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みょうりんじ|曹洞宗崇寿山

明林寺
栃木県 野州山辺駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

その他の巡礼の情報

新田秩父三十四観音霊場 第二十番納経所

明林寺について

新田義貞の妻 勾当内侍の侍女 椿姫の墓(供養碑)がある。
新田秩父三十四観音霊場 第二十番新井堂の納経所。

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くし
くし
2024年01月31日(水)
1450投稿

明林寺に到着。久しぶりに積極的に受印したくなった新井堂の御朱印を求めて庫裏に声掛けするも・・・住職外出中ですた orz
一応、対応してくれた奥様に聞いたところ、確かに明林寺自体の御朱印の他に新井堂の御朱印もあるのを確認。

まぁ仕方ない( ´・ω・`) 近いしまた来るかとトボトボと駐車場に向かったところ、墓地の隅に何か小さいお堂があるのを発見。
ん?あれは何だ?(゜゜)と近付いてみたところ・・・なんと新田義貞公に関係するものだと判明!(*°∀°)=3
義貞公の妻の勾当内侍の侍女の椿姫という女性の知られざる伝承を伝える供養碑でした。

勾当内侍といえば新田氏関連史跡の一つとして、太田市の南の方に花見塚神社というのがあり、いつか行こうと思ってたのですが、まさか侍女さんのお墓を先に拝むとは・・・w
まぁいいか、俺ってゲームとかアニメでもメインヒロインよりサブキャラとかモブキャラに惚れるタイプだしwww

勾当内侍そのものの実在が怪しいらしく、その侍女となればなおさらですが(^^;  だからこそそんな埋もれてしまいそうなマイナーな伝承に触れることができて本当に良かったと思います♪

このあとも寺社に二ヶ所ほど寄ろうとしたのですが、一つは道を一本間違えて辿り着けず、もう一つは神社前がガッツリ工事中で入れず(>_<)
どうもここで受印できなかったのが、神仏からの「もう( ・∀・)カエレ!」というサインだったのではないかと思い、諦めて帰宅することにしましたw

明林寺(栃木県)

山門

明林寺の地蔵

参道左手に六地蔵

明林寺(栃木県)

左は壇信徒会館か何かのようです

明林寺(栃木県)

歌碑
私、こっちの方はサッパリなのでわかりません(^^;

明林寺(栃木県)

福聚講という講話を定期的に行ってるらしい
YouTubeチャンネルもあったので基本的情報に載せましたが、どうも上手くリンクが貼れてないようでエラーが出てしまう(>_<)

明林寺(栃木県)

観音堂

明林寺(栃木県)

合祀墓かな?

明林寺(栃木県)

本堂

明林寺(栃木県)
明林寺(栃木県)

少し本堂の戸が開いてたけど本尊は微妙に見えず(*_*;

明林寺(栃木県)

住職不在で受印できず、失意のうちに駐車場に向かったところ、墓地の隅に何か小さいお堂があるのに気付く(゜゜)

明林寺(栃木県)

なんと新田義貞公夫人の勾当内侍の侍女のお墓!
知られざる伝承発見に気分も一気に高揚(*°∀°)=3

明林寺(栃木県)

まさか勾当内侍そのものより侍女さんの墓を先に拝むとはw

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名称明林寺
読み方みょうりんじ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0284-71-7934
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詳細情報

ご本尊《本尊》延命地蔵尊菩薩
《堂宇》観音堂・椿姫供養碑
山号崇寿山
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代天文五年(1536年)
開山・開基(開基)矢場能登守繁和 (開山)天叟自騮大和尚
ご由緒

当山、崇壽山明林寺は、室町時代の天文五年(一五三六年)に、矢場能登守繁和公が開基となり、天叟自騮大和尚を拝請して開創されました。
寺の開創を遡ること約二〇〇年、建武の中興で中心的役割を果たし、官位正四位下、左近衛中将に取り立てられた新田義貞公(源義貞)は、その後の南北朝時代には後醍醐天皇の南朝方総大将として各地に転戦し、一三三八年越前の国(現福井県)藤島で討死します。
『太平記』によると、京都で後醍醐天皇に仕えていた義貞公に公家世尊寺家の一族から嫁いで妻となったのが勾当内侍でした。勾当内侍は、義貞公討死後、比丘尼となってその菩提を弔ったとのことです。
しかし、江戸時代に講釈として『太平記』が語られると、義貞公と勾当内侍の悲恋が流布し、各地に勾当内侍の墓が作られたようです。その一つが太田市阿久津町にも存在します。
明林寺北西に椿田と称されて一角がありますが、これは椿姫と呼ばれ勾当内侍に仕えた侍女が、越前から義貞公の所領であった新田荘を目指して落ち延びてきた際に、この地で北朝方の手にかかり殺害された、との伝承に基づくものです。
この椿姫の供養碑が、野仏の如くこの地の心ある人々に依って供養を受けつつ護られてきました。その供養碑が、故有って当山境内に移設されました。『太平記』に登場する勾当内侍でさえ実在が定かでない上、風化が激しく刻字すらも確認できない侍女となると、歴史の中に霞んで史実は判明致しません。
しかし、当山近隣の人々が代々に亘って、縁もゆかりもない椿姫の非業の死を悼み、永年に亘って供養し護ってきたことは確かです。公の歴史に刻まれることのないこの事実を、歴史に遺し顕彰する意味で、祠を設け椿姫供養堂と致しました。
(境内にある椿姫供養碑の案内板より)

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