00〜17:00

山梨県のおすすめ❄️

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おすすめの投稿

Suzu歩
Suzu歩
2025年12月02日(火) 17時59分21秒
56投稿

②甲斐善光寺より歩いて10分位山梨県唯一古事記日本書紀に記述のある酒折宮へ。
御祭神 日本武尊
本日10,687歩 222w7-9

酒折宮(山梨県)

連歌発祥の地 御朱印

酒折宮(山梨県)

拝殿

酒折宮(山梨県)

手水舎

酒折宮(山梨県)

酒折祠碑

酒折宮(山梨県)

狛犬越しの拝殿

酒折宮(山梨県)

酒折宮(山梨県)
酒折宮(山梨県)

柿とゴールデンキーウィ頂きました

酒折宮(山梨県)

JR中央本線で高尾までのんびりの帰路🚃

酒折宮(山梨県)

甲府へ続く

酒折宮(山梨県)

車窓 紅葉が綺麗🍁

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神祇伯
神祇伯
2022年06月28日(火) 20時30分02秒
1693投稿

東国を平定しに行った日本武尊さまが朝廷へ戻る途中の停泊地として建てた行宮(あんぐう)がそのまま神社となりました。記紀にも東征の段で名前が出てくるため、甲斐国の中でも最古の神社と言われています。

酒折宮の鳥居

《鳥居》
酒折駅から徒歩10分くらいです。なんか地図では近く見えるのですが、意外に遠い…

酒折宮の周辺

《連歌の碑》
内容としては常陸国の新治、筑波を出てどんくらい経ったっけな・・・という詩に火焚きの番人が9泊10日くらいですわーと歌で返したことから連歌発祥の地といわれています。
日本武尊さまは景行天皇さまによって結構恐れられていたため、西へ東へ出征を命じられ続けられており、なかなか故郷へ帰れませんでした。そのため故郷を偲ぶ詩をよく作っています。

酒折宮のその他建物

《表参道》
意外とこじんまり?してます。戦国時代には武田家に土地取られたんだとか…

酒折宮の手水舎

《手水舎》
水は出ず消毒液でした。

酒折宮のその他建物
酒折宮のその他建物

《酒折祠碑》
酒折宮の由緒です。記紀にも名前が出てくる神社であるということは、古事記を研究した本居宣長先生が触れてないわけがないですよね。

酒折宮の本殿・本堂

《拝殿》🙏
やはり皇族に関連する方の神社のため、伊勢の神宮に近い建築様式を取っています。

酒折宮のお祭り

《賽銭箱前》
大祓の形代がありました。そういえばそろそろですね。

酒折宮のお守り

《御守り》
👁チェックポイント‼️
今回は"豊か守"と"火打石守"を受けました。
この酒折宮自体、部下だった塩海足尼という人を甲斐国造に任じ、火打ち袋を授けたとされています。その火打袋を御神体として建てられたそうですが、残っているのでしょうか?

酒折宮の鳥居

《南参道》
酒折宮から線路沿いに向かうとここに着きます。

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例祭・神事

10月17日 例祭

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歴史

酒折宮は山梨県で唯一、古事記、日本書紀に記載のある古い神社です。記紀には、日本武尊が東夷征伐の帰りに酒折宮に立ち寄り、
「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
と片歌で問いかけたところ、御火焚の者が
「かかなべて夜には九夜日には十日を」
と片歌で答えたことが記載されています。この問答歌のやりとりが日本における連歌の起源とされ、酒折宮は「連歌発祥の地」と言われています。
当宮の由緒によると、日本武尊が酒折宮を発つときに
「吾行末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし」
と言われ、自身の身を救った「火打嚢(ひうちぶくろ)*」を塩海足尼(しおのみのすくね)に授けました。
日本武尊の御命を奉戴した塩海足尼がこの「火打嚢」を御神体として御鎮祭したと伝えられています。

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酒折宮の基本情報

住所

山梨県甲府市酒折3-1-13

行き方

JR中央本線酒折駅より徒歩5分

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名称

酒折宮

読み方

さかおりのみや

通称

氏神様 鎮守様

参拝時間

社務所:9:00〜17:00

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号055-231-2690
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://sakaorinomiya.jp
お守り

あり

詳細情報

ご祭神《主》日本武尊
創建時代

景行天皇の御代

創始者

塩海足尼

本殿

神明造

ご由緒

酒折宮は山梨県で唯一、古事記、日本書紀に記載のある古い神社です。記紀には、日本武尊が東夷征伐の帰りに酒折宮に立ち寄り、
「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
と片歌で問いかけたところ、御火焚の者が
「かかなべて夜には九夜日には十日を」
と片歌で答えたことが記載されています。この問答歌のやりとりが日本における連歌の起源とされ、酒折宮は「連歌発祥の地」と言われています。
当宮の由緒によると、日本武尊が酒折宮を発つときに
「吾行末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし」
と言われ、自身の身を救った「火打嚢(ひうちぶくろ)*」を塩海足尼(しおのみのすくね)に授けました。
日本武尊の御命を奉戴した塩海足尼がこの「火打嚢」を御神体として御鎮祭したと伝えられています。

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