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ふだらくさんじ|天台宗熊野山

補陀洛山寺のお参りの記録一覧
和歌山県 那智駅

nomuten
nomuten
2024年01月28日(日)
991投稿

今回は南紀の寺院巡りです。先ず1寺目は、和歌山県那智勝浦町に在る白華山 補陀洛山寺です。
天台宗で、本尊は千手観音(三貌十一面千手千眼観音)。
この本尊・千手観音立像は重文で秘仏、1月27日、5月17日、7月10日の3日のみ開帳されます。他に所蔵の天部形立像(持国天、広目天)は県指定文化財です。
本尊を拝観するため、今回1月27日に訪れた次第です。

仁徳天皇の時代(4世紀末から5世紀前半)にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝わります。また、平安時代から江戸時代に、観音浄土である補陀洛山へ行って往生しようと浜の宮(那智の浜)から小舟で旅立った。これを「補陀洛渡海」と言い、20人程の記録が残る。江戸時代までは大伽藍を有する寺院であったが、1808年に来襲した台風で倒壊。仮本堂が建つのみであったが、現在の本堂は平成2年に再建されました。

コロナの事もあり、予定通りに開帳されるのかと、仏像拝観可能時間を確認するため、事前に連絡してお聞きした所、「法要が11時からで、準備もあるため、8時半~10時半ならば近くから拝観出来ます。」との事でした。自宅から南紀は結構遠いです。約250km、4時間は掛かるだろうと自宅を6時前に出発、丁度4時間で到着。道路沿いに結構広い駐車場があり、停めさせて頂きました。
柱2本タイプの山門、山門の先に本堂。本堂右手前の手水(ふだらく水)にて身を清めて本堂へ。靴を脱いで上がらせて頂きました。内陣には椅子が並べられており法要の準備は万端の様子。スーツを着た方が数名、檀家さんでしょうか、近くまで行って拝んで下さいと。
厨子が開かれていて本尊・千手観音立像、厨子の左右には県指定文化財の天部形立像、右側の脇間には不動三尊と不動明王坐像と千手観音を安置。
本尊の千手観音立像は、高さ約170cm、一木造、彩色は無し。お顔はふっくらとして、お顔のパーツはくっきりと彫られています。衣の彫りは浅目で、平安後期~鎌倉初期の作と考えられています。また、正面からですとわかり辛いですが、両耳の後ろにもお顔があり、三面千手観音像です。これにより三貌十一面千手千眼観音と呼ばれています。貌(ボウ)とは顔や姿の意味があり、三つの顔という事ですね。また、一般的な千手観音像の腕の数は42本ですが、こちらは44本であり、和歌山県の道成寺の国宝・千手観音と同じ腕の数です。紀伊の国で流行したのでしょうか。
厨子の両脇の天部形立像は持国天と広目天で、元は四天王像だったのが遺失して二天像が遺ったと思われます。古い造りの様に見えますので、本尊の千手観音より古いと前に造られたと思われます。
外陣脇に納経所?があり、御朱印を頂きました。
本堂を出て左側(南側)の小屋に複製された補陀落渡海船が展示されています。片道切符の船ですので小さいです。四方に鳥居が取り付けられていて少々異様。浄土へ行きたいという強い気持ちがあったのは理解しますが何とも言えない感じでした。
また、境内裏側を少し登った所に、渡海上人供養塔と平維盛供養塔がありました。

補陀洛山寺(和歌山県)

御朱印

補陀洛山寺(和歌山県)
補陀洛山寺(和歌山県)

本堂

補陀洛山寺(和歌山県)
補陀洛山寺(和歌山県)

本尊・千手観音立像(ネットから転載)

補陀洛山寺(和歌山県)

天部形立像

補陀洛山寺(和歌山県)

手水(ふだらく水)

補陀洛山寺(和歌山県)

補陀落渡海船

補陀洛山寺(和歌山県)
補陀洛山寺(和歌山県)

渡海上人 供養塔

補陀洛山寺(和歌山県)

平維盛 供養塔

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伶
2022年06月30日(木)
159投稿

熊野川沿いを離れ、海辺の道を通って那智川へ向かい、補陀洛山寺に参拝
かつては目の前に海があり、那智の浜から観音浄土を目指して船出する「補陀落渡海」が行われていたとのこと、868年から1722年までに25人もの記録が残っています

補陀洛山寺(和歌山県)

境内と本堂

補陀洛山寺の手水

手水舎、「ふだらく水」とあります

補陀洛山寺の本殿

本堂

補陀洛山寺の本殿

もう少し近づいて

補陀洛山寺(和歌山県)

本堂の扁額には「補陀洛山寺」

補陀洛山寺のお墓

お寺の奥には歴代上人のお墓

補陀洛山寺の周辺

さらに登っていくと

補陀洛山寺(和歌山県)

那智の浜から船出して入水したという平維盛の供養塔がありました

補陀洛山寺のお墓

そして補陀洛渡海上人たちのお墓

補陀洛山寺(和歌山県)

こちらにも

補陀洛山寺(和歌山県)

こちらにも・・・

補陀洛山寺の建物その他

渡海船(復元)、四方に鳥居が設けられています

補陀洛山寺(和歌山県)

渡海船の正面側には「南無阿弥陀仏」

補陀洛山寺(和歌山県)

この中に渡海上人が乗り込み、万が一にも出られないように封じられて出航したと

補陀洛山寺の仏像

補陀落渡海とは壮絶な捨身行ですね

補陀洛山寺の歴史

御由緒

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ともとも326
ともとも326
2022年04月17日(日)
223投稿

串本温泉から瀞峡に行く途中で立ち寄ったお寺卍
住職さんがとてもお優しい方でした😊
海のかなたにある観音浄土を目指す補陀落渡海の出発点と言われてます🚣‍♂️

補陀洛山寺の建物その他

お寺の大きな見どころが補陀洛渡海船🚣‍♀️
その昔、住職は60歳ごろになると、この船に30日分の灯油と食料を携え、南海彼方の観音浄土を目指して「帰らぬ旅」へと船出したそうです😱

補陀洛山寺の本殿
補陀洛山寺の本殿
補陀洛山寺の本殿
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とし
とし
2020年08月10日(月)
187投稿

《世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」その15》

暑い夏の日、熊野へ。
補陀洛渡海で知られる補陀洛山寺です。
補陀洛(補陀落とも書きます)とは観音菩薩が降り立つとされる南方の浄土であり、補陀洛渡海とは単身小船に乗り南方浄土を目指す捨身行のことです。
日本の各地に補陀洛渡海の記録が残っていますが、その大半はここ補陀洛山寺で行われたそうです。
このお寺には復元された渡海船が置かれており、当時の人々の浄土への想いが伝わってきます。

また、平清盛の嫡孫である平維盛の伝説が残る地でもあり、お寺の裏山には供養塔が残されています。

その14へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgts/Hmgtstk/Dktyzm/14778/92581/
その16へ
https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrtts/Hrttstm/Dakar/103057/93865/

補陀洛山寺の御朱印

《御朱印》

補陀洛山寺の本殿

《補陀洛山寺本堂》
世界遺産の一部ですが人は少なく静かな境内です。

補陀洛山寺の建物その他

《世界遺産の碑》
補陀洛渡海発祥の地とあります。

補陀洛山寺の仏像

境内の観音菩薩と地蔵菩薩

補陀洛山寺の本殿

参拝。

補陀洛山寺の本殿

夏の空に山の緑が映えます。
本当に静かな境内です。

補陀洛山寺の本殿

隣接する熊野三所大神社。
九十九王子の一つ「浜の宮王子」社跡に建ちます。

補陀洛山寺の本殿
補陀洛山寺の建物その他

《補陀洛渡海船》
船上の屋形に扉はありません。
30日分の水・食料とともに渡海上人が乗り込むと入口は板で塞がれ釘が打たれたのです。渡海船は沖へ曳航され、縄が切られて見送られたといいます。

補陀洛山寺の歴史

まさしく死出の旅だったのですね…。

補陀洛山寺の建物その他

裏山に渡海した上人と平維盛の供養塔があります。

補陀洛山寺の自然

石段と木の根の道を上ります。

補陀洛山寺の自然

静かなお寺のさらに裏。人があまり通らないのでしょう、苔が生えた道を上がっていきます。

補陀洛山寺の歴史

《平維盛供養塔説明板》
平清盛の嫡孫で美貌の貴公子とされた維盛。
平家物語では那智の沖にある山成島にて自らの名を松の木に刻み沖に漕ぎ出して入水したとされます。

補陀洛山寺の建物その他

《平維盛供養塔》
しかし、維盛にはそれ以降の生存説があって各地に維盛の伝説が存在します。
那智勝浦には色川郷に隠れ住んだという話が残り、吉野の野迫川の地には異なる話が伝わっています。一ノ谷の戦いの後、維盛は熊野別当湛増の下へ赴き援助を求めますが源氏優勢とみた湛増は援助を断り維盛に自らの娘を娶らせた後に匿ったとされます。湛増の守護を受けた維盛は平氏追討の手を逃れつつ熊野山中を転々とし、野迫川村の平の地にて生涯を終えたと。

補陀洛山寺の本殿

平氏から多大の恩顧を受けていた湛増の計らいだったのでしょうか。熊野は源平時代の逸話が多く残る地であり、壮絶な信仰を今に伝える場所でした。

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