たつえじ
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立江寺ではいただけません
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立江寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月12日(金)
参拝:2023年5月吉日
【橋池山(きょうちさん)摩尼院(まにいん)立江寺(たつえじ)】
本尊:延命地蔵菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
立江寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願で、行基菩薩によって創建された。
勅命により行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5cmほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。815(弘仁6)年、弘法大師(774-835)が当寺を訪れた際、ご本尊が、あまりに小さいので、後世になって失われる恐れがあると、自ら彫った高さ1.9mの延命地蔵像の胎内にそれを納めたとされる。このときに寺名を「立江寺」と号した。当時は現在地より西へ400メートルほど山寄りの景勝地にあって、七堂伽藍を備えた巨刹であったといわれる。長宗我部元親の天正の兵火により壊滅的な打撃を受けのち、阿波初代藩主・蜂須賀家政公の篤い帰依をうけ、現在の地に移って再建された。現存の寺は、1974(昭和49)年の火災後に再建されたもの。本尊はこの2度の災厄から難を逃れている。
本尊:延命地蔵菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
立江寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願で、行基菩薩によって創建された。
勅命により行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5cmほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。815(弘仁6)年、弘法大師(774-835)が当寺を訪れた際、ご本尊が、あまりに小さいので、後世になって失われる恐れがあると、自ら彫った高さ1.9mの延命地蔵像の胎内にそれを納めたとされる。このときに寺名を「立江寺」と号した。当時は現在地より西へ400メートルほど山寄りの景勝地にあって、七堂伽藍を備えた巨刹であったといわれる。長宗我部元親の天正の兵火により壊滅的な打撃を受けのち、阿波初代藩主・蜂須賀家政公の篤い帰依をうけ、現在の地に移って再建された。現存の寺は、1974(昭和49)年の火災後に再建されたもの。本尊はこの2度の災厄から難を逃れている。
【19_T.Hamada's view】
【19_本堂内陣の絵】
1977(昭和52)年、本堂が再建されるにあたり東京芸術大学の教授数十人が描いた286枚の絵が本堂内陣の天井にはめ込まれている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
1977(昭和52)年、本堂が再建されるにあたり東京芸術大学の教授数十人が描いた286枚の絵が本堂内陣の天井にはめ込まれている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【19_本堂内陣の絵】
【19_本堂】
【19_大師堂】
【19_仁王門】
仁王像修復中
仁王像修復中
【19_多宝塔】
【19_毘沙門堂の天井画】
本堂と同じように花鳥風月などが描かれている。
本堂と同じように花鳥風月などが描かれている。
【19_境内の庭】
様々な芍薬(しゃくやく)が咲いている。芍薬の寺。
様々な芍薬(しゃくやく)が咲いている。芍薬の寺。
すてき
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