うんぺんじ|真言宗御室派|巨鼇山(きょごうざん)
雲辺寺徳島県 三縄駅
7:00~17:00
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楽しみ方
お盆休みを利用して 3回目の1泊2日四国八十八か所巡りです。
1日目の1寺院目です。
今治市に宿をおさえ 天気が不安だったのでまずはこちらの雲辺寺さんからお参りしました。
今回はしっかり下調べをし ロープウェイの時刻も調べ ロスタイムがないようにしました。
家から3時間半ほどかかりましたが 楽しい楽しい旅行です。
ロープウェイに乗って山頂へ。私と妻との貸し切り状態でした。
下界と約10度も違い涼しかったです。山頂駅を出るとそこは県境。白線が引いてありました。
境内がまた広い。仁王門までの道を歩いていると途中で羅漢様がたくさん。
五百羅漢とすぐにわかるほどたくさんです。表情が愉快でした。
仁王門をくぐり階段を上がると 鐘楼と大師堂がありました。
とても古いという感じではないですが 山寺ですので木の傷み具合は 私の好きな具合でした。
坂道を下りていくと 納経所と本堂と護摩堂と本坊がありました。
本堂はコンクリ製の新しい建物でした。御本尊を守るためには木像よりコンクリの方が良いのだとか。山寺ですからなるほど納得です。
本坊前には「おたのみなす」という 石でできた輪っかがあります。
頼みごとが成す「なす」ようにとのことで願い事を書いた紙を石のモニュメントに貼ります。
途中から雨が降り出したので 少し早足で1時間かけずにまわりました。
下りのロープウェイでは ガイドさんといろいろ話をさせていただいて楽しかったです。
途中 強い雨になってびびったのですが 下山したら霧雨に変わってほっとしました。
山号は巨鼇山 院号は千手院 宗旨宗派は古義真言宗御室派 ご本尊は千手観世音菩薩(経尋作) 創建年は延暦8年(789年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさらたらま きりく そわか
ご詠歌:はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る
でした。
由緒については
寺伝によれば 789年(延暦8年)に佐伯真魚(後の空海・弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り この地を霊山と感得し堂宇を建立したことを起源とする。
空海はまた 807年(大同2年)には秘密灌頂の修法を行い さらに818年(弘仁9年)に嵯峨天皇の勅命を受けて本尊を刻んで 七仏供養を行ったという。
後に「四国高野」と呼ばれ 僧侶の修行道場となり 貞観年間(857年から877年)には清和天皇の勅願寺ともなった。
1098年(承徳2年)火災で全山焼失するも その後に鹿を追って当地に入った猟師の与成(よなり)は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれ発心し堂宇の再建を果たした。
平安末期の中興の祖と云われるにふさわしい願西上人が住職のとき 現存する本尊千手観音と毘沙門天が造られた
1987年(昭和62年)に香川県観音寺市側の山麓と雲辺寺ロープウェイによって結ばれ 訪れやすい寺となった。
とありました。
そうです ロープウェイ駅は香川県 境内のほとんどは徳島県です。
もともとの参道は徳島県側なので 車で上がられる方は 徳島側からになります。
また快晴の日にお参りしたいと思いました。
| 住所 | 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2 |
|---|---|
| 行き方 | 65【三角寺】より
|
| 名称 | 雲辺寺 |
|---|---|
| 読み方 | うんぺんじ |
| 参拝時間 | 7:00~17:00 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 電話番号 | 0883-74-0066 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| SNS |
| 阿波秘境七福神 第3番 | 仏さま:毘沙門天 |
|---|---|
| 四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
| ご本尊 | 千手観世音菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 巨鼇山(きょごうざん) |
| 院号 | 千手院(せんじゅいん) |
| 宗旨・宗派 | 真言宗御室派 |
| 創建時代 | 延暦8年(789) |
| 開山・開基 | 弘法大師 |
| 文化財 | 木造千手観音坐像、木造不動明王・毘沙門天立像、絹本著色聖衆来迎図(重要文化財)
|
| ご由緒 | 四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。
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| 体験 |
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