あなはちまんぐう
穴八幡宮のお参りの記録一覧(3ページ目)
早稲田編。法輪寺様、龍泉院様、最後は穴八幡宮様へお参りに行きました😊
先月は誘導員の方にあれよあれよとゆうまに出口へ誘導されてしまいましたが、今月はゆっくりお参りできました😊
【穴八幡宮】
康平五年(西暦1062年)、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折、日本武尊命の先蹤に習ってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀りました。それ以降、慶長•元和(1569年~1623年)の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。寛永十三年(1636年)には、早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。
寛永十八年(1641年)、宮守の庵を造る為に南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、中から金色の御神像が見つかった事などから、この時より穴八幡宮と唱えられるようになりました。
同年、この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃、神木の松から瑞光を放ち、また将軍世嗣誕生に際して色々奇瑞のあった事が、たまたま鷹狩の途次に当社へ参拝された三代将軍徳川家光公の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
慶安二年(1649年)、四十二坪の社殿を始め数々の殿舎が竣工し、また大名旗本からも種々の寄進があり、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により寛文•延宝•享保•元文と数次にわたり造営、営繕が行われました。特に元禄十六年(1703年)の造営は、江戸権現造社殿として壮麗を極めました。
安政元年(1854年)、青山火事のため類焼し、幕府より造営料として金子三百両•槫木三千梃が奉納され、更に江戸市中を始め十七ヶ国の勧化を免許され再興に努めましたが、幕末の多事と物価高騰の為、仮社殿のまま明治維新を迎えました。
維新以降、神社維持の資源であった拝領屋敷地、御旅所、門前町屋、境内山林等の全てを維新政府に上地命ぜられ、氏子も分離し一時は衰微を見ました。
明治十二年、大正天皇の御蟲封を拝命し以来、崇敬者は年々増加しました。その後、大正五年から昭和九年にかけて大規模な修繕を行い広壮な社殿が相次いで完成し旧時の盛観に復しましたが、その後の戦争により悉く社殿が罹災しました。
戦後、いち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志により、平成元年より慶安•元禄の江戸権現造の当社設計絵図を基に御本殿御社殿等の造営を初め、隋神門や出現殿、鼓楼、手水舎など往時を偲ぶ姿に復すべく再建、境内整備を執り行っております。
ー穴八幡宮HPー
☆境内案内図☆
☆北参道鳥居⛩️(境内案内図11)☆
北参道整備工事により令和元年に竣工した鳥居です。
狛犬様のように阿吽になっています。
「阿吽」とは、もともとインドのサンスクリット語の最初の音「あ」と最後の音「うん」を表しており、「宇宙の最初と最後」を意味していると言われています😊
☆隋神門(境内案内図2)☆
嘉永二年、清水喜助(後の清水建設創業者)により竣工。
先の大戦により罹災した後、清水建設さんの施工により平成十年に再建されました。
左右の柱の中にいらっしゃるのは隋神様です。
☆神武天皇陵遥拝所(境内案内図5)☆
☆鼓楼(境内案内図4)☆
中には太鼓が収められており、例大祭と大晦日の際に鼓楼の太鼓を叩きます。
☆参道と御拝殿(境内案内図1)☆
【御祭神】
應神天皇(品陀和気命)
仲哀天皇(帯中日子命)
神功皇后(息長帯比賣命)
☆手水舎•布袋尊舎(境内案内図3)☆
綺麗な神社に鳥居横に弓を引いた石像があったのでお詣りしてみました😊どうやら流鏑馬の像だったみたい😲境内は最近修復されたのか綺麗で朱色が眩しいぐらいでした🤗布袋さんが撫でられすぎて真っ黒になってるのが対照的でした😅
鳥居
流鏑馬
二の鳥居
参道
神門
扁額
手水舎
布袋手水舎
石碑
撫で布袋尊
本殿前
獅子
狛犬
本殿扁額
神武天皇遥拝所
蝋梅
初めてのお詣りです。一陽来復御守は懐中守を義母からいただいていたのですが、お詣りに行けなくなってしまってから何年か、古い御守りも返せずにいたのですが、古い御守の返却と新しい一陽来復御守りを授かりに上がりました。
石段を登ると早速御守目当ての長蛇の列が見えましたが、はやる気持ちを抑えてまずは古い御守りを返却し、参拝を済ませました。
30分ほど並んで購入できました。一陽来復御守が潰れないよう、未使用のプラスチック保存容器を持ってきていて、そちらに入れて持ち帰りました。
お部屋に祀る手順が難しそうなので、よく勉強しておきます。
御朱印は冬至から節分の時期はお休みなので、春先にでもまたお詣りできたらと思っています。
令和5年1月21日 穴八幡宮^^
駐車した路上パーキングの時間切れまでまだ時間が有ったので
法輪寺さんお向かいの穴八幡宮に参拝うかがい^^
今日の混雑 賑わいっぷりは これだったのね~~~^^;;;
境内参道脇には縁起物の屋台がズラリと並び
お参りに向かう人波は長蛇^^;;
お札を求める方の列は いつになったら買えるんだ・・・というくらいの並びっぷり^^;;
流石にこの行列に並んでたら 駐車場の時間リミット オーバーしてまうな~~と思い^^;
参拝列の後方より 必殺の境内遥拝^^でお参りさせていただきました^^
また今度ゆっくり来ますね~~~^^<ゴメンナサイ^^;>
吸い込まれるように 沢山の人が^^
本殿 参拝に向かう人の波^^;;
縁起物販売の屋台群^^
授与所に向かう人の列^^;
こりゃ叶わん^^;;;
法輪寺様の後にこちら穴八幡宮様もお詣りに行きました😊
参道の両側に露店がたくさん出ていましたぁ😍
お正月時期は忙しいからか御朱印はいただけませんでした💦
凄く混んでるわけでもないのに、誘導係の人が追い立てるように誘導するので写真もゆっくり撮れずあっとゆう間に出口へと誘導されました😣
☆鳥居⛩️☆
階段を上がった途中に露店が並んでいました😊
☆隋神門☆
隋神門をくぐった先も両側に露店が並んでいます。
こんな感じで露店が並んでいます。
お祭りにある露店はなく、達磨や破魔矢、ブレスレット等、縁起物のお店しかありません😄
露店をぬけたところからパシャリ📸
こんなに人がいる穴八幡宮様は初めてみました😅
それでも混んでるってほどじゃないですよね〜
並んでいるときにパシャリ📸
☆鐘楼☆
お詣りをすますと、御札をいただく方は右、他の方は左と誘導され出口へ💦
他に人が居なかったので立ち止まって撮りました📸
☆隋神門☆
慌ただしく参拝終わり😣
来月ゆっくり参拝します🙏🏻
二寺、最後五社目は法輪寺様のお向いにある穴八幡宮様にお参りしました😄
ついに雷が鳴り始め、雨が降ってきました😣
康平五年(西暦1062年)、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折、日本武尊命の先蹤に習ってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀りました。それ以降、慶長·元和(1569年~1623年)の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。寛永十三年(1636年)には、早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。
寛永十八年(1641年)、宮守の庵を造る為に南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、中から金色の御神像が見つかった事などから、この時より穴八幡宮と唱えられるようになりました。
同年、この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃、神木の松から瑞光を放ち、また将軍世嗣誕生に際して色々奇瑞のあった事が、たまたま鷹狩の途次に当社へ参拝された三代将軍徳川家光公の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
慶安二年(1649年)、四十二坪の社殿を始め数々の殿舎が竣工し、また大名旗本からも種々の寄進があり、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により寛文·延宝·享保·元文と数次にわたり造営、営繕が行われました。特に元禄十六年(1703年)の造営は、江戸権現造社殿として壮麗を極めました。
安政元年(1854年)、青山火事のため類焼し、幕府より造営料として金子三百両·槫木三千梃が奉納され、更に江戸市中を始め十七ヶ国の勧化を免許され再興に努めましたが、幕末の多事と物価高騰の為、仮社殿のまま明治維新を迎えました
維新以降、神社維持の資源であった拝領屋敷地、御旅所、門前町屋、境内山林等の全てを維新政府に上地命ぜられ、氏子も分離し一時は衰微を見ました。
明治十二年、大正天皇の御蟲封を拝命し以来、崇敬者は年々増加しました。その後、大正五年から昭和九年にかけて大規模な修繕を行い広壮な社殿が相次いで完成し旧時の盛観に復しましたが、その後の戦争により悉く社殿が罹災しました。
戦後、いち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志により、平成元年より慶安·元禄の江戸権現造の当社設計絵図を基に御本殿御社殿等の造営を初め、隋神門や出現殿、鼓楼、手水舎など往時を偲ぶ姿に復すべく再建、境内整備を執り行っております。
ー穴八幡宮HPよりー
☆正面参道鳥居⛩️☆
☆二の鳥居⛩️☆
灯りがはいって綺麗です😍
☆隨神門☆
嘉永二年、清水喜助(後の清水建設創業者)により竣工。
先の大戦により罹災した後、平成十年に再建されました。左右の柱の中に隨神様がいらっしゃいます😊
☆参道☆
☆手水舎·布袋尊舎☆
☆拝殿☆
御祭神
應神天皇(品陀和気命)
仲哀天皇(帯中日子命)
神功皇后(息長帯比賣命)
☆狛犬様☆
☆鼓楼☆
中には太鼓が収められており、例大祭と大晦日の際に鼓楼の太鼓を叩きます。
【ご挨拶巡り】2022.四十八社目。
穴八幡宮様。
一粒万倍日ということで、金運にご縁のある神社様に凸❕❕❕
熱中症対策万全にして歩き回って来ました✌️
青空に朱が映える😍😍😍
階段登ると一気に落ち着いた雰囲気に🥰
お邪魔しました。
ありがとうございました😊
交番前にドーンと。
ありがたい✨
カッコかわいい。
デジモン系狛犬様。
拝殿。
いい天気🌞
門とのコントラストが素敵✨
セミがすごい✨
東京都のおすすめ2選🌸
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
6
0