しょうこうじ|浄土真宗本願寺派
勝興寺のお参りの記録一覧
国宝に指定されている本堂の大きさは圧巻!!
国宝は他に大広間と式台が指定されています
国指定の重文も多数で見どころ満載です
御朱印は直書きで頂きました
1471年蓮如が創建した土山御坊が始まり。
戦国時代には越中一向一揆の旗頭として威勢を誇ったが、1581年織田軍の兵火で堂宇を焼失した。
1584年佐々成政が土地を寄進し現在地に伽藍を再興している。
江戸時代は加賀藩前田家の保護を受け繁栄した。
本堂は1792年、大広間及び式台が1692年の建築で国宝に、総門は1840年、唐門は1769年、式台門は1775年、鼓堂は1733年、経堂は1805年、宝蔵は江戸時代末期、台所は1863年、書院及び奥書院は1671年、御内仏は1688年、御霊屋は1810年の建築で重文指定されいる。
総門
唐門
唐門
唐門
本堂
本堂
本堂
経堂
鐘楼
水の涸れない池
天から降った石
鼓堂
鼓堂
鼓堂
宝蔵
宝蔵
宝蔵
式台門
大広間及び式台
式台
台所
書院
奥書院、御内仏
御内仏
御霊屋
御霊屋
本願寺八世蓮如上人が、文明3年(1471年)越中の布教の拠点として、砺波郡蟹谷庄土山(現在の南砺市福光土山)に土山御坊を開き、蓮如の子孫が代々住職を務めました。本願寺が門跡に任ぜられると他の寺院とともに院家に任ぜられるなど、真宗王国越中における代表的寺院であると同時に、本願寺を支える連枝寺院の一つとして重要な働きをなしてきました。
永正14年(1517年)寺号を本山に申請したところ、佐渡にあって廃絶していた順徳上皇勅願所「殊勝請願 興行寺」を再興相続して、勝興寺と称することを認められました。その後、戦国時代には、越中一向一揆の旗頭として活躍し、越前朝倉氏、甲斐武田氏をはじめとする戦国大名や、本願寺、京都公家などと関係を深めていくようになります。当時の複雑な政治情勢の中で、二度の移転を経た後、天正12年(1584年)に現在地の高岡市伏木古国府に移り、藩政時代に入ると加賀藩前田家と関係を深めるようになり、越中における浄土真宗の触頭として、近代に至るまで繁栄しました。
現在、約30,000㎡の広大な境内には、本堂をはじめとする、12棟の建造物が重要文化財に指定されております。本堂は勝興寺住職より還俗して、加賀藩主第11代を継いだ前田治脩の支援を受け、西本願寺の阿弥陀堂を模して寛政7年(1795年)に建立されました。これら重要文化財12棟は、江戸時代中期から後期にかけて建てられたものです。
伽藍内の建造物は、200年から300年の年月が経過しており、損傷・破損も激しく、このたび、平成の大修理として、文化庁の補助をうけて、平成10年度から約23カ年計画で保存修理事業にとりかかっており、平成16年度に第1期事業として、本堂の修復が完工し、第Ⅱ期修復工事として他11棟の工事が進められています。また、この境内地は、奈良時代の越中国庁の所在地であり、国守として万葉の代表的歌人大伴家持が5年間(746〜751年)この地に赴任し、越中の自然と風土を詠んだ、多くの秀歌が万葉集に収載されております。
浄土真宗本願寺派。1471年本願寺八世蓮如が砺波郡に営んだ土山坊が起源。越中一向一揆の旗頭として威勢を誇った。浄土真宗ですが御朱印を書いて頂きました。
京都興正寺から移築された檜皮葺の唐門。
天から降った石。
猿が屋根を支えてるらしい、みえなかった。
実らずの銀杏。
経堂。
本堂。
がおー。嘘つきの手を噛むって噂の?
南無阿弥陀仏。
本堂を支えてる天邪鬼。
高岡市伏木にある高岡六山のひとつ勝興寺にて御朱印を頂きました。
勝興寺は浄土真宗本願寺派のお寺ですが御朱印が頂けます。
ご本尊は阿弥陀如来です。
御朱印と一緒に栞を頂きました。
唐門は唐破風付きの造りで国の重要文化財です。
経蔵は1805年の建立でこちらも重賞文化財です。
勝興寺の本堂は木造で巨大な建造物で国の重要文化財です。
書院や大広間の中にも入らさせていただきました。
勝興寺の七不思議のひとつ実ならずの銀杏などありました。
まだ工事中でしたが見ごたえあるものでした。
#勝興寺
#御朱印
#高岡市
#富山県
御朱印
由緒書
栞
総門
唐門
経蔵
本堂
本堂
七不思議のイチョウの木
鼓堂
令和元年7月の富山県高岡・氷見〜石川県羽咋編。
まずは高岡市の浄土真宗本願寺派勝興寺卍
平成10年度から23年間に及ぶ保存修理が行われ、昨年には本堂と大広間・式台が国宝に指定🎉総門や唐門、経堂など10棟と、紙本金地著色洛中洛外図屏風は重要文化財です✨
文明3年(1471)、蓮如が越中布教の拠点として砺波郡に営んだ土山坊を起源とします。
現在の勝興寺は古国府城の土地を譲り受けて建てられており、周囲に堀や土塁が残る城郭寺院です。
JR伏木駅の西500mの伏木古国府。寺に駐車場はないと思われ、伏木駅観光客駐車場を利用🅿
なぜか勝興寺だけ写真が見当たりません😵パンフでごまかしつつ、御朱印を掲載🖌️
この頃はまだ重要文化財
保存修理工事のリーフレット
浄土真宗だけどいただけます
富山県高岡市にある勝興寺を参拝しました。
当日は本堂でコンサートが開かれていました。
山門
天から降った石
勝興寺 七不思議の一つ
本堂
屋根を支える猿(写真中央あたり)
勝興寺 七不思議の一つ
#勝興寺
ご本尊という表現は見ないが、アミダ如来を祀る。
#阿弥陀如来
仏様を1尊ずつ紹介する書籍を開くと、なぜかどの本にも彼について、目を疑うようなことの1つや2つ書いてある。
例えば、インドではあまり信仰されていなかったというもの。確実に彼のものだと分かる像は、あちらでは1躰しか発見されていないそうだ。なお別の本では、薬師如来や不動明王についても同様の記述を見た。
他には、チベットでは無量寿如来はアミダ如来ではない、というもの。
日本の本だと、彼は梵語でアミターバまたはアミターユスといい、アミダ如来はこれらの音訳。アミターバを意訳したのが無量光如来で、アミターユスを意訳したのが無量寿如来だと、たいがい言われる。だがチベットの場合、アミダ如来は専らアミターバすなわち無量光如来を指し、アミターユスすなわち無量寿如来は異なる仏様とされているそうだ。
また、西アジアの異教の神様が仏教にとり入れられたものだ、という説もあるらしい。別の本はもっと具体的に、古代イランの太陽神としていた。
そのような仏様はふつう天部というグループに振り分けられるが、例外は驚くほど多い。似た話を、大日如来、地蔵菩薩、勢至菩薩、白衣観音、仏母尊と明王のほぼ全員についても聞いたことがある。
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