うしじまじんじゃ
牛嶋神社
東京都 本所吾妻橋駅
午前9時〜午後5時
貞観年間(859〜879)に慈覚大師円仁が当地を訪れた際、須佐之男命の化身の老翁から託宣を受けて創建した。
鎌倉に進軍する源頼朝の軍勢が隅田川を渡河する際に千葉常胤が当社で祈願し、無事に渡ることができた。以降、千葉氏の崇敬を集めるようになり、明治以前は「牛御前社」と呼ばれており、本所の総鎮守であった。
元々は500メートル北の弘福寺のそば(現在の桜橋付近)に位置していたが、大正12年(1923)の関東大震災で罹災し、また墨田堤の拡張工事に伴い、昭和7年(1932)に現在地に遷座。
なお、神社には弘化2年(1845)に奉納された葛飾北斎の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」があったが、関東大震災で現物は焼失し、現在は原寸大の白黒写真が本殿内に掲げられている。
境内には「撫牛」と呼ばれる牛の像があり、自分の体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられている。
また本殿前の鳥居は三ツ鳥居と呼ばれる比較的珍しい形態の鳥居である。
御旅所として、墨田区本所二丁目(若宮公園内)に「摂社若宮牛嶋神社」がある。
本日四社目にして初お参りの神社です。
想像を大きく越える素晴らしさです👀〰️💕
出入口というか鳥居か五ヶ所あり出たり入ったり…🤭
もしかしたら今回の旅行でいちばんお気に入りになるかも~😆と思いました
社務所の開く時間までゆっくりお参りしながら待たせて頂きました。
竹灯籠です。境内のなかにはたくさん設置されてました😆ここは夜来るべきだったかも😨…💦ショック😱何時もの事ながらリサーチ不足のたまものです…
お隣に可愛いお稲荷さん
浅草橋からスカイツリー見ながら歩きました
牛嶋神社は隅田川の東岸、もと水戸徳川邸跡の、隅田公園に隣接して鎮座しています。
古くは向島須崎町にありましたが、関東大震災後、昭和のはじめ現在地に再建されました。
明治維新前は、本所表町の牛宝山明王院最勝寺が、別当として管理していましたが、明治初年の神仏分離後「牛の御前」の社名を牛嶋神社と改めました。
隅田川に沿う旧本所一帯の土地を昔「牛嶋」と呼び、その鎮守として牛嶋神社と称したのです。
神社に伝わる縁起書によりますと、貞観二年(860年)に慈覚大師が、御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請創祀、後に天之穂日命をまつり、次いでこの地でなくられた清和天皇の第七皇子貞辰親王命がまつられました。牛嶋神社の御祭神は、この三柱の神々であります。
例祭日九月十五日は、貞観の昔はじめて祭祀を行なった日であるといわれております。
治承四年(1180年)源頼朝が大軍をひきいて、下総国から武蔵国に渡ろうとした際に、豪雨による洪水のために渡ることができず、武将千葉介平常胤が祈願し、神明の加護によって全軍無事に渡ることができ、頼朝はその神徳を尊信し、翌養和元年(1181年)に社殿を造営し、多くの神領を寄進させました。
さらに天文七年(1538年)六月には、後奈良院より「牛御前社」との勅号を賜ったといわれており、また、永禄十一年(1568年)北条氏直が関東管領であった際、大道寺駿河守景秀が神領を寄進しております。
江戸時代には、鬼門守護の神社として将軍家の崇敬も厚く、特に三代将軍家光から本所石原新町の土地の寄進を受け、祭礼渡御の旅所となりました。現在の摂社若宮はその一部であります。
総桧権現造り、東都屈指の大社殿を誇る牛嶋神社は、氏子五十町・牛島講の守護神として、崇敬尊信をいただいております。
住所 | 東京都墨田区向島1-4-5 |
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行き方 | 都営浅草線「本所吾妻橋駅」 徒歩3分
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名称 | 牛嶋神社 |
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読み方 | うしじまじんじゃ |
通称 | うしのごぜん社 |
参拝時間 | 午前9時〜午後5時 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 03-3622-0973 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/sumida/5692/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《主》建速須佐之男命,《配》天之穂日命,貞辰親王 |
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創建時代 | 貞観二年(860) |
創始者 | 慈覚 |
ご由緒 | 牛嶋神社は隅田川の東岸、もと水戸徳川邸跡の、隅田公園に隣接して鎮座しています。
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体験 | おみくじ絵馬結婚式御朱印お守り祭り |
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