御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

じょうとくじ|臨済宗建長寺派金精山

浄徳寺
栃木県 県駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
-

その他の巡礼の情報

両野三十三観音霊場 第十七番

浄徳寺について

境内に地元出身の不世出の画家、長谷川沼田居(しょうでんきょ)美術館がある。
美術館は地元ボランティアの運営で日曜のみ開館とのこと。

おすすめの投稿

くし
くし
2025年01月23日(木) 17時56分53秒
1703投稿

先日の薬師寺と島田稲荷の参拝でホント腰が驚くほど回復しまして⁉️😳 やっぱりあの狐の嫁入りと虹は瑞兆だったんだなぁ☀️🌧️🌈と懐疑主義者の自分も驚くばかり💦

そこでリハビリも兼ねてフィールドワーク参拝を再開してみることにしました🚲️w
前回は南に行ったので、今回は渡良瀬川を渡って北を攻めようかと思ったのですが、こちらは市街地の寺社はほぼ回り尽くしてしまって、あとは山際とか山中にある寺社ばかりで登拝必須なのであまり回れない+さすがに病み上がりじゃオーバーワークだろ💧と考えやっぱり南に行くことに😅 前回取りこぼした寺社や旧跡などを巡ってみました。

まず今回は珍しく一発目は寺から。 仏様のお陰で腰が治ったのでお礼参り・・・というワケでもなく単にルート上の問題で🔁(^^;

着いてみたら・・・え⁉️美術館❓️❓️🖼️
足利厄除大師の龍泉寺みたいに何か寺宝を展示してるのかと思ったら、そうではなくて長谷川沼田居(しょうでんきょ)という、地元出身の不世出の画家の作品を展示する美術館とのことでした。
この長谷川沼田居という人、15歳で田崎草雲門下の牧島閑雲の内弟子となり、一時は才能を認められて上京するも、健康上の問題や、中央画壇の裏側を知った嫌悪からわずか3年で帰郷。
その後、足利で作品を描き続けるも68歳で全盲となり、それでも描き続けた「盲目の画家」だそうです❗😳

ゴッホなんかも生前売れた絵は一枚だけで、画家というのは生きてる時は餓死寸前なのに死後に作品に巨額な値が付いたり💸 かのヒトラーも美大落ちてなければ独裁者になってなかっただろうし、たまのランニングのやつ・・・じゃなくてw山下清も画壇に所属してなかったので、鑑定できる人がいなくて贋作が多いらしい。
やっぱ画壇というのは権威主義というかいろいろ闇深👤なんでしょうね(^^;

美術館は地元ボランティアにより日曜日のみ開館されているそうで、残念ながら今回は見られず。
お寺自体は、車が一台止まっており無住寺ではないようでしたが、今回は特に受印は考えてなかったので声掛けはしませんでした。

浄徳寺(栃木県)

幹線道路に、寺院入口を示す標柱とお地蔵さん

浄徳寺(栃木県)

大きな道祖神の石神あり

浄徳寺(栃木県)

山号判明💡
金精山ってことは、昔この辺にアレの形をした石棒でも立ってたのかな🍄(^^;

浄徳寺(栃木県)

参道左に古い石仏と供養塔

浄徳寺(栃木県)

オーソドックスな郊外の檀家寺かと思ってたら、なんと境内に美術館があってちょっと驚き⁉️

浄徳寺(栃木県)

美術館横にあった三慧堂という大きなお堂

浄徳寺(栃木県)

三慧とは「経典を聞いて得られる聞慧と思惟に依って得られる思慧と修行に依って得られる修慧の三つの智慧」とのこと
つまり経堂のようなものかと思ったのですが、両野三十三観音の巡礼対象らしいので観音様も祀られてるっぽい

浄徳寺(栃木県)

文化財になってる石塔群、左は歴代住職墓のようだったので入らず

浄徳寺(栃木県)

足利の寺の例によって、文化財案内板しかなく寺の縁起・沿革は解らず😖 本尊も不明💫
臨済宗なのでたぶん釈迦如来か延命地蔵菩薩辺りかと思いますが・・・

浄徳寺(栃木県)

石塔群
一番左の大きいのは「阿弥陀一尊種字板碑」で、梵字の阿弥陀如来

浄徳寺(栃木県)

他にも梵字の板碑がいくつか
よく解りませんが阿弥陀如来か千手観音ですかね?

浄徳寺(栃木県)

五輪塔

浄徳寺(栃木県)

浄水

浄徳寺(栃木県)

水子地蔵尊

浄徳寺(栃木県)

本堂、右側が庫裏

もっと読む
投稿をもっと見る|
1
名称

浄徳寺

読み方

じょうとくじ

参拝料

長谷川沼田居美術館 無料 日曜10~16時開館

電話番号0284-71-6130
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://kousin242.la.coocan.jp/shoudenkyo/

詳細情報

ご本尊《本尊》不明
《堂宇》三慧堂(両野三十三観音霊場本尊)
《諸尊》阿弥陀一尊種字板碑・地蔵菩薩・聖観音・水子地蔵尊・その他
山号

金精山

宗旨・宗派臨済宗建長寺派
創建時代

不詳

開山・開基

不詳

文化財

浄徳寺の石塔群 (足利市指定重要文化財)

ご由緒

資料が見つからず不明。

【境内の長谷川沼田居美術館】
長谷川沼田居(しょうでんきょ)は、足利市県町に生まれた。15歳で田崎草雲の門人・牧島閑雲の内弟子となり、南画の基礎と漢学を学んだ。20歳の時に上京し、ニコライ堂の牧師で洋画家だった閑雲の子・如鳩と同居して絵画修行を続けていたが、如鳩の帰郷にともない足利に帰った。
足利では、地元で開催された展覧会に出品していたが、昭和7年、下野新聞社主催の栃木県美術展に出品していた鉛筆画が審査員だった小杉放菴の目にとまり、放菴の紹介で再び上京して田中咄哉州(以知庵)の内弟子となった。その後、松林桂月や奥村土牛の教えも受けたが、画壇の裏側を知り嫌悪感を持つようになり、また、経済上、健康上の理由も重なり3年で帰郷、再び牧島父子のもとで画技の研鑽に励むことになった。
昭和35年、55歳の時に白内障のため右目の不調を訴え、翌年手術を受けたが、術後の経過が芳しくなく、さらに翌年再手術を受けた。しかし、右目の視力が戻ることはなく、左目の視力も衰えて行った。
視力の衰えとともに画風は大きく変化していった。細かな表現が困難となっていき、色彩は強くなり筆触も荒くなっていった。鉛筆やペンによる細密描写に替わって毛筆による作品が多くなり、書も手がけるようになった。
昭和40年、右眼を摘出、その8年後にはほとんど見えなくなった左眼も摘出し、68歳で全盲となった。失明後も「空眼縣山人」と名乗り描き続け、主として書を手がけ、書と絵が融合した独特の表現を生み出した。
昭和58年、78歳で死去した。

体験博物館重要文化財札所・七福神巡り
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ