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椿田稲荷神社ではいただけません
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あり

あり

椿田稲荷神社について

唐沢山城の佐野氏が最南端の出城とした椿田城跡の一部。

栃木県のおすすめ3選🌸

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くし
2024年01月10日(水)
1450投稿

「お金がなければ無人社を拝めばいいじゃない」
と、マリー・アントワネットも言ったかどうだか知りませんが、困窮中のためしばらく御朱印や授与品の誘惑のない無人社・無住寺中心に回ることにしました(^^;

まずは栃木・群馬県境に立つこちらのお稲荷さん。
佐野の唐沢山城の最南端の出城である椿田城という城跡に立つ神社です。

以前、田中正造の分骨地の一つである雲竜寺を訪ねた時にここも参拝しようと思ったのですが、入り方がわからず断念。
後ろに川が流れてて東側の佐野行田線という幹線道路からしかアクセスできず、しかもこの道が中央分離帯があって南の館林側から来ないと入れないという面倒くささ。昔はもうちょっとアクセスが良かったのですが隣に中古車屋とかラブホとかできちゃって佐野側からのアクセスがやや困難に。

自分が子供の頃はそれなりに信仰を集めてて、十数年くらい前までは佐野名物いもフライの屋台とか常時出てたのですが、すっかり寂れて無人社となってしまった様子( ´・ω・`)
一応ちょっとした桜の名所でもあり、2020年までは地元のオカリナの里が春の例大祭に演奏会とかやってたブログが見つかりましたが、コロナ禍で休止になってしまったらしい・・・今年辺りは復活すんのかな?

ご覧のように境内は凄まじい数のお稲荷さん尽くし!
金○○円みたいな奉納札もかなりの数貼ってありまして、やはり以前は相当な崇敬を集めてたお稲荷さんだったようですね。

椿田稲荷神社(栃木県)

北側の一の鳥居
左の佐野行田線が渡良瀬川の橋に向かって上っていく所にあるので、神社は一段低い位置にあります

椿田稲荷神社(栃木県)

二の鳥居?
後述のようにこちらは脇参道の可能性もありハッキリしない

椿田稲荷神社(栃木県)

三の鳥居?

椿田稲荷神社(栃木県)

ご覧のように神社東側から下りる道もあり、ひょっとしたらこちらが表参道かも

椿田稲荷神社(栃木県)

大小の鳥居が多数

椿田稲荷神社(栃木県)

左にお稲荷さんの祠も多数

椿田稲荷神社(栃木県)

全て奉納鳥居のようで、やはり昔は結構な信仰を集めてたらしい

椿田稲荷神社(栃木県)

水道式手水
比較的キレイなタオルが掛かってたので、正月は神職さんか管理してる氏子さんが来てたのかも?

椿田稲荷神社(栃木県)

ここにも稲荷の祠がいっぱい

椿田稲荷神社(栃木県)

椿田の眷族はなかなか優しい顔をしてる

椿田稲荷神社(栃木県)

子供がこっち見てますなw

椿田稲荷神社の狛犬

小さくてかわいい眷族もいました

椿田稲荷神社(栃木県)

拝殿
小さな神社ですがなんと鈴が五つも下がってる!
昔は並ぶほど参拝客が来てたのかも

椿田稲荷神社(栃木県)

扁額は横長

椿田稲荷神社(栃木県)

大量の白狐の置物

椿田稲荷神社(栃木県)

神社の規模のわりに授与所がわりと大きい
開いてたかどうだかわからんが元日に来てみれば良かったな・・・

椿田稲荷神社(栃木県)

右手に少し大きめの境内社

椿田稲荷神社(栃木県)

この神社の神様はほぼ全てお稲荷さんですが、この境内社にはミズハノメを祀ったと思われる川入水神という額もありました

椿田稲荷神社(栃木県)

河嶋大明神という額もあり
どちらも渡良瀬川の水運が盛んだった頃に祀られた水神と思われます。
あるいは椿田城主の赤松福地家は遠く丹波にルーツがあるそうなので、そちらの神様を持ってきたのかもしれない

椿田稲荷神社(栃木県)

後ろも圧巻のお稲荷さん尽くし!Σ(゚Д゚;)

椿田稲荷神社(栃木県)

さすがに全部は拝みきれないので、
間にある少し大きな社をいくつかピックアップして周辺のお狐様をまとめて遥拝w

椿田稲荷神社(栃木県)

これとか・・・

椿田稲荷神社(栃木県)

これとか
こちらは真新しい榊が上がってましたので特別なお稲荷さんかもしれません

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名称椿田稲荷神社
読み方つばきだいなりじんじゃ
通称椿田稲荷

詳細情報

ご祭神稲荷神
創建時代不詳
創始者不詳
ご由緒

椿田城という城跡に立つ神社。
当地は佐野小太郎盛綱のときに、丹波からの客将として招かれた福地丹波守仲久が初めて居住し、その後、仲久から四代後になる福地出羽守寧久が、永禄3年(1560)に唐沢山城の南端の出城として当地に椿田城を築き、川越・忍(行田)・館林の三城の抑えとした。
佐野氏の改易とともに廃城となり、それ以後は子孫の赤松福地氏が名主として代々当地に居住。
福地家には、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原城を攻撃する際、加藤清正からの要請を受けて、天徳寺宝衍(佐野房綱)と山上道久が、福地氏を含む佐野家の重臣5名に命じて提出させた関東の絵図の控えも残っており、市の指定有形文化財として佐野市立郷土博物館に保管されている。

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