高野山真言宗
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近くを通る事があり、大安楽寺へ初めての参拝にお伺いいたしました。予備知識が全くないままに訪問したのですが、この一帯はかつて江戸にあった『伝馬町牢屋敷』という囚人を収容する施設だったそうで、安政の大獄大獄で刑死した吉田松陰はここで最期を遂げたのだとか。
その後、その跡地が処刑場跡であることが嫌われて荒れ果てたままだったこの地に、刑場で亡くなった者たちを慰霊の為に創建されたのが大安楽寺だそうです。
当日は寺務所脇に法務でご不在とのお知らせがあり、何種類かの書置きの御朱印(日付無し)が袋に入っていましたので、そのうちの1種類を拝受いたしました。ちなみに御朱印のサイズは、大サイズの御朱印帳でもそのままでは貼れないような大きさでした。
日を改めて、また参拝したいと思います。
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大安楽寺は、東京都中央区日本橋小伝馬町3番5号に位置する高野山真言宗の寺院です。この寺院は、江戸三十三観音霊場の5番札所として知られています8。
歴史と由来
大安楽寺は、明治15年に創建されました。元々この場所は江戸時代の牢屋敷跡で、誰も住み着かない荒れ果てた土地でした。亡くなった方々の慰霊を祈るため、大倉喜八郎と安田善次郎の寄進によって寺院が建立されました。
アクセス
最寄り駅は以下の通りです:
東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」2番出口から徒歩1分
都営新宿線「馬喰横山駅」
JR総武本線「新日本橋駅」
寺院の特徴
高野山の準別格本山です。
真言宗智山派に属し、京都の東山七条にある智積院が総本山です。
墓地があり、現在も空き区画が数箇所あります。ただし、檀家になることが条件となっています。

東京都中央区日本橋小伝馬町に位置する大安楽寺(だいあんらくじ)は、高野山真言宗の仏教寺院で、山号は新高野山です。本尊には十一面観世音菩薩が祀られ、江戸三十三観音札所の第五番札所としても知られています。
●創建の背景
大安楽寺の創建は1875年(明治8年)にさかのぼります。当時のこの地は、伝馬町牢屋敷があった場所で、牢屋敷が廃止された後は荒れ果てていました。この不浄地に誰も住み着かず、地域住民が敬遠する状況でしたが、五大山不動院の住職・山科俊海が慰霊のために寺院の建立を決意しました。
大倉喜八郎と安田善次郎の寄進を受け、当寺は「大安楽寺」と名付けられました。この名前は、二人の名前の頭文字(「大」と「安」)に由来しています。さらに、1883年(明治16年)には高野山から弘法大師の像が遷座され、「新高野山」の名が与えられました。
●歴史の変遷
1923年(大正12年)には関東大震災による火災で堂宇が焼失しましたが、1929年(昭和4年)に再建され、現在の規模を持つ寺院として再スタートを切りました。1954年(昭和29年)には東京都の史跡に指定されています。
●境内の見どころ
境内にはいくつかの重要な仏像や施設があります。特に、運慶作とされる八臂弁財天像は、美術的にも高い評価を受けています。また、延命地蔵尊や江戸八臂弁財天、宝安稲荷などもあります。
さらに、境内には古い石灯籠や観世音を刻んだ石碑があります。特に、老柳のそばに建てられた石碑は、かつての処刑場跡を示しております。


正式名:新高野山大安楽寺
東京都中央区日本橋小伝馬町にある高野山真言宗の仏教寺院である。本尊は十一面観世音菩薩。
かつては一帯が伝馬町牢屋敷であり、当寺にも「江戸伝馬町処刑場跡」の碑が残っている。
牢屋敷は明治8年(1875)5月に市ヶ谷(市谷監獄)へと移ったものの、跡地は処刑場跡であることが嫌われ荒れ果てたままであった。
明治5年(1872)、この地に燐火が燃えるのを見た五大山不動院の住職であった大僧正の山科俊海は処刑場で亡くなった者たちを慰霊せんと勧進し、明治8年(1875)に大倉喜八郎、安田善次郎らの寄進を受け創建されたのが大安楽寺である。
寺名の大安楽寺の「大」は大倉、「安」は安田の名に由来する。
明治16年(1883)には高野山より弘法大師の像を遷座し、新高野山の山号を称した。
しかし、大正12年(1923)の関東大震災による火災で堂宇は焼失し、昭和4年(1929)に現在の規模で再建された。
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