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湯島聖堂ではいただけません
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ゆしませいどう

湯島聖堂
東京都 御茶ノ水駅

午前9時〜午後5時(冬季は午後4時)
土、日、祝日は大成殿公開 午前10時〜閉門時間

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ひでどらごん
ひでどらごん
2025年01月25日(土)
833投稿

湯島聖堂は、東京都文京区湯島一丁目に位置する孔子廟であり、1690年(元禄3年)に江戸幕府第5代将軍徳川綱吉によって建設されました。この地には「日本の学校教育発祥の地」の掲示があり、聖橋を渡った森の中にその姿を残しています。

● 林羅山による初期の聖堂
この聖堂の起源は、林羅山が1632年(寛永9年)に現在の上野恩賜公園に建てた「先聖殿」という孔子廟にさかのぼります。綱吉はこの先聖殿を湯島に移築し「大成殿」と改称。さらに付属する建物を含めて「聖堂」と総称しました。

● 幕府直轄の学問所への発展
林家が開いていた私塾が1797年(寛政9年)、湯島聖堂内に幕府直轄の学問所「昌平坂学問所」(昌平黌)として発展。この学問所は、儒教教育の中心地となり、多くの学者や学生が集いました。

● 再建と発展
湯島聖堂は江戸時代から度重なる火災、1923年の関東大震災、第二次世界大戦時の空襲で幾度も被害を受けました。しかし、1935年(昭和10年)には鉄筋コンクリート造りで再建され、現在の姿に至ります。この際、大成殿は黒色エナメル塗りの外観となり、屋根には青銅製の鬼狛頭が設置されました。

● 世界最大の孔子像
現在、湯島聖堂構内には世界最大の孔子像が設置されています。この像は1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたもので、孔子の教えを象徴する重要な存在となっています。

儒教と日本への影響
● 孔子とその教え
孔子(紀元前551年–479年)は春秋時代の中国で生まれ、人間愛を中心とした教えを説きました。その思想は「論語」という書物にまとめられ、後世の儒教の基盤となりました。日本には4世紀末に伝来し、学問を志す者の必読書として重んじられてきました。

● 昌平坂学問所から東京大学へ
昌平坂学問所は、後に維新政府の下で閉鎖されますが、その流れは東京大学へと受け継がれます。教育機関としての湯島聖堂の役割は、現代の日本教育の基盤となりました。

● 国の史跡指定
1922年(大正11年)に国の史跡に指定され、保存が進められました。その後も文化庁による修復工事が行われ、1993年(平成5年)に竣工しています。

● 湯島天満宮との関係
湯島天満宮と並び、特に受験シーズンには合格祈願のための学生たちが訪れます。合格祈願の鉛筆が人気で、多くの受験生が買い求めています。

● ドラマや映像作品のロケ地
湯島聖堂は、その重厚な雰囲気から多くの映像作品のロケ地としても利用されています。特にドラマ「西遊記」や音楽ビデオの撮影に使用されました。

湯島聖堂(東京都)
湯島聖堂(東京都)
湯島聖堂(東京都)
湯島聖堂(東京都)
湯島聖堂(東京都)
湯島聖堂(東京都)
湯島聖堂(東京都)
湯島聖堂(東京都)
湯島聖堂(東京都)
湯島聖堂(東京都)
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ぱん吉🍀
ぱん吉🍀
2024年12月13日(金)
1104投稿

さぁ東京⑧国指定史跡『湯島聖堂』🌿
徳川幕府直轄の昌平坂学問所〜ずっと行きたかった儒教の始祖である孔子を祀る廟。素晴らしい御朱印も書いていただけるのが嬉しい(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)
寺社仏閣ではありませんが、美しい建築物と豊かな自然に触れ癒やしの時間を過ごしました♪

神田明神とご近所だと遅ればせながら気付き、湯島聖堂からお散歩気分で参拝へ向かいました🍀

湯島聖堂の御朱印

とても美しい文字の御朱印😌
ポストカードもいただきました。
歌舞伎座御朱印(集印)帳の一項目✨
神社でもお寺でもないからバッチリ

湯島聖堂の山門

《入徳門》
昌平坂学問所時代の1704年に建立!
江戸時代唯一の遺構、、残って良かった😌
紅葉も綺麗🍁

湯島聖堂の像

《孔子像》
高さ4.5m!世界最大の孔子像らしい😃

湯島聖堂の山門

《杏壇門》
孔子が学問を講じた壇の近くに杏の木があったので、学問を教える場所や学問所の建物を杏壇と呼ぶようになったのが名前の由来だそう〜なんと素敵♪

湯島聖堂の絵馬

さすが幕府直轄の学問所だった場所!
合格祈願の絵馬がたくさんありました。
これから更に増える時期ですね、、

湯島聖堂の絵馬

受験生よ頑張って!

湯島聖堂の本殿

〜大成殿と廻廊(東廡・西廡)〜
奥の銀杏の黄葉とのコラボも綺麗でした。

こちらの朝鮮や中国のような建築
↓日本では見ないものにも遭遇

湯島聖堂の狛犬

〜鬼口頭と鬼龍子〜
鯱鉾や鳳凰とは少し違う、、「鬼口頭」は
神魚が潮を噴き上げている様子だとか😄
その前で睨みを利かせるぱっと見は虎、、
そんな霊獣は「鬼龍子」カッコイイ💕

湯島聖堂の本殿

《大成殿/孔子廟》
関東大震災で焼失、昭和10年に再興。
工学博士(東京帝国大学)伊東忠太教授の設計により、寛政時代の旧制を模した鉄筋コンクリート造で美しい姿がよみがえる✨

湯島聖堂の本殿

奥には孔子像🙏
孟子、顔子などの聖人も祀られています

湯島聖堂の山門

《杏壇門》裏から見ても美しい✨

湯島聖堂の狛犬

こちらにも鬼口頭と鬼龍子🥰
朝鮮や中国の建築に見られる

湯島聖堂の歴史
湯島聖堂の自然

〜楷の木〜
孔子の墓所にも植えられている楷の木は
楷書のいわれにもなっている樹木。

湯島聖堂の歴史

詳しい由来はこちら

湯島聖堂の山門

《仰高門》
こちらの表から入り裏から出ました

湯島聖堂の建物その他

《斯文会館》
仰高門の右側にあるシブい建物😊
中も文化と学問のかおり漂う雰囲気!

湯島聖堂(東京都)

御朱印待ちの札も素敵✨
「御朱印帳はありますか?」と問われ
ピカピカの歌舞伎座集印帳の出番!
待つのも楽しいレトロ空間でした😄

湯島聖堂の自然

〜すだじい〜
はじめて見ました

湯島聖堂の自然

5~6月 黄色い香りの強い花が咲くらしい
見てみたいな🌿

湯島聖堂の建物その他

こちらから出て神田明神へ寄りました。
近所なので寄らない選択肢なし😊

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歴史

湯島聖堂は、もと上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、官学の府としたのが始まり。この時からこの大成殿と附属の建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになった。

こののち、寛政9年(1797)十一代家斉のとき規模を拡大し「昌平坂学問所」を開設、官学のとしての威容も整った。この時の設計は、かつて朱舜水(中国明朝の遺臣)が水戸徳川光圀のために製作した孔子廟の模型が参考にされた。また、これまで朱・緑・青・朱漆などで彩色されていたものを黒漆塗りとした。

現在のものは、大正12年(1923)9月1日関東大震災により、罹災、入徳門・水屋を残し全て焼失、これを斯文会が復興計画を立て、昭和10年(1935)に再建したものである。復興聖堂の規模結構すべて寛政9年当時の旧聖堂に拠り、木造であったものを耐震耐火のため鉄筋コンクリート造りとした。祀られる孔子像は、朱舜水亡命時に携えて来たものが大正天皇に献上されていたもを御下賜された御物である。

また、孔子を祀る祭典である釈奠(セキテン)は、江戸時代には春秋2回、現在では毎年4月の第4日曜日の午前10時より、神田神社神官により執り行っている。(公式ホームページより)

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湯島聖堂の基本情報

住所東京都文京区湯島1-4-25
行き方

JR御茶ノ水駅 徒歩2分
東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅 徒歩2分
東京メトロ丸の内線御茶ノ水駅 徒歩1分

アクセスを詳しく見る
名称湯島聖堂
読み方ゆしませいどう
通称湯島聖堂
参拝時間

午前9時〜午後5時(冬季は午後4時)
土、日、祝日は大成殿公開 午前10時〜閉門時間

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号03-3251-4606
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.seido.or.jp
お守りあり
絵馬あり

詳細情報

ご本尊孔子,孟子,顔子,曾子,子思
宗旨・宗派
創建時代1690年(元禄3年)
開山・開基徳川綱吉
本堂入母屋造り
文化財

湯島聖堂(国の史跡)

ご由緒

湯島聖堂は、もと上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、官学の府としたのが始まり。この時からこの大成殿と附属の建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになった。

こののち、寛政9年(1797)十一代家斉のとき規模を拡大し「昌平坂学問所」を開設、官学のとしての威容も整った。この時の設計は、かつて朱舜水(中国明朝の遺臣)が水戸徳川光圀のために製作した孔子廟の模型が参考にされた。また、これまで朱・緑・青・朱漆などで彩色されていたものを黒漆塗りとした。

現在のものは、大正12年(1923)9月1日関東大震災により、罹災、入徳門・水屋を残し全て焼失、これを斯文会が復興計画を立て、昭和10年(1935)に再建したものである。復興聖堂の規模結構すべて寛政9年当時の旧聖堂に拠り、木造であったものを耐震耐火のため鉄筋コンクリート造りとした。祀られる孔子像は、朱舜水亡命時に携えて来たものが大正天皇に献上されていたもを御下賜された御物である。

また、孔子を祀る祭典である釈奠(セキテン)は、江戸時代には春秋2回、現在では毎年4月の第4日曜日の午前10時より、神田神社神官により執り行っている。(公式ホームページより)

体験絵馬御朱印

Wikipediaからの引用

概要
湯島聖堂(ゆしませいどう)は、東京都文京区湯島一丁目にある史跡。江戸時代の元禄3年(1690年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。 湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。特に、合格祈願の鉛筆を買っていく受験生の姿が多く見受けられる。国の史跡に指定されている。
歴史
歴史[編集] 聖堂(江戸名所図会より)[1] 元昌平坂聖堂での博覧会(昇斎一景・1872年) 関東大震災で被災した湯島聖堂 1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。翌1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。林家の学問所も当地に移転している。 大成院の建物は、当初朱塗りにして青緑に彩色されていたと言われているが、その後度々の火災によって焼失した上、幕府の実学重視への転換の影...Wikipediaで続きを読む
アクセス
アクセス[編集] JR東日本御茶ノ水駅 徒歩2分 東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅 徒歩2分 東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅 徒歩1分
引用元情報湯島聖堂」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B9%AF%E5%B3%B6%E8%81%96%E5%A0%82&oldid=103048591
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