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牛嶋神社ではいただけません
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うしじまじんじゃ

牛嶋神社
東京都 本所吾妻橋駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

牛嶋神社について

5年に一度!牛車が町を練り歩く!?


2017年は5年に一度の大祭の年にあたり、お祭りの初日と二日目に牛車の巡行が行われます。黒牛が曳く鳳輦(牛車)を中心に手古舞(向島花街芸者衆の先導隊)、稚児などが華やか行列を作り、この巡行は全行程約35kmにも及びます。

12年に1度!丑年限定のお守り


当社の社号にもなっている牛にちなんで12年に1度焼き物の牛の置き物が頒布されています。

東京都のおすすめ2選🌸

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meme
2022年11月29日(火)
943投稿

本日四社目にして初お参りの神社です。
想像を大きく越える素晴らしさです👀〰️💕

出入口というか鳥居か五ヶ所あり出たり入ったり…🤭

もしかしたら今回の旅行でいちばんお気に入りになるかも~😆と思いました

社務所の開く時間までゆっくりお参りしながら待たせて頂きました。

牛嶋神社の本殿
牛嶋神社の本殿
牛嶋神社の本殿
牛嶋神社の本殿
牛嶋神社の狛犬
牛嶋神社の狛犬
牛嶋神社の狛犬
牛嶋神社の狛犬
牛嶋神社の狛犬
牛嶋神社の狛犬
牛嶋神社の狛犬
牛嶋神社の建物その他

竹灯籠です。境内のなかにはたくさん設置されてました😆ここは夜来るべきだったかも😨…💦ショック😱何時もの事ながらリサーチ不足のたまものです…

牛嶋神社の鳥居
牛嶋神社の鳥居
牛嶋神社の鳥居
牛嶋神社の建物その他
牛嶋神社の末社

お隣に可愛いお稲荷さん

牛嶋神社の周辺

浅草橋からスカイツリー見ながら歩きました

牛嶋神社の周辺
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例祭・神事

9月15日 例大祭

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歴史

牛嶋神社は隅田川の東岸、もと水戸徳川邸跡の、隅田公園に隣接して鎮座しています。
 古くは向島須崎町にありましたが、関東大震災後、昭和のはじめ現在地に再建されました。
 明治維新前は、本所表町の牛宝山明王院最勝寺が、別当として管理していましたが、明治初年の神仏分離後「牛の御前」の社名を牛嶋神社と改めました。
 隅田川に沿う旧本所一帯の土地を昔「牛嶋」と呼び、その鎮守として牛嶋神社と称したのです。
 神社に伝わる縁起書によりますと、貞観二年(860年)に慈覚大師が、御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請創祀、後に天之穂日命をまつり、次いでこの地でなくられた清和天皇の第七皇子貞辰親王命がまつられました。牛嶋神社の御祭神は、この三柱の神々であります。
 例祭日九月十五日は、貞観の昔はじめて祭祀を行なった日であるといわれております。
 治承四年(1180年)源頼朝が大軍をひきいて、下総国から武蔵国に渡ろうとした際に、豪雨による洪水のために渡ることができず、武将千葉介平常胤が祈願し、神明の加護によって全軍無事に渡ることができ、頼朝はその神徳を尊信し、翌養和元年(1181年)に社殿を造営し、多くの神領を寄進させました。
 さらに天文七年(1538年)六月には、後奈良院より「牛御前社」との勅号を賜ったといわれており、また、永禄十一年(1568年)北条氏直が関東管領であった際、大道寺駿河守景秀が神領を寄進しております。
 江戸時代には、鬼門守護の神社として将軍家の崇敬も厚く、特に三代将軍家光から本所石原新町の土地の寄進を受け、祭礼渡御の旅所となりました。現在の摂社若宮はその一部であります。
総桧権現造り、東都屈指の大社殿を誇る牛嶋神社は、氏子五十町・牛島講の守護神として、崇敬尊信をいただいております。

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牛嶋神社の基本情報

住所東京都墨田区向島1-4-5
行き方

都営浅草線「本所吾妻橋駅」 徒歩3分
東武スカイツリーライン「とうきょうスカイツリー駅」 徒歩3分
東京メトロ「浅草駅」 徒歩10分

アクセスを詳しく見る
名称牛嶋神社
読み方うしじまじんじゃ
通称うしのごぜん社
参拝時間

午前9時〜午後5時

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号03-3622-0973
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ホームページhttp://www.tokyo-jinjacho.or.jp/sumida/5692/
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お守りあり
絵馬あり
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詳細情報

ご祭神《主》建速須佐之男命,《配》天之穂日命,貞辰親王
創建時代貞観二年(860)
創始者慈覚
ご由緒

牛嶋神社は隅田川の東岸、もと水戸徳川邸跡の、隅田公園に隣接して鎮座しています。
 古くは向島須崎町にありましたが、関東大震災後、昭和のはじめ現在地に再建されました。
 明治維新前は、本所表町の牛宝山明王院最勝寺が、別当として管理していましたが、明治初年の神仏分離後「牛の御前」の社名を牛嶋神社と改めました。
 隅田川に沿う旧本所一帯の土地を昔「牛嶋」と呼び、その鎮守として牛嶋神社と称したのです。
 神社に伝わる縁起書によりますと、貞観二年(860年)に慈覚大師が、御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請創祀、後に天之穂日命をまつり、次いでこの地でなくられた清和天皇の第七皇子貞辰親王命がまつられました。牛嶋神社の御祭神は、この三柱の神々であります。
 例祭日九月十五日は、貞観の昔はじめて祭祀を行なった日であるといわれております。
 治承四年(1180年)源頼朝が大軍をひきいて、下総国から武蔵国に渡ろうとした際に、豪雨による洪水のために渡ることができず、武将千葉介平常胤が祈願し、神明の加護によって全軍無事に渡ることができ、頼朝はその神徳を尊信し、翌養和元年(1181年)に社殿を造営し、多くの神領を寄進させました。
 さらに天文七年(1538年)六月には、後奈良院より「牛御前社」との勅号を賜ったといわれており、また、永禄十一年(1568年)北条氏直が関東管領であった際、大道寺駿河守景秀が神領を寄進しております。
 江戸時代には、鬼門守護の神社として将軍家の崇敬も厚く、特に三代将軍家光から本所石原新町の土地の寄進を受け、祭礼渡御の旅所となりました。現在の摂社若宮はその一部であります。
総桧権現造り、東都屈指の大社殿を誇る牛嶋神社は、氏子五十町・牛島講の守護神として、崇敬尊信をいただいております。

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