じそんいん|高野山真言宗|万年山
慈尊院のお参りの記録一覧(2ページ目)
九度山ってなんか歴史が詰まってる響きです
ここもエエとこでした
ここでなんと!白黒のワンちゃんを散歩させてる方に会えました(^o^)/
慈尊院の御朱印です
九度山は、高野山表参道口で古くから宿泊客や参拝客で賑わっていました。
その由来は、弘法大師が月に9度高野山上より20数キロの山道を降りてきて母公を訪ねてきた事からと言われています。
南海高野線九度山駅からは、徒歩20分。高野山金剛峯寺を総本山とする真言宗寺院。
ご本尊は弥勒菩薩です。
817年の創建。弘法大師が高野山開創の際、参詣の要所地に表玄関の伽藍を造り、
そこでは庶務を司る政所を設置しました。
そこでは宿所や冬季避寒修行の場とされてきました。
弘法大師の御母方である玉依御前は、我が子か開いている「山」を一目でも見たいと一念し、ご高齢でありながらも当寺院へ参られました。
しかし、高野山は女人禁制の「山」ということで山頂へ叶う事はできず、入滅後、
弘法大師は、母公が弥勒菩薩になられた霊により、お廟を建てて、自作の弥勒菩薩と共に安置されました。
現在の建物は1477年に移築されました。それ以降、「女人高野」ということでお参りはここまでとなり、現在でも「子宝、安産、病気疾病」等を願って祈願する参拝者が訪れます。
今回は、「ホトカミ 女人高野」巡りの縁で約33年ぶりの参拝です。
その訳は「ゴン」のところで。
境内は、女性らしい優しさとおおらかさを兼ね備えた雰囲気に感じ。
ゆったりとした寺院を醸し出していました。
山門です。
山門に続く築地塀。
弘法大師堂です。
多宝塔です。
納経所、本堂と一緒の建物です。
本堂です。
乳型のお守りとなっています。
中庭はゆったりとした感じです。
弁財天が祀られています。
みくじ石。
弘法大師像に仕えているのは、案内犬の「ゴン」です。
ゴンは、白い雄の野良犬です。昭和60年代にここに住み着いては誰が教えたわけでもなく、高野山への参詣者を案内するようになり、朝には出発して、夜には戻ってくる様になりました。
最初は九度山駅からガイドするようになり、のちに慈尊院から高野山へと案内犬として勤めてきました。
実は今回の慈尊院への目的は、会社仲間と高野山へのハイキングの際にお供した経験があり、お参りも兼ねての参拝です。約30年以上の話でこの頃は老犬で、案内としては晩年の話です。
ちなみに、慈尊院の「鐘」をよく好み、鐘がゴ〜ンと鳴るところから「ゴン」と付けられたそうです。
弘法大師にも案内犬の伝説があったところから再来とも言われていたそうです。
また、現在でも「カイ」という犬がおり、晩年「ゴン」と一緒に飼われていました。こちらはガイドはしません。
このゴンのお話は、童話にもなっています。
いただいた御朱印です。
書体も女性的な優しさの文字です。
女人高野巡り、金剛寺、女人堂に続き、3つ目に訪れました。九度山駅から、古い町並みを通り、真田の抜け穴等を見ながら歩くこと30分。途中道に迷いそうになりましたが、何とかたどり着くことができました。息子を思う弘法大師の母公様が留まられ、弘法大師は3日に一度、高野山から遥々20キロ以上の道程を歩いて来られたそうです。せっかくなので、丹生官省符神社まで続く119段の階段を登り参拝しました。途中、高野山までの道標となる180番目の町石があります。いつか、ここから高野山まで歩いてみたいなあと思いました。体力的に無理かな…?
拝堂の西側にある多宝塔。所願成就のご利益があります。
【南海御朱印めぐり・慈尊院】
弘法大師母公のお寺として有名な慈尊院。
816年、弘法大師が高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山の庶務を司る政所を置いたのがはじまりとされています。
そこへ、大師の母公が高齢にも関わらず、香川県より我が子の開いた山を一目見たいとの思いから当寺へ参られ、弥勒菩薩を篤く信仰したそうです。大師は高野山から政所へ通ずる「町石道」を通って月に九度も母を訪ねて来たと伝わり、周辺の地名「九度山」の由来となりました。母公が亡くなると大師は廟堂を建立し、自作の弥勒仏と母公の霊を祀ったそうです。
後に、母公が入滅して本尊に化身したという信仰が盛んになり、当寺は女性に縁の寺として知られるようになります。弥勒菩薩は「慈尊」とも呼ばれることから当寺には「慈尊院」の名がつき「女人高野」とも呼ばれるようになったとか。
ご朱印
山門
大師堂
キレイに整えられた境内
多宝塔と拝堂
御廟(本堂)
ご本尊「木造弥勒仏坐像」は国宝です。
多宝塔の奥には丹生官省符神社への石段があります。
和歌山への旅です🙏🏻
世界遺産に登録された慈尊院です🙂816年に弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の表玄関として草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされたとこの事🙂
弘法大師の御母公が当時の高野山は女人禁制である為、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしていたのでした🙂
毎月21日は弘法大師の命日である事から弘法大師堂の中を拝む事が出来ます。
本堂の弥勒菩薩像は何十年に1回拝む事が出来るとの事です。次は50年後位だったかな😮
また、安産祈願で訪れる方も多く絵馬も「乳房」になっていました🙂🙏🏻
※勝利寺の御朱印はこちらで頂けます🙂
山門です
下乗石
弘法大師堂です。
今日は中も拝む事が出来ました🙏🏻
慈尊院多宝堂
絵馬がたくさん奉納されていました🙏🏻
外観です
本堂です
稲荷神社🦊
鬼子母神
通常御朱印
世界遺産登録記念 御朱印🙏🏻
二種類あり、切り絵になっています🙂
世界遺産登録記念 御朱印🙏🏻
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