ながはまかんのんどう|不詳|不詳
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長浜観音堂について
例幣使街道の矢場川の袂に建つお堂。
新田秩父三十四観音の第十九番だが、現在の札所は少し西にある太田市茂木町の正願寺となっているので、受印はそちらへ。
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次はつまんねーお堂ですw
堀込薬師から例幣使街道を少し西に行った所にあり、ランドマーク的に目につくので存在だけは昔から知ってましたが、改まって拝むのは今回が初めて。
ここは矢場川を渡って栃木県側、町名は「しんじゅく」ではなく「あらじゅく」ですw
小さなお堂ですが、地元の文化財協会のお陰で案内板があり、由緒など掴めました。
願主の長浜伝九郎重峰という人物についてはググったけど何もわからず(^^;
「三年に渡る百二十八社寺の廻国巡礼」とありますので、無名の修験者か遊行僧、あるいは我々のような朱印ラーの大先輩かもしれませんw (あくまで廻国「修行」ではなく「巡礼」となってるので余計その感が強いw)
自分も長浜伝九郎さんみたいに、郷土史の片隅の一行だけでもいいから歴史に名を残したいですw
新田秩父三十四観音霊場は、調べたところ太田金山をU字形に回る巡礼のようです。
金山北西の強戸にある瑞光寺というお寺を発願とし、金山南麓の太田呑龍様こと大光院などを通って、最後は金山北東の瑞岩寺というお寺で結願。
札所の大半は生きてる様子。この十九番は西2km程の群馬県側にある正願寺というお寺が引き継いでるようです。
(三十二番の園田堂というのだけ個人宅内にあるらしい(^^; すぐ側に大圓寺という寺があったが引き継ぎ情報なし)
背後にそこそこの規模の墓地がありますが、どこか近隣の寺の境外堂宇であるとか、堂宇だけ残った廃寺跡であるという情報は特になかった。
墓地の裏には勢至堂古墳という円墳があるのですが、回りがメガソーラーに囲まれたうえに進入禁止に(>_<)
ホントどこのどいつだよメガソーラーなんか流行らせたのは(´-ω-`)
道路脇に立つつまんねーお堂ですw
左に勢至堂
こちらはいずれかの時代に老朽化して建て替えられたらしく近代建築に
勢至堂の方は中も見れないしつまらないので、観音堂を中心に観賞しましょうw
この矢場川地区文化協会さんのお陰で、この辺りの無神社やお堂にはだいたい案内板があるので非常にありがたい
特に南部は、足利氏関連史跡の集中する市中央部に比べて軽視されがちなので(^^#
本尊の観世音菩薩
お地蔵さんや庚申塔など
戦没者慰霊碑横の如意輪観音の台座には「左さの 右たてはやし」と昔の道標が彫られてるそうです
勢至堂古墳
メガソーラーに囲まれて見る影なし(^^;
まぁ墳丘突き崩されなかっただけでもマシか・・・
墓地のすぐ横にも古墳群の一部と思われる盛り土
少し離れたところにも大きめの墳丘らしきものあり
名称 | 長浜観音堂 |
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読み方 | ながはまかんのんどう |
通称 | 勢至堂観音堂 |
詳細情報
ご本尊 | 《本尊》観世音菩薩・勢至菩薩 |
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山号 | 不詳 |
院号 | 不詳 |
宗旨・宗派 | 不詳 |
創建時代 | 宝永八年(1711年) |
開山・開基 | 長浜伝九郎重峰 |
ご由緒 | 長浜観音堂は長浜伝九郎重峰(ナガハマデンクロウシゲミネ)が三年にわたる一二八社寺の廻国巡礼後、新宿に居住し、宝永八年(一七一一)願主となって国土安全・万民平和を祈願し、建立したといわれています。
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体験 | 仏像 |
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