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ちょうかいさんおおものいみじんじゃわらびおかぐちのみや

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮のお参りの記録一覧
山形県 遊佐駅

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わかちこ
わかちこ
2024年10月16日(水)503投稿

吹浦口ノ宮から約10kmのところにあるこちらのお宮。
御由緒書きを読んでみると、かつてはこの蕨岡口が最大勢力を誇っていたそうです。

境内は無人なので、御朱印は吹浦口ノ宮でいただきます。

社殿は拝殿のみで、よく見られる本殿というものがありません。

説明板によると、社殿の内部が内陣外陣に分かれており、背面側中央に宮殿が設けられているそうです。

参拝のために近づいていくと、建物の巨大さがますます強調されていくので圧巻です。

秋田方面からの鳥海山は雨で姿を見ることは叶いませんでしたが、吹浦口ノ宮〜丸池神社を参拝中には曇り空となってくっきりと鳥海山が姿を現してくれました😊
そして蕨岡口ノ宮の参拝を終えて帰宅の途につき、何気なく鳥海山を最後に見ようと思ったら、すでに雲に覆われてお姿を隠してました。

大物忌神社参拝とともに姿を見せて、終わるとお隠れになられたので、きっと神様が見守ってくれたのだなぁと思わずにはいられませんでした。

帰りは鳥中華と山形牛のミニ牛丼を堪能して福島に帰りました😋

これにて夏休みの秋田旅行は終了!!
今回の2泊3日旅行では
参拝した神社 19社
総走行距離 約1100km
総歩数 約45700歩

結構カロリーを消費したと思いますが、その分グルメを味わい尽くしたのでプラマイゼロかな笑

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮(山形県)

境内入り口

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮(山形県)

社号標

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sasaki3
sasaki3
2024年06月22日(土)2962投稿

鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮 出羽国一ノ宮

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の御朱印

鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮 出羽国一ノ宮

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮(山形県)

鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮 出羽国一ノ宮

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K.T
K.T
2026年02月21日(土)1012投稿

参拝記念保存のため、投稿します。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の御朱印

吹浦口之宮で、蕨岡口之宮と合わせた御朱印をいただきました。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮(山形県)
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2024年10月10日(木)558投稿

山形県遊佐町に鎮座する、出羽国一宮 鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)2023.7に参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、主祭神は大物忌大神、神体は鳥海山(神体山)社格等は式内社(名神大)出羽国一宮、旧国幣中社、別表神社、創建は(伝)景行天皇または欽明天皇年間神社。元の名は鳥海山神社、社伝によれば、第十二代景行天皇の御代当国に現れ、神社の創祀は第二十九代欽明天皇二十五年(564)の御代と伝えられている。鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われた。本殿は山頂に鎮座し、麓に「口ノ宮」と呼ばれる、里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座、吹浦とは別の縁起が伝わる蕨岡の「鳥海山記并序」(宝永6年、1709年)では、役行者が開山したとする前提で、行者がはじめて山に登ったとき、「鳥の海」をみたことから「鳥海山」と名づけられたとしている、なお、社の創建のとき、山に名称はなく、現在の「鳥海山」という山名ができた由来には諸説あり、山上にあって霊鳥が生息すると言い伝えられる「鳥の海」によるとする説が有力である、蕨岡に伝わる他の縁起では、「鳥海山縁起和讃」(嘉永5年、1852年)に、天武天皇のとき、山の神の命により、役行者が山中に出没する鬼を退治し、開山したと記されている、この縁起は、吹浦に伝わる慈覚大師(円仁)の創建とする説よりも年代を古い説を唱え、対抗しようという意図がみられるとされる、関連して、蕨岡の東之院興源は「出羽國一宮鳥海山略縁起」(安政4年、1857年)の中で、役行者が山中に神の眷属である三十六王子を祀り山の守護神としたという記載があり、実際に、蕨岡では山道に三十六王子を祀っていたという、ニギハヤヒが天鳥船に乗り、上空から眺めて、トリミヤマと名付け、それが転訛し、鳥海(とりみ)山となりチョウカイザンと呼ぶ様になった

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惣一郎
惣一郎
2021年10月23日(土)1269投稿

鳥海山大物忌神社(ちょうかいさん・おおものいみ~)蕨岡口ノ宮(わらびおかくちのみや)は、山形県飽海郡遊佐町蕨岡松ヶ岡にある神社。式内社(名神大)で、出羽国一之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、大物忌大神。歴史的経緯から、鳥海山山頂と吹浦と蕨岡の3つの社殿があるが、これを一体として鳥海山大物忌神社と称し、山頂の権現堂が本殿で、吹浦と蕨岡はそれぞれ口ノ宮(里宮)という変則的な祭祀体制となっている。

創建は不詳。鳥海山は主たる登山口だけでも吹浦、蕨岡、矢島、小滝の4カ所があり、登山口ごとに信徒が一定の勢力を構成し、異なる伝承が伝わるうえ、登山口間の争いが多かったことから伝説がゆがめられることも多く定説をみない。吹浦の社について、江戸時代に記された『大物忌小物忌縁起』では、景行天皇の御代に出羽国に神が現れ、欽明天皇の御代の564年に飽海郡山上に鎮まり、平安時代初期の806年に吹浦村に遷座と記載されている。蕨岡の社については、同じく江戸時代に記された『鳥海山記并序』、『鳥海山縁起和讃』では、天武天皇の御代に、山の神の命により役行者が山中に出没する鬼を退治して開山し、行者が山に登った際「鳥の海」を見たことから「鳥海山」と名付けたとしている。

平安時代には六国史にもたびたび登場するが、927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「出羽国 飽海郡 大物忌神社 名神大」に比定され、『延喜式』の「主税式」においては、国家の正税から祭祀料2,000束を受ける記載(他は陸奥国鹽竈社、伊豆国三島社、淡路国大和大国魂社)があり、国家から特別な扱いを受けていたことが伺える。中世において当社は出羽国一之宮とされるとともに、鳥海山と月山の双方を祀る「両所宮」と称されていた。また、六国史の記載によると、平安時代以降、神仏習合が進み、仏教隆盛の元、当社は本地垂迹説により鳥海山大権現と称して社僧が奉仕した。江戸時代になると、山頂の鳥海山大権現の管理、社殿の立替、一之宮の称号の使用を巡って登山口間の争いが頻発し、その度に庄内藩、江戸寺社奉行が裁定に入ったが、最終的には明治時代に有栖川宮熾仁親王の通達により、現在の変則的な祭祀体制をもって争いは収束した。

当社(蕨岡口)は、JR羽越本線・遊佐駅の南東4kmの鳥海山の南西山裾で、平地からは少し山道を登った場所にある。境内入口には隋身門(仁王門)があって、神仏習合の名残りを色濃く感じられ、少し登った場所にある社殿(拝殿)は非常に大きく、境内全体に荘厳な雰囲気が漂っている。ただこちらも吹浦口と同様、他の一之宮と比べると、境内社の数は少なく、見て廻るエリアは広くはない。

今回は、出羽国の一之宮、式内社、旧国幣中社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分たち以外には、観光客と思しき夫婦が1組だけ来ていた。

※鳥海山大物忌神社(蕨岡口)は無人社。御朱印は鳥海山大物忌神社(吹浦口)で拝受できる。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の鳥居

境内西端入口にある<二の鳥居>と<社号標>。ここから300mほど西側に一の鳥居がある。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の山門・神門

鳥居をくぐると、すぐに<隋神門>。元仁王門で、吹浦口ノ宮と違って仏教テイストを感じる。

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