しのぶそんくうじんじゃ
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とにかくとてもきれいで感激でした!
風が強い日で、金色のイチョウの葉が一斉にザーッと舞い散って、境内全体にパラパラと葉擦れの音が聞こえてすごかったです。
日が当たって境内が明るく金色になっててとてもきれいでした。
地図で見て読めない漢字の神社に興味が湧いて行ってみたのですが、最高にきれいな日にお参りできたと思います。
もともとは志演(しのぶじんじゃ)と尊空神社(そんくうじんじゃ)だったそうですが、昭和20年3月9日の戦災により両社とも焼失。
その後、昭和22年3月、志演神社と尊空稲荷神社を合祀して社名を志演尊空神社と改名したそうです。
御朱印いただきました。
イチョウの葉がどんどん降ってきました。
<鳥居>
<手水舎>
手水舎にかかっていました。
<拝殿>
<狛犬>
<狛犬>
<境内>
<鳥居の額>
<由緒書>
500円になりました。
<御朱印>
歴史
<由緒書より>
寛永元年、深川郷唐島開発の際当地に訪ずれた菅原長寛が村民の要請を受けて稲荷大神を鎮座して深川稲荷と社名を称し土地の氏神としてあがめた。
元禄年間、時の将軍徳川綱吉がお鷹狩りの途中で当社に参拝に立ち寄られ「民の志を演ぶる事殊勝なり」と賞して社名を志演神社と改名せられた。
又、正徳二年の夏、当地に伝染病が流行し死者が多数に及んだ時、当社五代目別当、菅原快圓が病魔退散と天下泰平・五穀成就を祈念して柴燈大護摩を焚いたところ病は止まり、これによって毎年五月二十二日の祭礼を執行した。
当時の人々は「ごまの稲荷」と当社を呼んだ。これは古文書「東の都歳時記」に日本の三護摩として記載されている。
尊空親王は伏見邦頼親王の御子にして寛文三年十二月関東に下向、深川五本松にて隠棲される。親王死去の後、村民その徳を敬慕して邸跡に小祠を建てて村の鎮守としてあがめ奉る。
その後松平伊豆守抱屋敷内に祠れる稲荷大神を社殿と共に村内に寄附され、社名を尊空稲荷神社と称した。
昭和二十年三月九日の戦災により両社焼失。
昭和二十二年三月、志演神社と尊空稲荷神社を合祀して社名を志演尊空神社と改名す。
名称 | 志演尊空神社 |
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読み方 | しのぶそんくうじんじゃ |
通称 | ごまの稲荷 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 03-3644-1445 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《合》尊空親王,《主》宇迦之御魂神,伊邪那美命,須佐之男命,天手力雄命 |
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創建時代 | 1624年(寛永元年) |
創始者 | 菅原長寛 |
ご由緒 | <由緒書より>
昭和二十年三月九日の戦災により両社焼失。
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体験 | 御朱印 |
Wikipediaからの引用
概要 | 志演尊空神社(しのぶそんくうじんじゃ)は東京都江東区の神社。 |
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アクセス | 交通アクセス[編集] 南砂町駅より徒歩16分。 |
引用元情報 | 「志演尊空神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BF%97%E6%BC%94%E5%B0%8A%E7%A9%BA%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=96789563 |
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