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じげんいなりじんじゃ

示現稲荷神社
栃木県 足利市駅

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駐車場
なし

なし

示現稲荷神社について

霊狐が出現したと伝わる稲荷神社。
境内社は足利家綱が筑紫から勧請したと伝わる天満宮。

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くし
くし
2024年01月26日(金)1703投稿

再び市街地に戻ってきまして、今度は総社八雲神社近くのこちらのお稲荷さんへ。
このお稲荷さんには茨城の女化稲荷にも似た「霊狐が出現した」という伝承が伝わるそうなので興味が湧きました。

ところで、たまに神社の名前に付いてる「示現」とはなんぞや('_'?)と調べてみたところ、黒いスーツを着た凄腕のガンマン・・・ではなくw 「神仏が不思議な霊験をあらわすこと。奇跡」というような意味らしいです。「顕現」というのも同じような意味ですかね。

こんな名前が付いてるということはホントに霊狐が現れた神社に違いない(*°∀°)=3と色めきたったものの、ほとんど資料が見つからず「霊狐が現れた」という以外、どんな伝承が伝わってるのか全く掴めませんでした・・・orz
わかったのは足利伊勢神社の神主が兼務しているということくらい(^^;
しかし、もともとは小さな祠だったのが建て替えられたようで、地域崇敬篤い霊験あらたかなお稲荷さんなのは間違いないようです。

案内板があったので何か解らないかと思ったら本殿ではなく、境内社の天満宮のことだけが詳しく書かれてた(^^;
しかしこれがなんと藤姓足利氏の祖 藤原家綱公ゆかりの神社だと知ってビックリ!Σ( °Д°)
「相撲で勝負ニダ!」と襲ってきた朝鮮三力士を撃退した、佐野の朝日森天満宮や孫太郎神社とゆかりのあるあの家綱公ですw
何気に藤姓足利氏の天神信仰の一端を垣間見れる神社でした。

家綱公が筑紫から持ち帰ったという天神像を見てみたら・・・あれ?双体道祖神??( °д°)ポカーン
もともと辻の神で道祖神が祀られてたところに、家綱公の伝説が結びつけられただけなんだろうか・・・? うーん(^^;
「和歌の辻」だったのが勘違いで「別れの辻」として伝えられてしまったという伝承もなかなか香ばしくて好きですwww
そういうワケで縁結びと縁切り、両方の御利益にチェック入れときましたw

示現稲荷神社(栃木県)

駐車場なしで近くに止めて歩いていきました
右の広場に乗り付けられると予想してたんですが見事にチェーン閉鎖されてた(>_<)
まぁ市街地の寺社は無断駐車多いからねぇ( ´・ω・`)

示現稲荷神社(栃木県)

あまり資料が見つからなかった神社で、案内板で由緒がわかると期待したら境内社のものだった
しかし藤原家綱公由来の境内社と知ってビックリ!Σ(; °Д°)
ちなみにこれだけ撮り忘れて、後日この辺りを通った時に再撮影(^^;

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歴史

主祭神:倉稲魂命
建仁三年1203以前の創建。靈狐が出現したところに示現塚がある。
大正十三年1924社殿改築とともに社号に示現を付ける許可を得る。 昭和十二年1937改築。平成7年1995までに屋根を銅板葺きに改修。

【別れの辻(和歌の辻)】(境内社 天満宮の由緒)
昔、この通りは「別れの辻」と言われ、婚礼の行列はけっして通りませんでした。
両崖山城の主 藤原家綱は、民部大夫として都で活躍していましたが、その活躍を妬んだ同僚の小野寺民部大夫の讒言で筑紫(九州)に流されました。
家綱は強力勇猛な武将でした。 ちょうどこの頃、高麗国から国使が来ました。随員の中に三人の力士がいましたが誰も勝てませんでした。
朝廷は家綱を呼び戻し三力士と対戦させました。日本の威信が掛かっているこの勝負に家綱は見事に勝ちました。
その後、足利に帰った時、無事帰郷できたのは大宰府天神様のお陰と、筑紫から持ち帰った天神様の像を稲荷神社の隣地の辻に祠を建てて祀ったと伝えられています。
足利郡司(足利郡の長官)として、源姓足利市と勢力争いをしていた足利家綱が大変な力持ちで、天皇の御前でおこなわれた相撲で技を競ったことは史実です。
祭神の菅原道真は学問の神様として讃えられ、和歌をよくしたので「和歌の天神様の辻」と呼ばれました。
後に地元の人が「和歌の辻」を「別れの辻」と聞き間違え呼んだのが、いつの間にか通称となってしまったようです。1000年近いの歴史が続く足利では、同様の間違いで妙な言い伝えが残っています。

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示現稲荷神社の基本情報

名称示現稲荷神社
読み方じげんいなりじんじゃ
通称示現稲荷

詳細情報

ご祭神《主》倉稲魂命
《境内社》天満宮・月読神社(二十三夜堂)
《石神》猿田彦大神
創建時代建仁三年(1203年)以前
創始者不詳 (天満宮は藤原家綱)
ご由緒

主祭神:倉稲魂命
建仁三年1203以前の創建。靈狐が出現したところに示現塚がある。
大正十三年1924社殿改築とともに社号に示現を付ける許可を得る。 昭和十二年1937改築。平成7年1995までに屋根を銅板葺きに改修。

【別れの辻(和歌の辻)】(境内社 天満宮の由緒)
昔、この通りは「別れの辻」と言われ、婚礼の行列はけっして通りませんでした。
両崖山城の主 藤原家綱は、民部大夫として都で活躍していましたが、その活躍を妬んだ同僚の小野寺民部大夫の讒言で筑紫(九州)に流されました。
家綱は強力勇猛な武将でした。 ちょうどこの頃、高麗国から国使が来ました。随員の中に三人の力士がいましたが誰も勝てませんでした。
朝廷は家綱を呼び戻し三力士と対戦させました。日本の威信が掛かっているこの勝負に家綱は見事に勝ちました。
その後、足利に帰った時、無事帰郷できたのは大宰府天神様のお陰と、筑紫から持ち帰った天神様の像を稲荷神社の隣地の辻に祠を建てて祀ったと伝えられています。
足利郡司(足利郡の長官)として、源姓足利市と勢力争いをしていた足利家綱が大変な力持ちで、天皇の御前でおこなわれた相撲で技を競ったことは史実です。
祭神の菅原道真は学問の神様として讃えられ、和歌をよくしたので「和歌の天神様の辻」と呼ばれました。
後に地元の人が「和歌の辻」を「別れの辻」と聞き間違え呼んだのが、いつの間にか通称となってしまったようです。1000年近いの歴史が続く足利では、同様の間違いで妙な言い伝えが残っています。

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