えんじゅじ/にちかどう|日蓮宗|六浦山
延寿寺/日荷堂のお参りの記録一覧
正式名:六浦山延壽寺
東京都台東区谷中一丁目にある日蓮宗の寺院。
明暦3年(1657)、覚性院日勤を開山に創建された大乗山延寿院が起源である。
宝永年間(1704〜1710)に身延山久遠寺の末寺となる。
宝暦5年(1755)、寺号を現在の「六浦山延寿寺」に改め、あわせて身延山の宿坊山本坊より日荷上人像を勧請した。
明和9年(1772)の明和大火で焼失したが、安永3年(1774)までに諸堂が再建された。
のち、慶応4年(1868)に上野戦争で山門を残し伽藍が焼失したが、明治9年(1876)に本堂、庫裡を再建、明治44年(1911)には仮堂であった日荷堂も再建された。
延寿寺は東京都台東区谷中にある日蓮宗の寺院で、山号は六浦山と称します。この寺院は1657年(明暦3年)に覚性院日勤によって開山され、当初は大乗山延寿院と名付けられました。1755年(宝暦5年)には現在の名に改められ、身延山久遠寺の直末寺となりました。
●延寿寺の由来と変遷
明和9年(1772年)に起きた明和大火では、延寿寺も大きな被害を受けましたが、第10世日鑑聖人の指導により再建が進められました。日荷堂の建立もこの時期に行われ、日荷上人の尊像が安置されました。日荷上人は特に脚気などの病に霊験があるとされています。
●現在の境内と文化財
延寿寺の境内には、本尊の釈迦像をはじめ、四菩薩や四天王の木像が祀られています。特に日荷堂に安置されている日荷上人像は、毎月10日に開帳されるため、多くの人々が訪れます。
明治維新の動乱期には、彰義隊との戦火により寺院は再び大きな打撃を受けました。しかし、信者の協力によって1876年には本堂と庫裡が再建され、1911年には日荷堂も新たに建てられました。これにより、延寿寺は「日荷さまのお寺」として地元の人々にさらに親しまれるようになりました。
谷中のシンボル・ヒマラヤ杉のすぐ近くに位置する、第四代将軍徳川家綱の時代に創建されたお寺です。
健脚の神様「日荷上人」が祀られている「日荷堂」があります。
この日荷上人というお方には、横浜の地から富士山の裏にある身延山まで、大きな仁王像2体を担いで運んだという逸話があります。三日三晩掛けて運んで奉納したそうです。
お堂の中には履き物の絵馬がたくさん飾られていました。
御住職の奥さまがいろいろと逸話や見どころを親切に教えてくださいました。ありがたいことです( ´ ▽ ` )
山門
延寿寺日荷堂の絵馬について
台東区有形民俗文化財です
本堂
日荷堂
日荷堂について
天井絵と履き物の絵馬
レトロなタイルが素敵
富増稲荷
浄行菩薩
御首題
ヒマラヤ杉
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