佛母山金勝寺
南北朝時代の暦応三年(1340)二月、夢窓国師という名僧によって開創されたことを伝えていますが、それ以前既に山家集落には法相宗で「建正寺」という名で建立されていたという伝承もあります。宗旨は不明ですが元は出羽國の元庄司従四位出羽権守山家氏の菩提寺であったというのです。夢窓国師の開創時は臨済宗であったことは間違いありません。それからもう670年余の歴史を経ていることになります。
その後室町時代の應永十七年(1410)正月、山形二代城主斯波直家公が葬られ、法名を金勝寺殿潭光公大居士と号し、その菩提寺となり開基となりました。その時その子が満直公が、堂塔伽藍を建立し、山林竹木、寺領をはじめ色々なものを寄進して篤くその冥福を祈ったのでした。
その後天文二年(1533)新庄市の戸澤家の菩提寺瑞雲院から五世三光存辰大和尚が住職として入寺、それ以後曹洞宗として現在まで多くの壇信徒のもとに続いており、現住職の禅董大和尚はその二十七世にあたります。
加えて境内には地蔵堂・観音堂(旧僧堂跡地)・秋葉神社・摩利支天堂・五百羅漢堂などがあり、庭園は夢窓国師の指示によって造園されたと言われる見事なものです。
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