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ほうおんじ|日蓮宗紀州本山白雲

報恩寺
和歌山県 和歌山市駅

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soo_cyan
soo_cyan
2026年07月14日(火)6163投稿

三光寺の北にお見かけしたのでお詣り。立地や寺号から浄土宗だと思っていたら日蓮宗😲しかも寺号標に葵の御紋がある。ということは・・・先へ進むと閉ざされた門があり、御成門というらしい。もともとは藩主をはじめ貴人が参詣された際に使用するもんだそうで、今は貫首の入山・葬送の際のみ開門されロそうなので開いてたらかなりレアですね😅参道側に通用門(?)があったのでそちらから奥へ。本堂、鐘楼(撮り忘れ😱)ましたので本堂前で南無妙法蓮華経🙏お隣の庫裏っぽい建物に向かうと「紫雲閣」という扁額があり、年配の女性の姿が😲声をかけようと向かったら先にワンちゃんに気付かれめっちゃ吠えてくれました😅せっかくなので御首題をお伺いすると書置きならばとのこと😊あり難く頂戴し、こちらが紀州徳川家の主に女性の方々の菩提寺になっているとお話しくださいました。本堂裏手の山に御廟所があり、初代藩主頼宣公夫人瑶林院や第五代吉宗公夫人寛徳院など13名の廟所となっております。ちなみに藩主の墓所は海南市の長保寺だそうです。なぜ別々?😅元京都人としては徳川家=浄土宗のイメージが強すぎたのですがなぜ日蓮宗?と思って調べていると答えは頼宜公夫人の瑶林院でした。「瑶林院は、名を八十姫といい、加藤清正公とその正室・清浄院の子」とのこと。清正公の御息女となればそりゃ日蓮宗ですわな。ものすごーくすっきりしました😅次回来るときは御廟所にお詣りさせていただこうと思います。

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🌷日向ぼっこ☀️🐇
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2023年01月18日(水)979投稿

🌸白雲山 報恩寺(ほうおんじ)は、もとを要行寺といい、慶長14(1609)年に建てられたとされています。🍁報恩寺の開山、日順上人が寛文12(1672)年に2代藩主光貞公の娘、光姫の供養のために寄付したものです。梵鐘(ぼんしょう)仏教で時を知らせるために打鳴らす鐘があります。
🔹その後寛文6(1666)年に紀州徳川家藩主徳川頼宜公夫人 遥林院の追善供養の為、息子である光貞公が要行寺を報恩寺と改め、一ヶ所本山として寛文9年に小西檀林化主日順上人を招き、寺領250石を寄進し開山導師としました。日順上人は朝廷から権大僧都の位を賜り、参内を許されていました。
🔸以来、当山は紀州徳川家代々の菩提寺として、また和歌山城下唯一の『武士寺』として親しまれてきました。最盛期には末寺6ヶ寺、総面積は約25,000坪を有する紀州随一の日蓮宗寺院として栄えました。
ところが、明治元(1868)年の勤王運動により諸堂が破壊され、時の貫首で当山第17世本如院日偵上人が左幕藩士に惨殺されるという悲しい事件がありました。近代にいたっても、昭和20(1945)年7月の第二次世界大戦時の和歌山大空襲により伽藍は焼失、当山第25世南妙院日環上人によって再興されるも、昭和36年9月には放火により本堂焼失という厄災が続きました。
☘️今日の本堂は、平成11年に大改修・落慶したものです。しかし、焼失を免れた紀州徳川家御廟所や戦時中の供出を免れた鐘楼は和歌山市指定文化財(史跡・工芸品)として、脈々と受け継がれてきた紀州の歴史を物語っています。

場所 : 和歌山県和歌山市吹上1丁目6−38

報恩寺の御朱印

     御朱印 報恩寺(ほうおんじ)

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歴史

報恩寺は、もとを要行寺といい、慶長14年(1609年)に建てられたとされています。 その後、寛文6年(1666年)に紀州徳川家藩主 徳川頼宣公夫人 遥林院の 追善菩提の為、息子である 光貞公 が要行寺を報恩寺と改め、一カ所本山とし て寛文9年に小西檀林化主日順上人を招き、寺領250万石を寄進し開山導師としました。日順上人は、朝廷から権大僧都の位を賜り、参内を許されていました。
以来、当山は紀州徳川家代々の菩提寺として、また和歌山城下唯一の『武士寺』として親しまれてきました。最盛期には末寺6ヵ寺、総面積は約2万5千 坪を有する紀州随一の日蓮宗寺院として栄えました。ところが、明治元年(1868年)の勤王運動により諸堂が破壊され、時の貫首で当山第17世本如院日偵上人が左幕藩士に惨殺されるという悲しい事件がありました。近代にいたっても、昭和20年(1945年)7月の第二次世界大戦 時の和歌山大空襲により伽藍は焼失、当山第25世 南妙院日環上人によって再興されるも昭和36年9月に放火により本堂焼失という厄災が続きました
今日の本堂は、平成11年に大改修・落慶したものです。しかし、焼失を免れた 紀州徳川家御廟所や戦時中の供出を免れた鐘楼は和歌山市指定文化財(史跡・ 工芸品)として、脈々と受け継がれてきた紀州の歴史を物語っています。

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報恩寺の情報

住所和歌山県和歌山市吹上1-6-38
行き方

報恩寺の基本情報

名称報恩寺
読み方ほうおんじ
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号073-422-9446

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttps://houon-ji.net

詳細情報

山号白雲
宗旨・宗派日蓮宗紀州本山
創建時代慶長14年(1609年)
文化財

鐘楼 市指定文化財

ご由緒

報恩寺は、もとを要行寺といい、慶長14年(1609年)に建てられたとされています。 その後、寛文6年(1666年)に紀州徳川家藩主 徳川頼宣公夫人 遥林院の 追善菩提の為、息子である 光貞公 が要行寺を報恩寺と改め、一カ所本山とし て寛文9年に小西檀林化主日順上人を招き、寺領250万石を寄進し開山導師としました。日順上人は、朝廷から権大僧都の位を賜り、参内を許されていました。
以来、当山は紀州徳川家代々の菩提寺として、また和歌山城下唯一の『武士寺』として親しまれてきました。最盛期には末寺6ヵ寺、総面積は約2万5千 坪を有する紀州随一の日蓮宗寺院として栄えました。ところが、明治元年(1868年)の勤王運動により諸堂が破壊され、時の貫首で当山第17世本如院日偵上人が左幕藩士に惨殺されるという悲しい事件がありました。近代にいたっても、昭和20年(1945年)7月の第二次世界大戦 時の和歌山大空襲により伽藍は焼失、当山第25世 南妙院日環上人によって再興されるも昭和36年9月に放火により本堂焼失という厄災が続きました
今日の本堂は、平成11年に大改修・落慶したものです。しかし、焼失を免れた 紀州徳川家御廟所や戦時中の供出を免れた鐘楼は和歌山市指定文化財(史跡・ 工芸品)として、脈々と受け継がれてきた紀州の歴史を物語っています。

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