ぞうじょうじ
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増上寺ではいただけません
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増上寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月25日(木)
参拝:2021年2月吉日
増上寺(ぞうじょうじ)は、港区にある浄土宗の大本山。山号は三縁山、院号は広度院。江戸時代に徳川家の菩提寺として、上野の寛永寺と並んで隆盛を誇った寺院。風水学的には、寛永寺が江戸城の鬼門、増上寺が裏鬼門に配置された。
創建は、9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(現・千代田区麹町近辺)に建立した真言宗の光明寺が前身と言われる。室町時代の1393年、浄土宗第八祖・酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)が浄土宗に改宗し、寺号を増上寺と改めた。1470年には勅願所に任ぜられた。
増上寺が徳川家の菩提寺になった経緯は不詳で、通説では1590年に徳川家康が江戸入府の際に、たまたま増上寺の前を通り、源誉存応上人と出会ったのがきっかけとのこと。増上寺は貝塚から日比谷に移っていたが、江戸城拡張に伴い、家康の指示で1622年、江戸城の裏鬼門の現在地・芝に移された。
江戸時代には徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として隆盛を誇るも、明治維新後の神仏分離により規模は縮小、境内のほとんどが芝公園になった。さらに太平洋戦争での米軍空襲により、徳川家霊廟、五重塔など重要遺構を焼失した。戦後は、1958年に完成した東京タワーの建設に当たり、墓地の一部を土地として提供。
当寺は、地下鉄・大門駅、御成門駅、芝公園駅のいずれからでも徒歩5分ほど。東京中心部の数少ない一大緑地帯<芝公園>の構成要素の一部になっている。近隣には港区立芝公園、東京タワー、なぜかプリンスホテル群がある。
参拝時は平日の午後、浜松町・大門のオフィス街の近くということで交通の便が良いこともあり、参拝者は少ないものの途切れることなく訪れていた。
創建は、9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(現・千代田区麹町近辺)に建立した真言宗の光明寺が前身と言われる。室町時代の1393年、浄土宗第八祖・酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)が浄土宗に改宗し、寺号を増上寺と改めた。1470年には勅願所に任ぜられた。
増上寺が徳川家の菩提寺になった経緯は不詳で、通説では1590年に徳川家康が江戸入府の際に、たまたま増上寺の前を通り、源誉存応上人と出会ったのがきっかけとのこと。増上寺は貝塚から日比谷に移っていたが、江戸城拡張に伴い、家康の指示で1622年、江戸城の裏鬼門の現在地・芝に移された。
江戸時代には徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として隆盛を誇るも、明治維新後の神仏分離により規模は縮小、境内のほとんどが芝公園になった。さらに太平洋戦争での米軍空襲により、徳川家霊廟、五重塔など重要遺構を焼失した。戦後は、1958年に完成した東京タワーの建設に当たり、墓地の一部を土地として提供。
当寺は、地下鉄・大門駅、御成門駅、芝公園駅のいずれからでも徒歩5分ほど。東京中心部の数少ない一大緑地帯<芝公園>の構成要素の一部になっている。近隣には港区立芝公園、東京タワー、なぜかプリンスホテル群がある。
参拝時は平日の午後、浜松町・大門のオフィス街の近くということで交通の便が良いこともあり、参拝者は少ないものの途切れることなく訪れていた。
境内から数百m離れた公道上に立つ<大門>。
境内入口に立つ<三解脱門(さんげだつもん)>。三戸楼門、入母屋造、朱漆塗。間口19m、奥行9m、高さ21mの二重建構造。左右には5mの山廊を有する。楼上内部には中央に釈迦三尊像、脇壇に十六羅漢像を安置。国指定重要文化財。
1611年徳川家康の助成で建立。別名<三門>と呼ばれ、三つの煩悩(貪欲、瞋恚、愚痴)の三悪を解脱する悟りの境地を表す。
1611年徳川家康の助成で建立。別名<三門>と呼ばれ、三つの煩悩(貪欲、瞋恚、愚痴)の三悪を解脱する悟りの境地を表す。
寺号標。
三解脱門をくぐってショック。メインの<大殿>は、現在絶賛改装中...涙
左手にある<水盤舎>。ひときわ古風な外観が目を引くが、説明ではやはり清揚院殿の霊廟(徳川将軍家の霊廟)から移築。
右手にある<鐘楼堂>。1633年に建立されたが、大戦の米軍空襲で焼失。戦後再建。大梵鐘は1673年に鋳造、高さ3m、重さ15t、東日本最大級で江戸三大名鐘の一つ。
本堂の扁額。
本堂内。本尊阿弥陀如来を祀る。
本堂から境内を望む。
本堂の右脇にある<安国殿>。徳川家康の念持仏「黒本尊阿弥陀如来(秘仏)」を祀る。江戸庶民からも信仰され、現在は年3回御開帳あり。御朱印はこちらの入って右側の授与所にて。
安国殿の扁額。中では簡単な写経ができ、終わると記念に特別御朱印が拝受できる。
安国殿の隣にある<西向聖観世音菩薩>を祀ったお堂。こちらが江戸三十三観音巡りの札所本尊であるため、安国殿の前にこちらで参拝が必要。
西向聖観世音菩薩像。
境内北側を大きく埋め尽くす<千躰子育地蔵菩薩>。当寺の<ひまわり講>が奉納。赤い帽子、赤い前掛け、風車が異なる。
安国殿の裏手にある<徳川将軍家墓所>。徳川歴代将軍のうち、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人が眠る。
戦前は墓所・本殿・拝殿などを供え、当時の最高技術を駆使した厳粛かつ壮麗な霊廟で<国宝>に指定されていたが、大戦の米軍空襲で大半を焼失、残りも国宝解除。上写真の門は旧国宝の<鋳抜門(いぬきもん)>。
戦前は墓所・本殿・拝殿などを供え、当時の最高技術を駆使した厳粛かつ壮麗な霊廟で<国宝>に指定されていたが、大戦の米軍空襲で大半を焼失、残りも国宝解除。上写真の門は旧国宝の<鋳抜門(いぬきもん)>。
ここからは<大殿>の左手を廻る。こちらは、大殿と繋がっている<光摂殿(こうしょうでん)>。
光摂殿正面の扁額。
光摂殿の隣にある<増上寺会館>。
増上寺会館の道を挟んで左手にある<経蔵>。1605年創建、1681年改造移築、1802年現在地に移築。構造は土蔵造、白壁仕上げ、一重、屋根宝形瓦葺、四方に銅板裳階付。
経蔵の左隣にある<慈雲閣>。
2階部分は開山堂で、開山上人を祀る。
慈雲閣の脇にある出入口<黒門>。
境内の北東にある<熊野(ゆや)三所大権現宮>。増上寺鎮守。
御祭神は、熊野本宮大社・家津御子大神(けつみこのおおかみ)、熊野那智大社・大己貴命(おおなむらのみこと)、熊野速玉神社・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の3体。
すてき
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