じそんいん|高野山真言宗|万年山
慈尊院のお参りの記録一覧
慈尊院 世界遺産&神仏霊場巡礼
慈尊院 世界遺産&神仏霊場巡礼
慈尊院 世界遺産&神仏霊場巡礼
慈尊院 世界遺産&神仏霊場巡礼
慈尊院 世界遺産&神仏霊場巡礼
慈尊院 世界遺産&神仏霊場巡礼
【万年山(まんねんさん)慈尊院(じそんいん)】
本尊:弥勒仏
宗派:高野山真言宗
開基:弘法大師
慈尊院は、816(弘仁7)年、弘法大師(774-835)が高野山開創の時に、高野山一山の庶務を司る政所として伽藍を創建したのがはじまりとされる。その後、善通寺から訪ねてきた大師の母・玉依御前が滞在し、女人結縁の寺として知られている。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」で参拝。
【山門】
【手水舎】
【大師堂】
【お地蔵さま】
【お地蔵さま】
【弥勒堂】
国の重要文化財。
【礼堂・弥勒堂】
【礼堂】
【扁額】
【礼堂】
【噴水】
【弁財天・稲荷明神】
【鐘楼】
【弘法大師像・高野山案内犬のゴン】
【高野山案内犬のゴン】
弘法大師の案内犬の再来、生まれ変わり、お大師さんの犬などと呼ばれ親しまれた。
【多宝塔】
【訶梨帝母(かりていも)】
【御朱印】
今回で500投稿。早かった気がします。まだまだ行きたいところはたくさん。次は600投稿目指して。
さて、和歌山、紀の川、橋本の参拝、続いて慈尊院。
女人高野慈尊院は世界遺産の一部として登録されています。慈尊院は816年に弘法大師が高野山を開かれた際に、高野山参詣の表玄関として伽藍を創建され政所を設けられたのが始まりだそうです。太師の母君玉依御前は香川善通寺より参られ、この地に住まわれました。入滅後は太師が廟堂を建立し弥勒仏を祀られたとのこと。
弥勒堂、拝堂は豪華な建物では決してありませんが、歴史の重みが感じられます。女人禁制であった高野山の、玄関にあたるこの地に玉依御前が葬られていることには感慨深いものがあります。
御朱印です。
表門。苔むした石垣がよいです。
表門から。左に拝堂、奥は多宝塔。
右が弥勒堂。ここに御前が安置されています。質素なお堂です。中央は拝堂。
大師堂。
鬼子母神。
水向け地蔵さま。
奥に修行大師。
世界遺産記念碑。
稲荷大明神、弁財天。
投稿に時間が空いてしまいました。
丹生都比賣神社から季節限定のバスで移動です。
女人高野ということからか、境内がすごくカラフルな印象です。
安産祈願と思われる参拝の方もいらっしゃっていました。
はさみ紙でいただきました。絵で見ると可愛い絵馬ですが、実物を見ると結構迫力ありました。
慈尊院 参拝日 令和5年5月28日
仏塔古寺十八尊霊場第六番の御朱印を頂きました
弥勒堂
多宝塔
拝堂
多宝塔・拝堂
拝堂
太師堂
鬼子母神
正門
塔街道宝印帳のページ
仏塔古寺十八尊霊場第六番の御朱印
宗派:高野山真言宗
御本尊:弥勒仏
創建:伝・816年(伝・弘仁7年)
開基:伝・空海
高野山町石道(こうやさんちょういしみち)。
麓の慈尊院さんと壇上伽藍を結ぶ、表参道です。一町は、約109m。弘法大師は、一町ごとに卒塔婆を建てたと伝わります。歩くと、約7時間。私は一町だけ歩いたことがあります。😅
弘法大師の年老いたお母様が、一目会いたいと麓まで来ましたが、当時女性は、高野山に上ることを禁じられていました。そこで、大師の方が月に「九度」麓まで下りて来たとか。なので、「九度山町」という地名がついたとのこと。
前回一緒に来た友達にこの話をしていたところ、丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)の方が、ニヤっとされたので、信憑性が・・・。でも、80代のお母様が一目息子に会いたいとやって来たのは、本当だそうです。この話を聞くと、お母様と御大師さまが身近に感じられます。😄
丹生官省符神社への階段。ここからただひたすら歩くと、壇上伽藍に辿りつきます。昔、ゴンという犬がいて、案内をしたそうです。
ご本堂
大師堂
多宝塔
2019年(令和元年)にいただいた御朱印
今回いただいた御朱印
🪷慈尊院(じそんいん)🪷📿
~松長有慶高野山真言宗金剛峯寺元管長と
女人高野・結縁寺~
山号 万年山
宗派 高野山真言宗
御本尊 弥勒仏(国宝)
創建年 弘仁7年(816年)
開山 弘法大師(空海)
札所等
仏塔古寺十八尊第6番
紀伊之国十三佛霊場第6番
伊都郡四国八十八ヵ所第1番
神仏霊場巡拝の道第10番(和歌山第10番)
文化財
木造弥勒仏坐像(国宝)
弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像(国重文)
世界遺産
平成16年7月 世界遺産に登録された慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。
当時の慈尊院は、今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、天文9年(1540年)紀の川の大洪水にて流失しました。
しかし、弥勒堂だけは天文6年(1474年)に今の場所に移してあったので、流失をまぬがれたそうです。
「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。
しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。
弘法大師は月に九度、高野山からお母様に会いに来られました。そのことから、この地は九度山と名付けられたという説があります。
女人の高野
女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れます。
多宝塔
御本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれています。弘法大師の創立。
現在の塔は寛永年間(1624~1643)に再建されました。
弥勒堂
桧皮葺の低い建物で、中は方三間。平安時代末期の輪郭を残しています。 お母様が亡くなった後、弘法大師はお母様が篤く崇拝していらっしゃった弥勒菩薩座像と御母公像を安置するため、弥勒堂を建てられました。
築地塀
境内の周囲3方約250mにわたります。
五輪塔
表門をくぐったすぐ左側にあります。
承安元年(1171年)12月、慶幸俊厳の放火によりたくさんの経巻、道具類が焼失しました。
高野山町石道
九度山町から高野山へと続く約21キロの道程で、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。 その入り口となる180町石がこの慈尊院にあります。
高野山案内犬 ゴンの碑
~・~・~・~・~
2023年4月16日
高野山元管長・総本山金剛峯寺座主を2006年から2期8年務められた松長有慶さんが、93歳でお亡くなりになりました。
チベットなどに調査に出かけられ、密教の教えを著書等を通して一般にも広められた御方です。
一番印象に残っていることが、高野山大学で研究生活を送られて、1983年から4年間学長に就任されました後、管長・座主を務められていた2009年⭐天台座主による平安時代以降初となります金剛峯寺の公式御訪問が実現されたことでした。
真言宗と天台宗のトップの御方がお会いされることは、まさに 弘法大師(空海)さまと伝教大師(最澄)さまを見せて戴けたようで、新聞記事のお写真を大切に見せて頂きました。
⭐密教に基づく新しい価値観⭐をわかりやすくお示し下さいましたありがたい気持ちで、いてもたってもいれず慈尊院さま・丹生神社さまへ向かい、高野山金剛峯寺さまを拝ませて頂きました。
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
高野七口押印帳
⑲カ所全てで押印すると「高野七口踏破証明書」と記念品のプレゼント💝
「高野・熊野」和歌山四参詣道 超完全制覇は、92カ所です💦
干支卯みくじ🐇と弘法大師の御母公さまスタンプ💚
おまけ
道の駅かつらぎ西 母さんツバメ
道の駅 柿の郷くどやま
紀ノ川にかかる鯉のぼり🎏
道の駅柿の郷くどやま 真田幸村甲冑
中央屋根の間が高野山です
和歌山県のおすすめ🍁
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