ふだらくさんじ|天台宗|熊野山
補陀洛山寺のお参りの記録一覧
一気に山を下り補陀洛山寺様を目指しました。
かつて補陀洛渡海を行っていた頃、渡海僧が最期のお務めを行った御寺様です。
補陀洛渡海は僧侶が一人で補陀洛舟に乗り込み、僅かな食料と灯火の為の油を積込み、小舟の屋形部分に籠り外から釘打ちをされた状態で外洋で放たれるという儀式です。
補陀洛は観音様が住まう浄土であるとされ、日本では遥か南方に存在すると考えられていました。
熊野では二十五名の観音信者が出港したと記録されています。
生きたまま行われる水葬、自らの心命を観音様に捧げる捨身行だったそうです。
到着したのが16時を過ぎていて、残念ながら展示されている補陀洛舟のレプリカを見ることが叶いませんでした(T^T)
ネットで拾ってきました(-_-;)
今回は南紀の寺院巡りです。先ず1寺目は、和歌山県那智勝浦町に在る白華山 補陀洛山寺です。
天台宗で、本尊は千手観音(三貌十一面千手千眼観音)。
この本尊・千手観音立像は重文で秘仏、1月27日、5月17日、7月10日の3日のみ開帳されます。他に所蔵の天部形立像(持国天、広目天)は県指定文化財です。
本尊を拝観するため、今回1月27日に訪れた次第です。
仁徳天皇の時代(4世紀末から5世紀前半)にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝わります。また、平安時代から江戸時代に、観音浄土である補陀洛山へ行って往生しようと浜の宮(那智の浜)から小舟で旅立った。これを「補陀洛渡海」と言い、20人程の記録が残る。江戸時代までは大伽藍を有する寺院であったが、1808年に来襲した台風で倒壊。仮本堂が建つのみであったが、現在の本堂は平成2年に再建されました。
コロナの事もあり、予定通りに開帳されるのかと、仏像拝観可能時間を確認するため、事前に連絡してお聞きした所、「法要が11時からで、準備もあるため、8時半~10時半ならば近くから拝観出来ます。」との事でした。自宅から南紀は結構遠いです。約250km、4時間は掛かるだろうと自宅を6時前に出発、丁度4時間で到着。道路沿いに結構広い駐車場があり、停めさせて頂きました。
柱2本タイプの山門、山門の先に本堂。本堂右手前の手水(ふだらく水)にて身を清めて本堂へ。靴を脱いで上がらせて頂きました。内陣には椅子が並べられており法要の準備は万端の様子。スーツを着た方が数名、檀家さんでしょうか、近くまで行って拝んで下さいと。
厨子が開かれていて本尊・千手観音立像、厨子の左右には県指定文化財の天部形立像、右側の脇間には不動三尊と不動明王坐像と千手観音を安置。
本尊の千手観音立像は、高さ約170cm、一木造、彩色は無し。お顔はふっくらとして、お顔のパーツはくっきりと彫られています。衣の彫りは浅目で、平安後期~鎌倉初期の作と考えられています。また、正面からですとわかり辛いですが、両耳の後ろにもお顔があり、三面千手観音像です。これにより三貌十一面千手千眼観音と呼ばれています。貌(ボウ)とは顔や姿の意味があり、三つの顔という事ですね。また、一般的な千手観音像の腕の数は42本ですが、こちらは44本であり、和歌山県の道成寺の国宝・千手観音と同じ腕の数です。紀伊の国で流行したのでしょうか。
厨子の両脇の天部形立像は持国天と広目天で、元は四天王像だったのが遺失して二天像が遺ったと思われます。古い造りの様に見えますので、本尊の千手観音より古いと前に造られたと思われます。
外陣脇に納経所?があり、御朱印を頂きました。
本堂を出て左側(南側)の小屋に複製された補陀落渡海船が展示されています。片道切符の船ですので小さいです。四方に鳥居が取り付けられていて少々異様。浄土へ行きたいという強い気持ちがあったのは理解しますが何とも言えない感じでした。
また、境内裏側を少し登った所に、渡海上人供養塔と平維盛供養塔がありました。
御朱印
本堂
本尊・千手観音立像(ネットから転載)
天部形立像
手水(ふだらく水)
補陀落渡海船
渡海上人 供養塔
平維盛 供養塔
熊野速玉大社から熊野那智大社へ向かう途中、那智駅でバスの待ち時間を利用して参拝しました。
補陀洛渡海で知られる古刹です。
境内には渡海船のレプリカ展示もありました。
御朱印は直書きで頂きました。
御朱印
本堂
本堂斜めから📸
補陀洛船
補陀洛渡海の説明
補陀洛山寺(補陀洛渡海)の説明
熊野川沿いを離れ、海辺の道を通って那智川へ向かい、補陀洛山寺に参拝
かつては目の前に海があり、那智の浜から観音浄土を目指して船出する「補陀落渡海」が行われていたとのこと、868年から1722年までに25人もの記録が残っています
境内と本堂
手水舎、「ふだらく水」とあります
本堂
もう少し近づいて
本堂の扁額には「補陀洛山寺」
お寺の奥には歴代上人のお墓
さらに登っていくと
那智の浜から船出して入水したという平維盛の供養塔がありました
そして補陀洛渡海上人たちのお墓
こちらにも
こちらにも・・・
渡海船(復元)、四方に鳥居が設けられています
渡海船の正面側には「南無阿弥陀仏」
この中に渡海上人が乗り込み、万が一にも出られないように封じられて出航したと
補陀落渡海とは壮絶な捨身行ですね
御由緒
串本温泉から瀞峡に行く途中で立ち寄ったお寺卍
住職さんがとてもお優しい方でした😊
海のかなたにある観音浄土を目指す補陀落渡海の出発点と言われてます🚣♂️
お寺の大きな見どころが補陀洛渡海船🚣♀️
その昔、住職は60歳ごろになると、この船に30日分の灯油と食料を携え、南海彼方の観音浄土を目指して「帰らぬ旅」へと船出したそうです😱
海の捨身行、補陀洛渡海で有名な補陀洛山寺です!
わずかな食糧と上人を乗せた船を外から釘打ちして、那智の浜から補陀洛へと旅立たれていきました。
補陀洛渡海以外にも、無関係ではないかもしれませんが…平家物語のクライマックス、維盛入水の地でもありまして、平維盛の供養塔もございます。
補陀洛渡海の船が復元されています。
平維盛供養塔
こちらの記録にあるだけでも26人の上人が補陀洛に向けて旅立たれています。
すぐ近くの那智の浜です。
平維盛と平時子の供養塔がある「補陀洛山寺」
那智駅から那智大社までの間にある那智勝浦古座川線沿い。
駐車場あり。
真隣が熊野三所大神社。
どこが入り口かよくわからないけど、本堂、観音像、補陀洛渡海記念碑、補陀洛渡海に行く船がある。本堂裏の山の中腹に補陀洛渡海に行った20名ほどのお墓と平維盛と平時子の供養塔。
御朱印は本堂でいただける。
補陀洛渡海とは、那智の浜からちょっとの食糧を積んで生きたまま船に乗って、釘で打ち付けて出れないようにした状態で海の彼方にあると信じられた観音浄土を目指す。その出発点。
今とは感覚が違うけど補陀洛渡海は本当意味わからん。
平維盛も補陀洛渡海を行ったとされ石碑に名前が載っておりお墓もある。だが、入水せず紀伊半島に隠れたとか色々な説がある。時子は知らん。
本堂
補陀落海用の船。結構凝った装飾
石碑。寿永三年(1184年)に維盛の名前がある。
本堂裏から供養塔までの道。山道だけど5分で着く。
維盛供養塔とか
補陀落上人のお墓
《世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」その15》
暑い夏の日、熊野へ。
補陀洛渡海で知られる補陀洛山寺です。
補陀洛(補陀落とも書きます)とは観音菩薩が降り立つとされる南方の浄土であり、補陀洛渡海とは単身小船に乗り南方浄土を目指す捨身行のことです。
日本の各地に補陀洛渡海の記録が残っていますが、その大半はここ補陀洛山寺で行われたそうです。
このお寺には復元された渡海船が置かれており、当時の人々の浄土への想いが伝わってきます。
また、平清盛の嫡孫である平維盛の伝説が残る地でもあり、お寺の裏山には供養塔が残されています。
その14へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgts/Hmgtstk/Dktyzm/14778/92581/
その16へ
https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrtts/Hrttstm/Dakar/103057/93865/
《御朱印》
《補陀洛山寺本堂》
世界遺産の一部ですが人は少なく静かな境内です。
《世界遺産の碑》
補陀洛渡海発祥の地とあります。
境内の観音菩薩と地蔵菩薩
参拝。
夏の空に山の緑が映えます。
本当に静かな境内です。
隣接する熊野三所大神社。
九十九王子の一つ「浜の宮王子」社跡に建ちます。
《補陀洛渡海船》
船上の屋形に扉はありません。
30日分の水・食料とともに渡海上人が乗り込むと入口は板で塞がれ釘が打たれたのです。渡海船は沖へ曳航され、縄が切られて見送られたといいます。
まさしく死出の旅だったのですね…。
裏山に渡海した上人と平維盛の供養塔があります。
石段と木の根の道を上ります。
静かなお寺のさらに裏。人があまり通らないのでしょう、苔が生えた道を上がっていきます。
《平維盛供養塔説明板》
平清盛の嫡孫で美貌の貴公子とされた維盛。
平家物語では那智の沖にある山成島にて自らの名を松の木に刻み沖に漕ぎ出して入水したとされます。
《平維盛供養塔》
しかし、維盛にはそれ以降の生存説があって各地に維盛の伝説が存在します。
那智勝浦には色川郷に隠れ住んだという話が残り、吉野の野迫川の地には異なる話が伝わっています。一ノ谷の戦いの後、維盛は熊野別当湛増の下へ赴き援助を求めますが源氏優勢とみた湛増は援助を断り維盛に自らの娘を娶らせた後に匿ったとされます。湛増の守護を受けた維盛は平氏追討の手を逃れつつ熊野山中を転々とし、野迫川村の平の地にて生涯を終えたと。
平氏から多大の恩顧を受けていた湛増の計らいだったのでしょうか。熊野は源平時代の逸話が多く残る地であり、壮絶な信仰を今に伝える場所でした。
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