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じげんいなりじんじゃ

示現稲荷神社の御由緒・歴史
栃木県 足利市駅

ご祭神《主》倉稲魂命
《境内社》天満宮・月読神社(二十三夜堂)
《石神》猿田彦大神
創建時代建仁三年(1203年)以前
創始者不詳 (天満宮は藤原家綱)
ご由緒

主祭神:倉稲魂命
建仁三年1203以前の創建。靈狐が出現したところに示現塚がある。
大正十三年1924社殿改築とともに社号に示現を付ける許可を得る。 昭和十二年1937改築。平成7年1995までに屋根を銅板葺きに改修。

【別れの辻(和歌の辻)】(境内社 天満宮の由緒)
昔、この通りは「別れの辻」と言われ、婚礼の行列はけっして通りませんでした。
両崖山城の主 藤原家綱は、民部大夫として都で活躍していましたが、その活躍を妬んだ同僚の小野寺民部大夫の讒言で筑紫(九州)に流されました。
家綱は強力勇猛な武将でした。 ちょうどこの頃、高麗国から国使が来ました。随員の中に三人の力士がいましたが誰も勝てませんでした。
朝廷は家綱を呼び戻し三力士と対戦させました。日本の威信が掛かっているこの勝負に家綱は見事に勝ちました。
その後、足利に帰った時、無事帰郷できたのは大宰府天神様のお陰と、筑紫から持ち帰った天神様の像を稲荷神社の隣地の辻に祠を建てて祀ったと伝えられています。
足利郡司(足利郡の長官)として、源姓足利市と勢力争いをしていた足利家綱が大変な力持ちで、天皇の御前でおこなわれた相撲で技を競ったことは史実です。
祭神の菅原道真は学問の神様として讃えられ、和歌をよくしたので「和歌の天神様の辻」と呼ばれました。
後に地元の人が「和歌の辻」を「別れの辻」と聞き間違え呼んだのが、いつの間にか通称となってしまったようです。1000年近いの歴史が続く足利では、同様の間違いで妙な言い伝えが残っています。

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