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たつえじ|高野山真言宗橋池山(きょうちざん)

立江寺のお参りの記録一覧
徳島県 立江駅

くるくるきよせん
2023年11月18日(土)
1455投稿

憧れの四国八十八霊場巡り 3日目の続きです。
19番札所のお寺です。
別格本山だけあって見どころ満載です。
仁王門の仁王様は現在修復中で不在でした。
境内は建物が密集しており あまり歩かずに多くを見られます。
まず右手に多宝塔。
その奥には毘沙門堂・黒髪堂・白杉大明神・いろいろ地蔵さんがあります。
正面には本堂。
天井絵がとてもすてきです。
ご本尊も見ることができます。
本堂左手には観音堂と護摩堂。
こちらの内陣も見ることができます。
やはり仏様を直接見ることができると有り難く思います。
秘仏はそれはそれで良いですが やはりねぇ。
奥の院があることを知らず もったいないことをしてしまいました。

山号は橋池山
院号は摩尼院
宗旨宗派は高野山真言宗
寺格は別格本山
ご本尊は延命地蔵菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:いつかさて西のすまいのわが立江 弘誓(ぐぜい)の船に乗りていたらん
でした。

由緒についてはHPに
当山は人皇45代聖武天皇の勅願寺という格式をもった名刹であり 天平19年(西暦747年)に行基菩薩が光明皇后のご安産の念持仏として勅命により閻浮壇金の1寸8分の本尊「延命地蔵尊」-世にこれを子安の地蔵尊と称し奉る-をお作りになり伽藍を建立開基されました。
伽藍建立の地を卜するにあたり 一羽の自鷺が何処ともなく飛んできまして九ツ橋(現在の自鷺橋)の上に止まり 行基菩薩に仏天の暗示として霊城を示したと伝えられています。
弘仁6年(西暦815年)に弘法大師が四国八十八ケ所霊場をご開創になられます時に 当山にご留錫なされ 行基菩薩のお作りになりました1寸8分の小像では後世になって紛失してしまうおそれがあるとお考えになり 御自ら一刀三礼をなしまして6尺に余る大像を刻まれ かの小像をその御胸に秘収安置されまして当山を「立江寺」と号し 第19番の霊場とされました。
この当時の当山は 現在地より西へ400mはなれた現在の奥の院のあるところに 境内地三町四方を有する巨刹であったと伝えられています。
天正年間に四国制覇をめざした長曽我部氏の兵火にあい ご本尊を残して灰燼に帰しましたが 阿波藩主蜂須賀家初代蓬庵公のご帰信が篤く 藩命によりまして現在の地に移転再興されました。
とありました。

立江寺(徳島県)

山門(仁王門) 仁王様は不在でした

立江寺(徳島県)

石柱

立江寺(徳島県)

修復中

立江寺(徳島県)

修復中

立江寺(徳島県)

縁起

立江寺(徳島県)

鐘楼

立江寺(徳島県)
立江寺(徳島県)

役目を終えた玉垣

立江寺の建物その他

毘沙門堂

立江寺(徳島県)

毘沙門天

立江寺(徳島県)

聖龍美観音

立江寺(徳島県)

多宝塔裏の石仏

立江寺(徳島県)

多宝塔

立江寺(徳島県)

多宝塔内陣

立江寺(徳島県)

大師堂

立江寺(徳島県)

大師堂内陣

立江寺(徳島県)

神変堂(神変大菩薩を祀る祠)であり 庚申堂であり

立江寺(徳島県)

不動明王像

立江寺(徳島県)
立江寺(徳島県)

黒髪堂

立江寺(徳島県)

白杉大明神

立江寺(徳島県)
立江寺(徳島県)
立江寺(徳島県)
立江寺(徳島県)

修行大師像

立江寺(徳島県)

一願龍

立江寺(徳島県)
立江寺(徳島県)
立江寺(徳島県)

本堂

立江寺の本殿

本堂内陣

立江寺(徳島県)
立江寺(徳島県)

本堂の天井絵 東京藝術大学教授ら40名余が描いた286枚の格天井画

立江寺(徳島県)

彫刻も見事です

立江寺の芸術

さすが芸大教授の作品

立江寺(徳島県)

生徒もかいたのかな

立江寺(徳島県)

観音堂

立江寺(徳島県)

観音堂内陣

立江寺(徳島県)

護摩堂

立江寺(徳島県)

護摩堂内陣

立江寺(徳島県)

納経所

立江寺(徳島県)

駐車場でお昼にしました

立江寺(徳島県)

移動式のラーメン屋さん

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to_sun
2023年05月12日(金)
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【橋池山(きょうちさん)摩尼院(まにいん)立江寺(たつえじ)】
本尊:延命地蔵菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
 立江寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願で、行基菩薩によって創建された。
勅命により行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5cmほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。815(弘仁6)年、弘法大師(774-835)が当寺を訪れた際、ご本尊が、あまりに小さいので、後世になって失われる恐れがあると、自ら彫った高さ1.9mの延命地蔵像の胎内にそれを納めたとされる。このときに寺名を「立江寺」と号した。当時は現在地より西へ400メートルほど山寄りの景勝地にあって、七堂伽藍を備えた巨刹であったといわれる。長宗我部元親の天正の兵火により壊滅的な打撃を受けのち、阿波初代藩主・蜂須賀家政公の篤い帰依をうけ、現在の地に移って再建された。現存の寺は、1974(昭和49)年の火災後に再建されたもの。本尊はこの2度の災厄から難を逃れている。

立江寺の建物その他

【19_T.Hamada's view】

立江寺(徳島県)

【19_本堂内陣の絵】
 1977(昭和52)年、本堂が再建されるにあたり東京芸術大学の教授数十人が描いた286枚の絵が本堂内陣の天井にはめ込まれている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

立江寺の芸術

【19_本堂内陣の絵】

立江寺(徳島県)

【19_本堂】

立江寺(徳島県)

【19_大師堂】

立江寺(徳島県)

【19_仁王門】
 仁王像修復中

立江寺の建物その他

【19_多宝塔】

立江寺(徳島県)

【19_毘沙門堂の天井画】
 本堂と同じように花鳥風月などが描かれている。

立江寺の庭園

【19_境内の庭】
 様々な芍薬(しゃくやく)が咲いている。芍薬の寺。

立江寺の御朱印
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