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さがえはちまんぐう

寒河江八幡宮のお参りの記録(1回目)
山形県西寒河江駅

投稿日:2025年05月03日(土) 17時16分27秒
参拝:2025年5月吉日
山形日帰り➅ナビに従い車参道を上がって拝殿祖叔母の駐車場に到着。裏参道、表参道があるのを後から気づきましたが今回は表参道には戻り直さずに参拝。寒河江の総鎮守で前九年の役の際、源頼義・義家親子が八幡宮をお祀りしたのが起源です。その後鎌倉幕府御家人、大江広元が源頼朝より寒河江荘を賜り地頭となった際に改めて鶴岡八幡宮を勧請しました。後に承久の乱で敗走した広元の子親広がその後地頭職を相続。実際に寒河江に定着定住したのは親広のひ孫大江泰広の時代。寒河江氏五代とされるが、実質的に初代問い云ってはいいのではないだろうか?と歴史を紐解くときりがない。
寒河江八幡宮(山形県)
境内社鳥居 扁額には「開運之神」
寒河江八幡宮(山形県)
境内社 聖徳太子
寒河江八幡宮(山形県)
境内社鳥居 扁額には「水神様」
寒河江八幡宮(山形県)
御神濡水
寒河江八幡宮(山形県)
臥龍神輿庫
寒河江八幡宮(山形県)
境内社鳥居
寒河江八幡宮(山形県)
境内社 稲荷神社
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
神輿殿
寒河江八幡宮(山形県)
御神輿
寒河江八幡宮(山形県)
令和六年(2024)造営の随神門
寒河江八幡宮(山形県)
随神様
寒河江八幡宮(山形県)
本来はこの石段を上ってきます
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
遥か下に表参道鳥居が見えました
寒河江八幡宮(山形県)
文化十二年(1815)奉納の燈籠
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
本殿・拝殿説明書
寒河江八幡宮(山形県)
安永四年(1775)造営の拝殿
寒河江八幡宮(山形県)
扁額
寒河江八幡宮(山形県)
由緒書
寒河江八幡宮(山形県)
貞享三年(1686)造営の本殿
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
昭和四十ニ年まで二百数十年使用されていた古鐘
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
照古殿
寒河江八幡宮(山形県)
大正三年(1914)奉納の燈籠
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
境内社 高良神社・新山神社 御祭神:武内宿禰・大山祇命
寒河江八幡宮(山形県)
扁額
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
鳥居の背後には以前夫婦杉がありましたが、平成三十年(2018)伐採
寒河江八幡宮(山形県)
夫婦杉の御神体となっています「古代王」モニュメント(平成二十年(2008)、布施美津子寄贈)
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
寒河江八幡宮(山形県)
鐘衡堂 鐘は昭和四十ニ年(1967)新鋳
寒河江八幡宮(山形県)
明治三年(1870)建立の忠魂碑(山形有朋元帥揮毫)

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