りょうぜんじ|高野山真言宗|竺和山(じくわざん)
霊山寺徳島県 板東駅
7:00~17:00
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楽しみ方
高野山真言宗 竺和山 一乗院 霊山寺
四国八十八箇所霊場 第1番札所
四国霊場十三佛 第1番札所
いよいよお遍路に挑戦!と言いたいところですが、実は既に善通寺はじめいくつかのお寺様には参拝済み。
ただ途中から飛び飛びでの参拝のため、まずは一番からまわりたいと思い、新たな気持ちで始めさせていただきました。
山門前に立った瞬間、やはり胸が躍りますね。
ここからお遍路が始まるんだなという気持ちになり、思わず背筋を正してしまいました。
山門で深く一礼し、まずは左手にある手水、そして鐘楼へ。
少し控えめに鐘を撞かせていただきました。
そして本堂でお参りしたのですが、本堂内の灯籠がとても美しくて思わず見惚れてしまいました。
さらに見逃せないのが天井の龍の絵。
とても迫力があり、まわりの灯籠と相まって幻想的で感動しました。
いつ結願できるかわかりませんが、まずは健康で無理せずお参りできればと思います。
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四国八十八カ所霊場巡り1番札所
諸先輩方の投稿を見ていて いつまでも待ってはいられない気分になり 計画もなく スタートしてしまいました。
我が家が真言宗で 父の実家が徳島なので この八十八カ所霊場巡りには 憧れがあります。
霊山寺は徳島県鳴門市にあるお寺で 一番札所の「発願の寺」です。
山号は竺和山
院号は一乗院
宗旨宗派は高野山真言宗
寺格は別格本山
ご本尊は釈迦如来
です。
八十八カ所霊場巡りの御朱印帳を購入すると ご真言とご詠歌が載っています。
本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌:霊山(りょうぜん)の 釈迦のみ前にめぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり
あまりにも有名な巡礼の旅のため 売店・納経所では御朱印帳も拝受品も数多く揃えられています。
私は邪念の塊なので 観光旅行的な雰囲気を強く感じました。
境内はさほど広くないのですが 建物が全て歴史を感じさせるものばかりで じっくり拝見していると すごく時間がかかりました。
今年は弘法大師御誕生1250年の年 できれば結願したいと思うのですが。。この調子ではきっと無理ですね。
霊山寺に参拝する前 昼食タイムに 有名なうどん屋さん「うどん丸亀」に寄りました。(丸亀製麺ではありません)
私のお薦めを撮っておきました。
霊山寺の由緒については
奈良時代 天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により 行基によって開創されました。
弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ 21日間(三七日)留まって修行したと言われています。
その際 天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し 天竺の霊山である霊鷲山を日本 すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け 持仏の釈迦如来を納め 霊場開創祈願をしたと言われています。
その白鳳時代の身丈三寸の釈迦誕生仏が残っています。
また 本堂の奥殿に鎮座する秘仏の釈迦如来は空海作と伝わり 左手に玉を持った坐像であり 2014年(平成26年)に4か月間開帳されました。
室町時代には三好氏の庇護を受けており 七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つとして栄えましたが 天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火に焼かれました。
その後徳島藩主蜂須賀光隆によってようやく再興されましたが 1891年(明治24年)の出火で本堂と多宝塔以外を再び焼失しましたが その後の努力で往時の姿を取り戻したそうです。
とありました。
| 住所 | 徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126 |
|---|---|
| 行き方 | 高徳線 板東駅下車 徒歩10分
|
| 名称 | 霊山寺 |
|---|---|
| 読み方 | りょうぜんじ |
| 通称 | 一番さん |
| 参拝時間 | 7:00~17:00 |
| トイレ | 境内東側の駐車場にあり |
| 御朱印 | あり 真ん中に梵字と釈尊、左に霊山寺と書かれ、右上に四国第一番の印、真ん中には宝珠の中に霊の字の印、左下に一乗院の印が押されています。 |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 088-689-1111 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ご本尊 | 釈迦如来 |
|---|---|
| 山号 | 竺和山(じくわざん) |
| 院号 | 一乗院(いちじょういん) |
| 宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
| 創建時代 | 天平年間(729〜749) |
| 開山・開基 | 行基菩薩 |
| ご由緒 | 四国八十八ヶ所霊場の全行程はおよそ1460キロ、365里におよぶ。この霊場を札所番号の順に巡拝する遍路には、ここが「発願の寺」、「同行二人」の長い旅となる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。 このときの念持仏が釈迦誕生仏像であり、本尊の前に納められたことから四国八十八ヶ所の第一番札所とさだめ、霊場の開設・成就を祈願されたと伝えられる。誕生仏は白鳳時代の作で、身の丈約14センチ余の小さな銅造である。往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇った。しかし天正10年(1582)、長宗我部元親の兵火により堂塔は全焼した。その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、明治24年(1891)には出火により本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。以来、100年の努力で往時の姿となっているが、おおかたが近年の建物である。別格本山。地の利を生かした寺観の配置は妙で美しく、お遍路さんに彩りを添えている。 |
| 体験 |
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