さいみょうじ|真言宗豊山派|独鈷山
西明寺のお参りの記録一覧
焼物の町、益子町の郊外に位置する山の南斜面な中腹に有ります。ご本尊は十一面観音像。本堂厨子、三重塔、楼門は国指定重要文化財になっています。閻魔堂には笑い閻魔像が安置されています。御朱印にも、その図柄書き入れして頂けます。
閻魔御朱印 書き入れです
本堂
参道入口
閻魔堂
室町時代建造
楼門
閻魔図
社務所併設 休憩所
休憩所よりの展望
ご本尊の
御朱印 書き入れです
坂東33観音霊場巡礼で参拝。20番札所。
本尊は十一面観音。
727年僧・行基の開山、紀有麻呂の開基によって創建されたと伝わる。
1494建築の楼門、1537年建築の三重塔、1394年建築の本堂内厨子は重文指定されている。
本堂
本堂
本堂
本堂内厨子
閻魔堂(1743年再建)
笑い閻魔
太子堂
鐘楼(江戸時代中期)
三重塔
三重塔
三重塔
三重塔
楼門
楼門・三重塔
3年半ぶりのおまいり。
前回のお参りはコロナ緊急事態宣言下にお参りする人が少ないと踏んで、坂東33観音巡りの一環でお参り。
当時は書入れ日等を調べたり、どんな御朱印があるのか調べずにお参りしていたので、1回目はご本尊様のみ御朱印をいただき、家に戻ってから閻魔様御朱印があることを知り、翌日に再訪。
御朱印をお願いするも、書入れ対応日でなく書き手さんがいらっしゃらないとのことで、断念しかかったところに、見習い書き手様がたまたまいらっしゃり、良ければと書入れしていただいたというエピソードがありました。
今回は、電話で確認したところ、本日は当日に書入れできるとのことで、お参り貴重頂きました。
受付にて書き手から「こちらのお参りは初めてですか?」とお尋ねがあったので、先のエピソードをお伝えしたところ、「コロナ宣言中なら私が書いたね!」とのこと。
どおりで電話した際の声に聞き覚えがあったはずでした。
今回は、本堂内・内陣ともに制限なしで拝観できるとのことで内陣も見せていただきました。
2回目の閻魔様御朱印とのことで、お言葉変えてありますとのことでした。
いまは、季節の閻魔様御朱印や御朱印帳の種類も増えていて、再訪する楽しみができました。
閻魔さまのお堂があります。
閻魔さまといえば、どうしても小野篁(おののたかむら)が思い出されます。
嵯峨天皇に仕えた平安初期の官僚で、文武両道優れた方だったそうです。ただ、奇妙な行動をとる方で、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁で閻魔さまのもとで裁判の補佐をしていたという伝説があります。ここまでくると、ワクワク感半端ないのですが、最近、違う面を知ることに。つまり、遣唐副使に任ぜられたのに、ある出来事から乗船拒否したり、無類の母親考行だったり、金銭面では、無頓着だったり。
「歴史の時間」習わなかった方ですが、私の中では、気になる方です。どういういきさつで閻魔さまの補佐をなさっていたのか、聞きたいのです。🤭
笑う閻魔さまの御朱印いただきました。🙌
笑っておられますが、ちょっと怖い気も・・・。
ご本堂
正式には、獨鈷山(とっこさん)普門院西明寺。737年建立。坂東三十三観音霊場第20番。本堂厨子、三重の塔、楼門が国指定重要文化財。書き手がいらっしゃれば、“笑い閻魔”のご朱印も拝受できるとのことでした。
楼門 1492年建立
本堂
三重の塔 1538年建立
閻魔堂 1714年建立
笑い閻魔
坂東三十三観音霊場、第二十番札所。益子焼で有名な益子町の駅からは結構距離があります。こちらの笑い閻魔の御朱印は、書き手の方が不在の時はいただけないので、事前に電話してから参拝しました。歴史ある建物が建つ境内は見どころがあり、笑顔の閻魔様は珍しいです。
笑い閻魔御朱印いただきました。
坂東三十三観音御朱印いただきました。
数多くある御朱印帳から西陣織の御朱印帳を選びました。
笑顔の閻魔様
閻魔堂
重要文化財の三重塔
境内
こちらで御朱印はいただけます。広い休憩所があります。
休憩所に飾ってある閻魔様
休憩所から一望
益子町は益子焼で有名な観光地
やってきました栃木県益子町の西明寺様。
「笑い閻魔」で有名なお寺です。
閻魔参りをしている私には、念願のお寺です。
やっと来れた~😆
階段をえっちらおっちら登ります。
一気に登るのは、少々きついかも😅
立派な楼門です。
西明寺様の本堂。
ご本尊は十一面観音様。
三重塔。
弘法大師堂。
どれも古き良き趣があります。
閻魔堂。
念願の笑い閻魔様との御対面です。
格子の間から撮影。
閻魔様とお会いすることができました😆
閻魔様の右にいらっしゃるのが善童子、左が悪童子。
お地蔵様と奪衣婆様もいらっしゃるようですが、2体の童子様の陰で見えませんでした。
頂きたかった西明寺様の御朱印帳。
7~8種類ありましたが、西陣織の表紙のものを頂きました。
また江戸四十四閻魔参りをしたくなりました🤭
スタンダードな閻魔大王の御朱印。
閻魔様にはダイナミックな文字が似合う。
念願の笑い閻魔様の御朱印。
ちょーうれしい~(≧∇≦)
お昼は、境内のカフェ「獨鈷庵」で、冷やしタヌキうどん、ところてん、アイスコーヒーを頂きました。
撮影忘れた・・・
今回は真岡・益子方面へ。
まずは益子の坂東三十三観音第20番札所の西明寺にてご本尊の十一面観音の御朱印を頂きました。
そして、有名な笑う閻魔様の御朱印を頂きました。
念願だったので頂いて感激しました。
もちろん、見開きを拝受いたしました。時間も確認していただきました。
閻魔様の御朱印帳をいただきました。
いろいろ種類がありましたが、黒字に炎の閻魔様が素敵ですね。
西明寺は益子町の
別名益子観音、山号は独鈷山で真言宗豊山派のお寺です。
本堂への階段は前日に雨が降って濡れていたので滑りそうでした。
楼門は入母屋造茅葺きの楼門で1492年の建立です。
国の重要文化財に指定されています。
三重塔は1539年の建立です。
板屋根銅板葺きです。
こちらも国の重要文化財に指定されています。
閻魔堂は茅葺の屋根で笑い閻魔大王が安置されています。
鐘楼堂は宝形造り茅葺き2層の建物です。
本堂の厨子は国の重要文化財に指定されています。
ご本尊は十一面観音です。
天平年間に行基が開山したとされています。
楼門と三重塔は調和が取れて美しいです。
朝最初に参拝したのでとても清々しい気持ちになりました。
弘法大師堂・慈母観音像などありました。
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笑う閻魔様の御朱印
ご本尊の十一面観音の御朱印
御朱印帳
入口
本堂への参道
楼門
三重塔
鐘楼堂
閻魔堂
本堂
慈母観音像
弘法大師堂
三重塔と楼門
正式名:獨鈷山普門院西明寺
栃木県芳賀郡益子町にある獨鈷山の南斜面の中腹に立つ真言宗豊山派の寺院である。
天平年間(729~749)行基の開山、紀有麻呂の開基によって創建されたと伝えられる。
その後、兵火などによりたびたび焼失したが、宇都宮氏・益子氏の援助により、そのつど再建され、江戸時代には幕府から朱印状が与えられた。
益子という氏は「土佐日記」で知られる紀貫之の後代、紀一族が益子に移り住み、西明寺の地「権現平」に紀貫之を祀ったことから始まる。その紀貫之夫妻の像は現在、西明寺本堂の奥に安置されている。
また、西明寺には本堂厨子、三重塔、楼門の国指定重要文化財をはじめ、弘法大師堂、鐘桜堂、そしてユニークな「笑い閻魔」で親しまれている閻魔堂がある。
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