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あなはちまんぐう

穴八幡宮のお参りの記録一覧
東京都 早稲田(メトロ)駅

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ヒナメリ
ヒナメリ
2025年08月13日(水)477投稿

津波警報が発令され、予定を大きく変更せざるを得なかった一日だった。朝の時点ではまったく予定がなく、どこかへお参りに行くつもりもなかったが、結果的に足を運んだのは新宿区西早稲田に鎮座する穴八幡宮だった。訪れたのは午後6時半頃だったか、まだ空は完全に暗くなっておらず、淡い夕暮れの光が残っている時間帯だった。

この時間帯になると、拝殿の扉はすでに閉ざされており、直接中に入ってお賽銭をお供えすることはできない。代わりに、拝殿扉に設置されている夜間専用の賽銭箱にお賽銭を納める。広々とした境内の静けさの中、ゆっくりと空間を見渡しながら歩を進める。これまであまりじっくりと目を通すことのなかった碑のひとつに目が留まった。

「保護司顕彰碑」と刻まれたその碑は、地域社会の安全と更生支援に貢献する保護司の功績を称えるものだ。保護司と言えば、昨年世間を大きく騒がせた、保護観察対象者を担当していた保護司が悲劇的な事件に巻き込まれたことを思い出す。碑文には「無給で貢献する国家公務員」と記されているが、実際には民間ボランティアとして活動している保護司が抱える矛盾や苦労が背景にあるのだろう。とはいえ、この場では深く立ち入ることは控えたい。

自分自身はスポーツイベントのボランティア活動に参加することが多いが、分野は違えどボランティアを経験して初めて見えてくる課題や喜びも少なくない。そうした意味で、神社の創建や歴史とは直接関係のないこの種の顕彰碑が、穴八幡宮の境内に立っているのはかなり珍しいことだと個人的には感じた。

また、境内には「神武天皇遥拝所」と呼ばれる場所も設けられている。これは神武天皇の崩御日である4月3日に、遥か遠くの橿原神宮に向かって祈りを捧げるための特別なスポットだという。こうした遥拝所に出会うことは頻繁ではなく、参拝の折に偶然目にすることができたのは貴重な体験だった。

津波警報という不安な状況の中で訪れた穴八幡宮だったが、静謐な境内で碑の言葉に触れ、歴史や人々の思いに想いを馳せるひとときを得ることができた。

穴八幡宮(東京都)

早稲田通りより見渡せる朱色の鳥居

穴八幡宮(東京都)

随神門

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御朱印ハンター
御朱印ハンター
2025年02月23日(日)227投稿

穴八幡宮は東京都新宿区西早稲田に鎮座する歴史ある神社です。1062年に源義家によって創建され、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を御祭神としています。

歴史と由来
神社の名前の由来は1641年に遡ります。宮守の庵を造るために山裾を切り開いたところ、横穴が発見され、その中から金色の御神像が見つかりました。これにより「穴八幡宮」と呼ばれるようになりました。

江戸時代には幕府の祈願所として重要視され、将軍家からの庇護を受けました。特に三代将軍徳川家光の時代に江戸城北の総鎮護として認められ、社殿の造営や整備が行われました。

主な特徴
一陽来復御守: 冬至から節分にかけて特に人気があり、金運や商売繁盛のご利益があるとされています。

神事高田馬場流鏑馬: 毎年10月の体育の日に行われる新宿区の無形民俗文化財です。

蟲封じ: 虫除けのご利益があるとされています。

布袋様: 七福神の一人である布袋様の像があり、福と財をもたらすとされています。

参拝情報
拝殿は朝6時から夕方5時まで開いています。

幣殿は朝9時から夕方4時まで利用可能です。

社務所は朝9時から夕方5時まで営業しています。

穴八幡宮は、その長い歴史と江戸時代からの由緒ある伝統、そして現代においても多くの参拝者を集める人気のスポットとして、東京の重要な神社の一つとなっています。

穴八幡宮(東京都)

穴八幡宮の正面参道鳥居⛩️です。

穴八幡宮(東京都)

鳥居⛩️です。

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ひでどらごん
ひでどらごん
2025年02月01日(土)1141投稿

東京で著名なお守り、御札の1つではないでしょうか。節分前なのでかなり並びました。

●来歴
康平五年(西暦1062年)、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折、日本武尊命の先蹤に習ってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀りました。それ以降、慶長・元和(1569年~1623年)の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。寛永十三年(1636年)には、早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。

● 穴八幡宮の由来
寛永十八年(1641年)、宮守の庵を造る為に南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、中から金色の御神像が見つかった事などから、この時より穴八幡宮と唱えられるようになりました。

● 江戸時代の発展
同年、この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃、神木の松から瑞光を放ち、また将軍世嗣誕生に際して色々奇瑞のあった事が、たまたま鷹狩の途次に当社へ参拝された三代将軍徳川家光公の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。

● 穴八幡宮の造営
慶安二年(1649年)、四十二坪の社殿を始め数々の殿舎が竣工し、また大名旗本からも種々の寄進があり、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により寛文・延宝・享保・元文と数次にわたり造営、営繕が行われました。特に元禄十六年(1703年)の造営は、江戸権現造社殿として壮麗を極めました。

● 幕末から明治維新
安政元年(1854年)、青山火事のため類焼し、幕府より造営料として金子三百両・槫木三千梃が奉納され、更に江戸市中を始め十七ヶ国の勧化を免許され再興に努めましたが、幕末の多事と物価高騰の為、仮社殿のまま明治維新を迎えました。

● 戦後の再建
戦後、いち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志により、平成元年より慶安・元禄の江戸権現造の当社設計絵図を基に御本殿御社殿等の造営を初め、隋神門や出現殿、鼓楼、手水舎など往時を偲ぶ姿に復すべく再建、境内整備を執り行っております。

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