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こうざんじ|曹洞宗

功山寺
山口県 長府駅

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タケちゃん
タケちゃん
2024年08月23日(金)
239投稿

参拝記録

功山寺(山口県)

総門

功山寺(山口県)
功山寺(山口県)

山門

功山寺(山口県)

国宝の仏殿

功山寺(山口県)

高杉晋作像と鐘楼

功山寺(山口県)

法堂

功山寺(山口県)

御朱印

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惣一郎
惣一郎
2023年01月24日(火)
1269投稿

【長門國 古刹巡り】

功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府川端にある曹洞宗の寺院。山号は金山(きんざん)。本尊は千手観世音。長府毛利家の菩提寺。鎌倉時代建立の仏殿は国宝。中国観音霊場第19番札所。

寺伝によると、鎌倉時代末期の1327年に虚庵玄寂を開山として臨済宗の長福寺として創建された。開基は北条時仲と推定されている。なお、仏殿の建立は創建年より早い1320年とされる。1333年に後醍醐天皇の勅願寺となり、1336年には足利尊氏から寺領の寄進を受けるなど朝野の尊崇を受け繁栄した。
室町時代には領主・大内氏の庇護を受け、1476年には大内政弘によって復興されたが、1557年に周防大内氏最後の当主・大内義長が境内で自害したのち一時衰退する。1602年に長府藩主・毛利秀元が金岡用兼を招聘し、曹洞宗の笑山寺として再興した。秀元の死後、1650年に功山寺と改名された。
幕末の1863年、七卿落ちで京を逃れた7人の公卿のうち5人が当寺に滞在。1865年には長州藩士・高杉晋作が当寺で挙兵している(功山寺挙兵:回天義挙)。

当寺は、JR山陽本線・長府駅の南西3kmあまりの小山の東麓にある。入口から軽く登る境内は広く、伽藍としては山門、本堂、そして国宝の仏殿がある。仏殿の奥に長府藩毛利家などの墓所があるが、墓所を除くと見て廻るエリアはさほど広くはない。やはりなんといっても見どころは国宝の仏殿。落ち着いた暗い色合いの躯体と、美しい屋根の反りが良い。

今回は、仏殿が国宝であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外にも夫婦や家族連れなどの参拝者が訪れていた。

功山寺(山口県)

境内東端入口の<総門>。

功山寺(山口県)

総門には「海右大一峯」と書かれた扁額が掛かる。

功山寺の建物その他

参道を進んで左側にある<地蔵堂>。平安末期作とも言われる樟材一本式寄木造りの地蔵像が安置されている。8月24日の地蔵盆の時だけ開帳されるとのこと。

功山寺の山門

参道の先にある<山門(三門)>。江戸時代中期の1773年、長府藩10代藩主・毛利匡芳による建立。三間三戸二重門で、二階楼上には二十八部衆立像が安置されている。

功山寺(山口県)

<山門>をくぐる。向こうにお目当ての仏殿がうっすら見える。

功山寺(山口県)

山門の先にある<仏殿>。鎌倉時代末期の1320年建立。桁行三間、梁間三間、一重裳階付、入母屋造、檜皮葺。国宝。

功山寺(山口県)

<仏殿>正面。

功山寺(山口県)

<仏殿>内部。

功山寺(山口県)

仏殿の右手に建つ<法堂>。

功山寺の本殿

<法堂>正面。上部の扁額には「選佛場」の文字。

功山寺(山口県)

法堂と向かい合って建つ<輪蔵>。江戸時代中期の1799年、長府藩11代藩主・毛利元義により、藩祖・秀元公百五十回忌のくようとして建立。方三間、宝型造。

功山寺(山口県)

輪蔵の左手に建つ<鐘楼>。

功山寺の像

鐘楼の近くにある<高杉晋作回天義挙の像>。

功山寺(山口県)

本堂前にある<水屋>。この後ろに<授与所>がある。御朱印はそちら。

功山寺(山口県)

仏殿と法堂の間と通って、奥に行ってみる。

功山寺(山口県)

奥には<毛利家墓所>がある。他にも<長府藩士・三吉慎蔵墓所>、<大内義長公の墓>がある。

功山寺(山口県)

山門の南側にある<長府博物館(旧長門尊攘堂)>。

功山寺の建物その他

長府博物館の南側にある<万骨塔>。

功山寺の建物その他

最後にもう一度、国宝の<仏殿>。700年前の鎌倉時代の建物と思うと感動もの。(^▽^)/

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歴史

曹洞宗、嘉暦二年(1327)の創建。当初は臨済宗で金山長福寺と称し、足利氏、厚東氏、大内氏など部門の尊敬あつく隆盛を誇ったが、弘治三年(1557)大内義長がここに自刃、この戦乱によって一時堂宇の荒廃をみた。
その後、慶長七年(1602)長府藩祖毛利秀元が修営、曹洞宗に天宗した。二代藩主光広が、秀元公の霊位をこの寺に安置して以来、長府毛利家の菩提寺となり、秀元の法号、智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで功山寺と改称した。
現在の仏殿は、元応二年(1320)の建立で典型的な鎌倉期禅宗様式として国宝に指定、十代藩主匡芳の時、当地工匠の作による山門は市指定文化財となっている。
その他境内には、県文化財の木造地蔵菩薩半跏像をはじめ、大内義長の墓と伝えられる宝篋印塔、五卿西下潜居の間、高杉晋作挙兵の処など数々の史跡や文化遺産が残されており、境内地(付、伝大内義長の墓)も記念物として市文化財に指定されている。

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功山寺の基本情報

住所山口県下関市長府川端1-2-3
行き方
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名称功山寺
読み方こうざんじ
参拝料

本堂内拝観300円

トイレ有り
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号083-245-0258
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://kouzanji.org

巡礼の詳細情報

山陽花の寺二十四か寺

中国観音霊場

第19番

御本尊:千手観世音菩薩・釈迦牟尼如来

御詠歌:

ありがたき のりのおしえの こうざんじ たすけたまえと いのるみほとけ

詳細情報

ご本尊釈迦如来
宗旨・宗派曹洞宗
ご由緒

曹洞宗、嘉暦二年(1327)の創建。当初は臨済宗で金山長福寺と称し、足利氏、厚東氏、大内氏など部門の尊敬あつく隆盛を誇ったが、弘治三年(1557)大内義長がここに自刃、この戦乱によって一時堂宇の荒廃をみた。
その後、慶長七年(1602)長府藩祖毛利秀元が修営、曹洞宗に天宗した。二代藩主光広が、秀元公の霊位をこの寺に安置して以来、長府毛利家の菩提寺となり、秀元の法号、智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで功山寺と改称した。
現在の仏殿は、元応二年(1320)の建立で典型的な鎌倉期禅宗様式として国宝に指定、十代藩主匡芳の時、当地工匠の作による山門は市指定文化財となっている。
その他境内には、県文化財の木造地蔵菩薩半跏像をはじめ、大内義長の墓と伝えられる宝篋印塔、五卿西下潜居の間、高杉晋作挙兵の処など数々の史跡や文化遺産が残されており、境内地(付、伝大内義長の墓)も記念物として市文化財に指定されている。

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