佐野あかぎじんじゃ
佐野赤城神社のお参りの記録一覧(3ページ目)
佐野御朱印マップ①
少し狭い道を入った先にありました。
ナビを信じると毎回裏から入る現象にあいながら、私の佐野御朱印マップ最終地点の赤城神社✨
境内には落ち着いた雰囲気がありました。
🐱注意‼️の看板があり、日向ぼっこをしている姿がありました✨
佐野御朱印マップにすべてのスタンプがつくと、
さのまる絵馬を頂けます✨
なかなか自分では行けないであろう神社に出会えてとても楽しかったですよ🎵
社務所横の宮司さんのお宅?でいただけました✨
😺が沢山❗挨拶に来てくれましたよ🎵
佐野御朱印マップとさのまる絵馬✨
地図に⭐印がついている所で絵馬が頂けます✨
創建不詳。『彦狭島王命』は豊城入彦命の孫にあたり、景行天皇から東山道一五国都督に任命されましたが、景行天皇13年(113)に東征の途中で病死してしまい、その遺骸を引き取り祀ったのが始まりで、
天慶8年(945)に遷宮した際に群馬県前橋市富士見町の赤城神社を勧請し、その時に社名を狭島から赤城明神に改めたそうです。
藤原秀郷が平将門の乱を平定したあとに武具を奉納したと伝わり、社殿奥の「四ツ塚」という所に「具足山・白旗山・幕山・差物山」などの地名が残っていて、また日本武尊が東征の際、この地に一泊したとも伝わっています。
鳥居は高さ405cm、周囲151cm。天明の鋳物師、丸山善太郎毎昭と同甚太郎易親によって明和6年(1769)に造られた銅造鳥居です。(市指定文化財)
そして天明鋳物で作られた明和8年製(1771)の天明鋳物銅製神鈴が拝殿前にあります。(市指定文化財)この鈴は、鈴の中に鈴がある二重構造になっていています。
現存する天明鋳物製鈴は全国的にも稀少で、中でも最大最古の作品とのことです。実際に振ることができます。
戦時中には終戦末期の昭和20年に、佐野市内の国民学校や寺社に関東軍の戦車連隊が配属になり、本土決戦に備えて、この神社にも戦車12輛、装甲車3輛が隠蔽されていたそうです。
その中の第3部隊の小隊長、福田定一少尉が作家の司馬遼太郎さんだそうです。その為に司馬さんの作品には佐野市がたびたび登場するとか
御朱印は社務所(ご自宅)の呼び鈴を鳴らして頂く事が出来ます。
銅造鳥居
天明鋳物銅製神鈴
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