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しのぶそんくうじんじゃ

志演尊空神社の御由緒・歴史
東京都 南砂町駅

ご祭神《合》尊空親王,《主》宇迦之御魂神,伊邪那美命,須佐之男命,天手力雄命
創建時代1624年(寛永元年)
創始者菅原長寛
ご由緒

<由緒書より>
寛永元年、深川郷唐島開発の際当地に訪ずれた菅原長寛が村民の要請を受けて稲荷大神を鎮座して深川稲荷と社名を称し土地の氏神としてあがめた。
元禄年間、時の将軍徳川綱吉がお鷹狩りの途中で当社に参拝に立ち寄られ「民の志を演ぶる事殊勝なり」と賞して社名を志演神社と改名せられた。
又、正徳二年の夏、当地に伝染病が流行し死者が多数に及んだ時、当社五代目別当、菅原快圓が病魔退散と天下泰平・五穀成就を祈念して柴燈大護摩を焚いたところ病は止まり、これによって毎年五月二十二日の祭礼を執行した。
当時の人々は「ごまの稲荷」と当社を呼んだ。これは古文書「東の都歳時記」に日本の三護摩として記載されている。
尊空親王は伏見邦頼親王の御子にして寛文三年十二月関東に下向、深川五本松にて隠棲される。親王死去の後、村民その徳を敬慕して邸跡に小祠を建てて村の鎮守としてあがめ奉る。
その後松平伊豆守抱屋敷内に祠れる稲荷大神を社殿と共に村内に寄附され、社名を尊空稲荷神社と称した。

昭和二十年三月九日の戦災により両社焼失。
昭和二十二年三月、志演神社と尊空稲荷神社を合祀して社名を志演尊空神社と改名す。

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