のぎじんじゃ
乃木神社のお参りの記録一覧
山口県下関市に鎮座する乃木神社。
全国に大日本帝国陸軍の乃木希典大将を祀った乃木神社は数社あり、そのうちの一社となります。
ここ下関長府は乃木大将が嘉永2年(1849年)、長府藩の藩士である乃木希次の三男として江戸麻布の長府毛利藩邸に生まれたのち、安政5年(1858年)に家族で下向し移り住んだところになります。
境内には復元された旧邸が保存されていて、その中には乃木大将の甥である彫刻家の長谷川栄作さんが製作された少年時代の乃木大将と両親の木彫坐像が置かれていました。
拝殿前には「乃木さんのお言葉」として、「私は沙沙貴神社に度々参詣するが、この神社には私のお祖父さん、その又お祖父さんまだずっと先のお祖父さんが祭ってある・・・(以下省略)」と書かれたパネルがありました。
不勉強な私は、沙沙貴神社って滋賀県だけどなぜ乃木大将と関係が?と思って、帰宅後に調べてみると、宇多源氏佐々木氏の流れを汲んでいたんですね。
沙沙貴神社には数年前に参拝させていただきましたが、ようやくここでつながったような気がします。
<御祭神>
乃木希典大人之命
乃木静子刀自之命
<御由緒>~乃木神社パンフレットより~
乃木将軍殉死後、追慕の念高揚し、乃木神社建立の儀が起こり、広く有志の協力を得て大正八年十二月御祭神ゆかりの台湾の有山の檜を用いて社殿が竣工し、大正九年四月鎮座祭が行われ、名実ともに「乃木神社」が創建し、人々の信仰を集めた。
手水舎
拝殿
「乃木さんのお言葉」
本殿
さざれ石
御神水
乃木大将御夫妻銅像
乃木家旧邸
【長門國 古社巡り】
乃木神社(のぎ~)は、山口県下関市長府宮の内町にある神社。旧社格は県社。祭神は乃木希典命。祭神が生前、学習院長として昭和天皇の教育係を務めたことから、当地では学問の神様としても知られている。
日露戦争の旅順攻囲戦を指揮したことで知られる乃木希典陸軍大将が、1912年に明治天皇崩御ののちその後を追って殉死した。1914年に乃木大将の郷里である当地・長府に乃木記念会が結成され、幼少期を過ごした旧家を復元し、幼少期以降の遺品を展示する乃木記念館が設立された。その後、1920年に乃木記念館の隣接地に、乃木大将を祀る当社が創建された。近代社格制度のもとで、県社に列格した。
当社は、JR山陽本線・長府駅の南西3kmの市街地の中、ごく緩やかな傾斜地にある。長門國二之宮の忌宮神社の北西に位置していて、忌宮神社の北鳥居からすぐの場所にある。境内はなかなか広く、参道、社殿以外に、武道館、宝物館、乃木旧邸がある。見どころは、陸軍大将・乃木希典が青年期を過ごした邸宅をリアルに再現した乃木旧邸と、乃木大将直筆の書画を展示している宝物館。時間を忘れて見入ってしまった。
今回は、山口県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外には特に参拝者は見掛けなかった。
境内の東方200mの、長府中心地の商店街「乃木さん通り」近くにある<一の鳥居>。
この鳥居の左手は「忌宮神社」の境内で、すぐ近くに「荒熊稲荷神社」がある。
境内東端入口の<二の鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐって、参道左側にある<手水舎>。
参道から見て、手水舎の後方にある<武道館>。旧乃木道場で、現下関市長府武道館。
日露戦争の英雄、陸軍大将・乃木希典を偲んで建てられたもの。
<拝殿>全景。しっかりと桁行が広い。
拝殿前左側の<狛犬>。古風な出で立ち。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。奥の幣殿、本殿まで採光が良く明るい。
拝殿に向かって右手にある<社務所>。御朱印はこちら。
拝殿後ろの<本殿>。瑞垣には干支の絵馬が2枚ずつ飾られている。
本殿の左手にある<さざれ石①>。
その横にある<さざれ石②>。
さざれ石②の左手にある<神馬>と<乃木大将御夫妻象>。
本殿に向かって左手にある<宝物館>。乃木大将直筆の書画など、ゆかりの品が展示されている。
宝物館の前に立っている<二百三高地の松>。
宝物館の前に建つ<乃木旧邸>。
乃木希典が当地・長府にて10歳から16歳までを過ごした家を再現している。
<乃木旧邸>の内部。左奥が父・乃木十郎希次、右奥が母・乃木寿子、右手前が乃木無人(なきと;のちの希典)とある。父の湯飲み茶わんが妙にリアルでいい。
乃木旧邸の前にある<梅井>。乃木家用の井戸で、乃木大将が帰郷の際は必ずこの水を飲んで昔を偲んでいたとのこと。(^▽^)/
山口県下関市長府にある乃木神社に行きました。
乃木希典大将は今の若い人にはあまり知られてませんませんが、私は日本人らしい彼の実直な性格がとても好きです☺️
当時の軍人に見られる様に言葉少なくどんなことを考えていたかわかりませんが
私の予想では彼は多分、戦争ってまじ勘弁、家族大事だし平和な世の中にならんかなー💦
って思ったに違いない☺️
イメージでは日露戦争、軍人のイメージが強い印象ですが学問の神社でした。
乃木神社の歴史を紹介してありますよね。
薩摩おごじょ静子と希典像。
静子さんは軍人の夫と軍人の息子をもち、息子2人は日露戦争で戦死しました。彼女は壮絶な人生を送ったと記してありました。
胸が苦しくなりました。
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