おおとりじんじゃ
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楽しみ方鷲神社のお参りの記録一覧(13ページ目)
酉の市以来の鷲神社です。
かつて酉の市にお詣りした際には、なかなか列が進まないうえに前が見えず、果てしなくどこまでも続いているような感覚がありました。
今回は人がいないため、広い境内が狭く感じました。


御由緒

一の叉木と大熊手

大熊手

立派ですね

叉木

一の鳥居と社号標

二の鳥居

二の叉木

樋口一葉玉梓乃碑

樋口一葉文学碑

正岡子規と俳人其角の句碑

渡殿と社殿

社殿

酉の市では存在を確認できなかったなでおかめ

なでおかめ
顔を撫でる場所によってご利益が違うのだそうです

絵馬


叶鷲

渡殿と神楽殿

御朱印

御朱印

出口の叉木をくぐった先は長國寺です

酉の祭、酉の市で知られる鷲神社は寿老人をお祀りしています。江戸下町を代表する神社で、開運、商売繁昌、家運隆昌、子育て、出世の神徳が深いとされ、「おとりさま」と称されて古くから江戸下町の民衆に篤く尊信されてきました。
鷲神社の創始についてはもとよりつまびらかではありませんが、ご祭神の一柱の天日鷲命(あめのひわしのみこと)は諸国を開拓して産を興した殖産の神として知られています。
天照大御神が天の岩戸におかくれになり、天宇受売命(あまのうずめのみこと)が岩戸の前で舞を舞われたとき、楽器の弦を奏でられました。命の父神、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸をお開きになりますと、その弦の先に鷲がどこからともなく飛んできてとまりました。その様子を固唾をのんで見守っていた八百万の神々は、その光景を、世の中を明るくする瑞祥(よいしるし)だとして、鷲の一字を入れて「天日鷲命」と称しました。
そして天日鷲命は、開運、開拓の福神として当地に鎮座されたのです。
酉の市錦絵
ご祭神のもう一柱である日本武尊(やまとたけるのみこと)は後に東征の帰途、当社の松に熊手をかけて勝ち戦のお礼参りをされた日が、ちょうど11月の酉の日であったことからその日に神様をおなぐさめする祭が行われるようになり、それが酉の市のはじまりなのです。
その後、ご祭神の福徳はますます世に広がり、江戸時代になると下町の民衆の篤い尊信を受け、とりわけ11月酉の日の祭礼は、諸願を祈る老若男女が境内にたくさん集まり、たいへんな賑わいを見せました。今日でも酉の市の隆昌は、江戸下町の情緒をたっぷりと味わせてくれています。そして酉の市には縁起物として熊手が登場してくるのです。
とにかく鷲神社の例祭(酉の市)は大変な人気で、酉の日の午前零時を期に打ち鳴らされる太鼓の合図とともにはじまる祭は、その日一日、江戸っ子の人いきれが境内にあふれます。










鷲神社(おおとりじんじゃ)
浅草で古くから「お酉様(おとりさま)」と呼ばれ親しまれている神社で酉の市(とりのいち)発祥の地です
「おおとり」を社名とする神社は各地にあり、大鳥神社、大鷲神社、鷲神社と漢字は違いますが、全て「おおとりじんじゃ」と読みます。総本社は大阪の大鳥大社とされています。
御祭神 天日鷲命(あめのひわしのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
通常の御朱印と七福神の寿老人の
御朱印が頂く事ができます

すごく賑やかな門です

門の横には、大きな熊手が飾られています

門をくぐると赤い鳥居がありました



赤い鳥居をくぐるともうひとつ鳥居がありました

正面には、拝殿があります

賽銭箱の上におかめさまが乗ってました
✨撫でおかめ✨というそうです
撫でるとご利益が頂けるとか

鳥居をくぐり左側に戻ります
手前の赤い建物で御朱印を頂きました
奥の赤い建物には、✨瑞鷲渡殿✨と書いてあります
「鷲舞ひ」酉の市の時などに奉納舞が行われます

出口になります


寿老人の御朱印頂きました
書いて下さった方が日にちを間違えたと謝って
こられました
東京都のおすすめ3選❄️
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