かいぜんこうじ|浄土宗
甲斐善光寺のお参りの記録一覧(4ページ目)

今回は、父や妹も一緒にこれて2度めの参拝です。
池を見ると色とりどりの大きな鯉がゆったりと泳いでいました。
国の重要文化財となっている山門と本堂が、圧巻です。
参拝者がほぼいなかったこともありますが、街中なのに、ここだけは違う気と時間が流れているようです。
今回は「鳴き龍」の御朱印頂いてきました。
車で向かうと、大きな山門が出迎えてくれます。
奥の本堂とともに。
少し紅葉の中の本堂。
鳴き龍の御朱印(書き置き)

武田信玄が川中島の合戦で信濃善光寺の消失を心配して、こちらにご本尊を移したお寺です。
信濃善光寺より規模は小さいですが、ご戒壇廻りができたり、本堂内部の様子などを見ると、信濃善光寺を思い出しました。
ご戒壇廻りは心の形になっていて、暗い中を左側の壁伝いに歩きます。中で鍵に触れる事ができると、御本尊とご縁が結べたことになるそうです。
触れました(^^)
参拝者の人数が少ない分、ゆっくりとお詣りができました。
山門
重要文化財です。とても大きく立派です。
万治2年竣工、そろそろお手入れの時期かも、、しれませんね。
金堂
松の枝がかかり、かっこよく見えました。
金堂中陣天井には巨大な龍が描かれていて、吊り天井になっているため、手を叩くと共鳴して、鳴き龍になります。
東照宮の鳴き龍は拍子木を、係りの人が叩いてくれます。がこちらは自分で、手を叩いて確かめることができます。これが、よく響いて楽しい!!
参拝者もあまり居ないので、何回も手を叩いちゃいました。
金堂内部は写真撮影禁止ですので、絵葉書から引用しました。
御本尊、釈迦如来像
7年ごと、こ開帳します。
お稲荷さん
牛に引かれて善光寺、に似たようなお話です。
梅の花がちらほら咲いていました。
露座大仏
県下最大ですが、作者、制作年代は不明です。
鐘楼
銅鐘は県指定文化財です。信州から引き摺って運んだ「引き摺りの鐘」といわれ、今も時を告げています。
水子地蔵堂

2009年に六善光寺御開帳の時参拝して以来2回目のお詣りです。本来なら来年の令和3年に御開帳でしたが、コロナの影響で令和4年に変更されております。
六善光寺とは、善光寺(長野県長野市)、元善光寺(長野県飯田市)、甲斐善光寺(山梨県甲府市)、善光寺東別院(愛知県稲沢市)、関善光寺(岐阜県関市)、岐阜善光寺(岐阜県岐阜市)の六箇所のお寺が、善光寺の前立本尊御開帳に合わせて同時に御開帳します。
寺号標
甲斐善光寺は武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来像をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まります
山門
参道 意外と参拝者は少なかった
金堂
500円で、本堂内に入って鳴き龍🐉と、戒壇巡りが体験できます
金堂中陣天井には、江戸の希斎という画家によって、巨大な龍が二匹描かれております。
この部分のみは、吊り天井となっており、手をたたくと多重反響現象による共鳴が起こります。
これをいわゆる「鳴き龍」と言われております
鐘楼堂の銅鐘(県指定文化財)は、信州から引きずって運んだ「引き摺りの鐘」だそうです

甲府五山を巡る途中でお参りしましたが、甲府の寺院と言えば、一般には五山よりもここ甲斐善光寺の方が知られているかもしれません。
開基は武田信玄。川中島の合戦の折、長野の善光寺の焼失を恐れ、御本尊の善光寺如来をここに移しました。武田氏滅亡後、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々とし、慶長3(1598)年、長野に帰ったとのことです。
山門、本堂とも長野の善光寺にも引けを取らない大きさです。本堂の天井には龍の絵が描かれ、顔の下で手をたたくと音が反響する「鳴龍」になっています。長野と同じように本堂には戒壇巡りもありました。
線香の自動販売機は初めて見ました。
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