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伊射奈美神社ではいただけません
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いざなみじんじゃ

伊射奈美神社
徳島県 阿波半田駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

おすすめの投稿

神祇伯
2022年03月19日(土)
1313投稿

阿波国美馬郡の式内論社です。『延喜式』神名帳にイザナギ神社は淡路、大和×3、摂津、若狭、伊勢国の7社ありますが、イザナミ神社はこの阿波国しか記載されていません。また、この神社では伊弉冉尊さまの葬儀も伝承で遺っています。

伊射奈美神社の鳥居

《一の鳥居》
真ん中の横木が柱から飛び出てない形式です。美作の中山神社が代表されるので、地域によっては中山鳥居とも呼ばれています。

伊射奈美神社(徳島県)

《伊射奈美神社と伊弉冉尊さま》
黄泉の国から伊弉諾尊さまを追いかけてくる話が有名ではありますが、やはりこの方も根本は地母神ですからね。ただ、メソポタミアのティアマト神といいなぜ地母神はあまり良い結末を迎えないのか…

伊射奈美神社の周辺

《境内》
盛り上がった河原の堤防近くにあります。

伊射奈美神社(徳島県)

《古文書解説》
こちらでは国産みによって現在までの世界の安寧が続いていることを説いています。
また、興玉伝記には神宮別宮である伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮のことが触れられています。

伊射奈美神社の手水

《手水舎》
柄杓が置かれてました。

伊射奈美神社(徳島県)

《由緒書き》
ここでは創建は不詳とされていますが、淡路国一宮の伊弉諾神宮と同時期だろうと書かれています。

伊射奈美神社の本殿

《拝殿》🙏
御祭神は伊弉冉尊さま以外に速玉男命、事解男命さまが合祀されており、この三柱が揃う場合は熊野権現となります。紀伊国から伝わってきたのでしょうか?

伊射奈美神社の建物その他

《本務社への案内》
本務社の春日神社で御朱印をいただけます。

伊射奈美神社の歴史

《由緒書き(現代版)》
👁チェックポイント‼️
ここにも由緒書きがあるのですが、一見すぐに理解できない文章内容になっています。これはどうやら江戸時代に隆盛した『ホツマツタエ』の内容らしいです。徳島にはときどきホツマツタエを由緒に持つ神社がありますね。
ちなみにここでの伊弉冉尊さまを葬った高越は同市の高越神社に比定され、当社の奥宮とされています。

伊射奈美神社の末社

《末社群》

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歴史

神社の創祀は不詳。神話時代の創建とされる淡路、伊佐奈伎神社と同時期と考えられ、伊邪奈美尊は国土産みを終え、神陵の地、阿波国美馬郡中鳥、伊射奈美神社を建てられ、阿波の神々の中で最も格式の高いのは貞観十一年(869)阿波伊射奈美神社従五位の神階を賜う。伊邪奈美尊を単独神として祀る全国唯一の神社として、『延喜式』神名帳に登載されている最も格式の高い古社。
阿波国の美馬郡は古くから田畑の豊饒を祈願、古代の水の神として穀霊、穀神信仰、母神崇拝の稲作にゆかりの霊格の中心地。渡来人の法道仙人が伊宇摩山仏母寺を中鳥に建立開祖。奈良時代、神社に付属の寺を聖武天皇勅命により忌部神宮寺と寺号を改め、文治三年(1187)神社再建した社殿戸扉に、神代自古御鎮座、伊射奈美神社と記す。本殿箱棟に神紋門十六菊御紋あり。古昔最も盛大なる神詞にして美馬、三好の総鎮守として伝える。
戦国動乱の時代、天文年間(1532)三好長慶の祈願所として綾地の御先幟を献納。元和三年(1617)蜂須賀候祈願の為黒昔幟、甲冑二領奉納、家老稲田稙元祈願の為長刀を奉納。室町時代の後期、中島城主に元亀元年(1570)浅野但馬守、安土桃山時代天正年間(1573)久米刑馬拠る。後に前田京本入道が城主。神社再興の正徳三年(1713)享保十六年(1731)棟札保存。
戦国から江戸時代、天文(1532)から明暦(1655)年間に中鳥村三百有余の人家があったとされ、享保十一年(1726)大洪水で吉野川南岸から切り離され川中島となる。
明治五年九月官制による神社分類で伊射奈美神社は村社に任ぜられ、明治八年神社神社建替え戸扉に神代自古御鎮座、式内村社伊射奈美神社とあり社殿に保存。昭和九年六月一日中島は半田町から分離、重清村へ合併。昭和六十一年(1986)建設省が吉野川洪水時の浸水被害を防ぐため、西村中鳥堤防工事で用地買収、六十三年に二十八戸移転、神社は平成四年十月七日現在地に拝殿、神殿を新築落成し御鎮座[神社由緒書きより]

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伊射奈美神社の基本情報

住所徳島県美馬市美馬町字中鳥338
行き方
アクセスを詳しく見る
名称伊射奈美神社
読み方いざなみじんじゃ
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号088-622-5733(眉山春日神社)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 伊弉冉神
 速玉男神
 事解男神
《合祀神》
 天照大神
 素盞嗚尊
 大山祇神
 猿田彦大神
ご神体伊弉冉尊の神陵
創建時代不詳
創始者不詳
本殿一間社流造
ご由緒

神社の創祀は不詳。神話時代の創建とされる淡路、伊佐奈伎神社と同時期と考えられ、伊邪奈美尊は国土産みを終え、神陵の地、阿波国美馬郡中鳥、伊射奈美神社を建てられ、阿波の神々の中で最も格式の高いのは貞観十一年(869)阿波伊射奈美神社従五位の神階を賜う。伊邪奈美尊を単独神として祀る全国唯一の神社として、『延喜式』神名帳に登載されている最も格式の高い古社。
阿波国の美馬郡は古くから田畑の豊饒を祈願、古代の水の神として穀霊、穀神信仰、母神崇拝の稲作にゆかりの霊格の中心地。渡来人の法道仙人が伊宇摩山仏母寺を中鳥に建立開祖。奈良時代、神社に付属の寺を聖武天皇勅命により忌部神宮寺と寺号を改め、文治三年(1187)神社再建した社殿戸扉に、神代自古御鎮座、伊射奈美神社と記す。本殿箱棟に神紋門十六菊御紋あり。古昔最も盛大なる神詞にして美馬、三好の総鎮守として伝える。
戦国動乱の時代、天文年間(1532)三好長慶の祈願所として綾地の御先幟を献納。元和三年(1617)蜂須賀候祈願の為黒昔幟、甲冑二領奉納、家老稲田稙元祈願の為長刀を奉納。室町時代の後期、中島城主に元亀元年(1570)浅野但馬守、安土桃山時代天正年間(1573)久米刑馬拠る。後に前田京本入道が城主。神社再興の正徳三年(1713)享保十六年(1731)棟札保存。
戦国から江戸時代、天文(1532)から明暦(1655)年間に中鳥村三百有余の人家があったとされ、享保十一年(1726)大洪水で吉野川南岸から切り離され川中島となる。
明治五年九月官制による神社分類で伊射奈美神社は村社に任ぜられ、明治八年神社神社建替え戸扉に神代自古御鎮座、式内村社伊射奈美神社とあり社殿に保存。昭和九年六月一日中島は半田町から分離、重清村へ合併。昭和六十一年(1986)建設省が吉野川洪水時の浸水被害を防ぐため、西村中鳥堤防工事で用地買収、六十三年に二十八戸移転、神社は平成四年十月七日現在地に拝殿、神殿を新築落成し御鎮座[神社由緒書きより]

体験祈祷御朱印お守り祭り伝説

Wikipediaからの引用

概要
伊射奈美神社(いざなみじんじゃ)は、徳島県美馬市美馬町中鳥にある神社である。
歴史
歴史[編集] 創建は不詳。式内社阿波國美馬郡伊射奈美神社の論社の一つ。同じ社名で所在地の違う同市穴吹町三島の伊射奈美神社も論社である[1]。 ^ 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)
アクセス
交通[編集] JR徳島線「阿波半田駅」より車で約5分。
引用元情報伊射奈美神社 (美馬町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BC%8A%E5%B0%84%E5%A5%88%E7%BE%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E7%94%BA%29&oldid=82933807

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