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じそんいん|高野山真言宗万年山

慈尊院
和歌山県 九度山駅

御朱印について御朱印
あり

右下に女人高野、真ん中に弥勒佛、左下に慈尊院と書かれ、右上に弘法大師御母公の印、真ん中に梵字の印、…

限定
-
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四季
四季
2023年05月13日(土)560投稿

 🪷慈尊院(じそんいん)🪷📿

~松長有慶高野山真言宗金剛峯寺元管長と
  女人高野・結縁寺~

山号  万年山
宗派  高野山真言宗
御本尊 弥勒仏(国宝)
創建年 弘仁7年(816年)
開山  弘法大師(空海)

札所等
仏塔古寺十八尊第6番
紀伊之国十三佛霊場第6番
伊都郡四国八十八ヵ所第1番
神仏霊場巡拝の道第10番(和歌山第10番)

文化財
木造弥勒仏坐像(国宝)
弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像(国重文)
世界遺産

平成16年7月 世界遺産に登録された慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。

当時の慈尊院は、今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、天文9年(1540年)紀の川の大洪水にて流失しました。
しかし、弥勒堂だけは天文6年(1474年)に今の場所に移してあったので、流失をまぬがれたそうです。

「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。
しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。

弘法大師は月に九度、高野山からお母様に会いに来られました。そのことから、この地は九度山と名付けられたという説があります。

女人の高野
女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れます。

多宝塔
御本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれています。弘法大師の創立。
現在の塔は寛永年間(1624~1643)に再建されました。

弥勒堂
桧皮葺の低い建物で、中は方三間。平安時代末期の輪郭を残しています。 お母様が亡くなった後、弘法大師はお母様が篤く崇拝していらっしゃった弥勒菩薩座像と御母公像を安置するため、弥勒堂を建てられました。

築地塀
境内の周囲3方約250mにわたります。

五輪塔
表門をくぐったすぐ左側にあります。
承安元年(1171年)12月、慶幸俊厳の放火によりたくさんの経巻、道具類が焼失しました。

高野山町石道
九度山町から高野山へと続く約21キロの道程で、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。 その入り口となる180町石がこの慈尊院にあります。

高野山案内犬 ゴンの碑

~・~・~・~・~

2023年4月16日 
高野山元管長・総本山金剛峯寺座主を2006年から2期8年務められた松長有慶さんが、93歳でお亡くなりになりました。
チベットなどに調査に出かけられ、密教の教えを著書等を通して一般にも広められた御方です。
一番印象に残っていることが、高野山大学で研究生活を送られて、1983年から4年間学長に就任されました後、管長・座主を務められていた2009年⭐天台座主による平安時代以降初となります金剛峯寺の公式御訪問が実現されたことでした。
真言宗と天台宗のトップの御方がお会いされることは、まさに 弘法大師(空海)さまと伝教大師(最澄)さまを見せて戴けたようで、新聞記事のお写真を大切に見せて頂きました。
⭐密教に基づく新しい価値観⭐をわかりやすくお示し下さいましたありがたい気持ちで、いてもたってもいれず慈尊院さま・丹生神社さまへ向かい、高野山金剛峯寺さまを拝ませて頂きました。

和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832

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歴史

 慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。
 大師の御母公(玉依御前 : たまよりごぜん)が香川県善通寺より、我が子の開いている山を一目見たいとの一念から、ご高齢にも関わらず当院へ参られ、ご本尊弥勒菩薩を篤く尊崇せられた。承知二年二月五日に、御母公が入滅された時に大師は、母公が弥勒菩薩になられた霊夢により廟堂を建立して、自作の弥勒仏と御母君公の霊を安置された。慈尊院とは、弥勒菩薩の別名で、これより表向きに「慈尊院」と呼ばれるようになりました。

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慈尊院の情報

住所和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
行き方

南海高野線九度山駅から徒歩20分

慈尊院の基本情報

名称慈尊院
読み方じそんいん
通称女人高野
参拝時間

8:00〜17:00

御朱印あり

右下に女人高野、真ん中に弥勒佛、左下に慈尊院と書かれ、右上に弘法大師御母公の印、真ん中に梵字の印、左下に女人高野万年山慈尊院の印が押されています。
弘法大師の御母公である玉依御前(たまよりごぜん)が、弘法大師に会いに参られたお寺です。

限定御朱印なし
電話番号0736-54-2214

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://jison-in.org
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり

詳細情報

ご本尊弥勒菩薩
山号万年山
宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代弘仁七年(816)
開山・開基弘法大師
文化財

弥勒仏坐像(国宝)
弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像(重要文化財)

ご由緒

 慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。
 大師の御母公(玉依御前 : たまよりごぜん)が香川県善通寺より、我が子の開いている山を一目見たいとの一念から、ご高齢にも関わらず当院へ参られ、ご本尊弥勒菩薩を篤く尊崇せられた。承知二年二月五日に、御母公が入滅された時に大師は、母公が弥勒菩薩になられた霊夢により廟堂を建立して、自作の弥勒仏と御母君公の霊を安置された。慈尊院とは、弥勒菩薩の別名で、これより表向きに「慈尊院」と呼ばれるようになりました。

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