しんこういん|浄土宗
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浄土宗 心光院
東京タワーにもっとも近いお寺になるかと思います。
というか、山門前から写真を撮ると、境内の中に東京タワーがあるんじゃないか?と思うくらいです。
そのためこの心光院前の道は東京タワーを撮影するには絶好のポイント。
海外の観光客が東京タワーをバックに記念写真を撮られている中、邪魔にならないよう山門の写真を撮り境内の中へ。
この日は施餓鬼法要が執り行われるところだったようで、境内には檀家さんたちが訪れる中、お邪魔しないように本堂前で合掌。
境内をあまり見て回ることもできずに早めの退散となりました。
もちろんお寺の方々はとても忙しそうにされていたため、御朱印も遠慮させていただきました。
次、東京に行く機会があればもっとゆっくりお参りさせていただきます。
御本尊 阿弥陀如来坐像
<歴史>~心光院HPより~
心光院のはじまりは、明徳4年(1393)、江戸の「貝塚」(現在の千代田区麹町付近)の地に酉誉聖聰上人が増上寺を開山し、山内に学寮として庵を結んだことからと伝わります。
慶長3年(1598)、増上寺は徳川家の菩提寺に定められ、現在地である芝への移転に心光院も随行しました。
将軍の霊廟や子院学寮をいただく芝増上寺は、浄土宗の東国の要として発展します。
やがて心光院は、元禄8年(1695)、徳川二代将軍秀忠公(台徳院殿)菩提のため、増上寺の別院・念仏道場となりました。
院内には秀忠公寵愛の白馬を供養した布引観音堂がありました。
また江戸庶民にも知られた「お竹大日如来」の流し板が当院に奉納されており、お竹の奇特に感銘をうけた桂昌院(五代将軍綱吉公生母)より、袋と箱が寄進されました。
その後、宝暦11年(1761)、増上寺山内に九代将軍家重公の墓所が造営される際、心光院の場所が近接していたため、三縁山の外境内と称して、増上寺赤羽門外の芝赤羽橋際へ移転しました。
江戸幕府より安堵された境内は『江戸名所図会』にも紹介され、増上寺別院の役職を継続しながら町寺としても栄え、明治・大正・戦前へと継承されました。



増上寺からてくてくお散歩しながらお詣り。
整えられた境内にはどなたもいらっしゃいません
でしたが、御朱印対応お願いしましたら
書置きをお授けくださいました。
お詣りしたいとお願いしましたら、
気持ちよく美しい仏様にお会いすることが
できました。たまたまご住職様にお会いできて
中に入ってお詣りすること機会を頂けたようです。
仏様のお背中のステンドグラスは世に二つとない
高名な方の作品だそうで、直接お見せ頂けた
わたしはツイてました。
仏様のお顔とお身体は制作時期が異なるそうです。
突然お邪魔したにも関わらず、お寺の再建の
お話など、興味深いお話をたくさん伺うことが
出来ました。ありがとうございました。


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