ぞうじょうじ
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楽しみ方増上寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年01月25日(土) 11時19分57秒
参拝:2025年1月吉日
年始のお参りは、朝から雲一つない快晴に恵まれました。 続いて向かうは三縁山広度院 増上寺、浄土宗の七大本山の一つです。 澄んだ空気と真っ青な空が広がり、三解脱門を潜ると現れる本堂の後景には東京タワーと麻布台ヒルズの森JPタワーが見えてきます。 仏教建築と大都会の象徴的建造物とも言える昭和の東京タワー、そして令和の麻布台ヒルズのコラボレーションは東京ならではの景色で圧巻でした。 増上寺は明徳4年(1393年)、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって武蔵国豊嶋郡貝塚(現在の東京都千代田区紀尾井町付近)にあった光明寺という真言宗寺院を浄土宗へと復興改宗し創建されたといいます。 徳川将軍家の二つの菩提寺の内の一寺として知られ、二代将軍・徳川秀忠(とくがわ ひでただ)をはじめ六代・家宣(いえのぶ)、七代・家継(いえつぐ)、九代・家重(いえしげ)、十二代・家慶(いえよし)、十四代・家茂(いえもち)の、6代の将軍の墓所が設けられています。 増上寺が徳川家の菩提寺として選ばれた由縁は定かではありませんが一説によると天正18年(1590年)、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の小田原征伐後、関東移封となった徳川家康(とくがわ いえやす)が江戸入部の折、偶々増上寺の前を通りかかった際に当時の住職であった源誉存応(げんよぞんのう)上人と対面したのがきっかけとも云われています。 源誉上人に深く帰依した家康によって、またその後も歴代将軍から手厚い保護を受けた増上寺は東国随一の浄土宗寺院として隆盛を極めたと云います。 慶長3年(1598年)には江戸城の裏鬼門にあたる南西の方角を守護する形で現在の芝の地に移転すると、その後は前述にある徳川6代の将軍霊廟が造営される度に寺領は拡張されていき、全盛期の境内は約25万坪にも及んだそうです。 芝公園の敷地全体はもちろん都営浅草線と大江戸線の駅名にもなっている「大門」は当時の増上寺の総門を指しているとのことで、その広大さが窺い知れます。 家康は生前「自分の遺体は駿府の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎてから下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ」との遺言を残し元和2年(1616年)に駿府城で死去しました。 増上寺には家康のお墓は無いけれど、安国殿には家康が出陣の際に戦勝を祈願し、共に戦場に赴いたとされる念持仏の阿弥陀如来像(俗称「黒本尊」: 元は金色の像だったが、長年の香煙で黒ずんでしまったことからそう呼ばれる)が秘仏として奉安されています。

増上寺・三解脱門(三門)

増上寺・水盤舎

増上寺・鐘楼堂

増上寺・大殿(本堂)

増上寺・大殿(本堂)

増上寺・大殿(本堂)

増上寺・安国殿

増上寺・光摂殿

増上寺・西向聖観世音菩薩

増上寺・千躰子育地蔵尊

増上寺・徳川将軍家霊廟

増上寺・鋳抜門

増上寺・圓光大師堂

増上寺・圓光大師堂

増上寺・大納骨堂(舎利殿)

増上寺・慈雲閣(開山堂)

増上寺・黒門

増上寺・大門

増上寺・台徳院霊廟惣門

御朱印・黒本尊
すてき
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らんでぃー382投稿
令和になってから奈良の興福寺を参拝したのをきっかけに、御朱印を集めるようになりました。今では夫婦で神社仏閣巡りを楽しんでいます。妻は置物御籤もコレクションしています。もっと読む
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